【新春の歌】正月(むつき)立つ 春の初めに 大伴家持(おおとものやかもち)
判官久米朝臣広縄(はんがんくめのあそんひろつな)の館に宴する歌一首
正月(むつき)立つ 春の初めに
かくしつつ 相(あひ)し笑(ゑ)みてば 時(とき)じけめやも
こんにちは 蓬田です!
正月、久米広縄(くめひろつな)の屋敷で宴が催されたときに、大伴家持が詠んだ歌です。
「万葉集」に収録されています。
意味は
正月の 春の初めに
こんなふうに みんなでともに笑いあうというのは まさにこのときならではのこと
こんな感じです。
「かくしつつ」は、こんな風に。
「時(とき)じ」は形容詞で、そのときではない、季節はずれ、の意味です。
「時じけめやも」の「めやも」は、そんなことはないでしょう、という反語のニュアンス。
「時じけめやも」全体では、そのときではないことではないでしょう、つまり「いまでしょ、いま」っていう感じです。
当時、笑いが幸せをもたらすと考えられていました。
いまでもその考えは引き継がれていて「笑う門には福来る」と言いますよね。
関西のある神社では、年末になると、神職さん、氏子、参拝者らがいっしょに大笑いして、幸せを願うという行事を行っています。
映像で見たことありますが、先導する神職さんの笑い方は、大きな声ではっきりとわざとらしく「あーはーはっーはっー」という感じでした。
どことなく、能舞台の役者さんのよう。神事の趣もあって興味深かったです。
話を歌に戻しますが、奈良時代、笑って幸せを願う、というよりは、笑うことで繁栄がもたらされると考えられていたようです。
心理学的にも、幸せになりたければ、まず「行動」を変えよ、といいますよね。
幸せになったから笑うのではなくて、笑うから幸せになる。
奈良時代から笑うことの効用を知っていたのかと考えると、1300年前でも、いまは学問的に検証されてきたことが、人々の知恵として受け入れられていたということで、昔の人も今の人も変わらないんだなあと思ってしまいます。
そしてそれは、これからも変わらないのでしょうか? 変わらないようにしていきたいと思います。
【年末の歌】かぞふれば 年の残りも なかりけり 和泉式部
年の暮に身の老いぬることを歎きて、よみ侍りける
かぞふれば 年の残りも なかりけり
老いぬるばかり 悲しきはなし
(現代語訳)
数えてみれば、今年もわずか
こうしてまた一年が終わっていく
年を取ってしまうことほど、悲しいものはない
こんにちは 蓬田です!
この歌、女性の実感なのかもしれないですけれど、歌を聞いた人(特に男性)からのウケを狙ってるんじゃないかと思ったりもします。
今でいえば、ウケ狙いの自虐ネタというところでしょうか?
和泉式部は恋愛遍歴が多い人で、天然なのか努力して身につけたのかは分かりませんが、男からの関心を惹きやすい女性だったのではないかと、この歌から想像してしまいました。
妻にいわせると「そんなことはない!」「自虐ネタで男からの関心は引き寄せない!」と強く反論がありましたが。。。
今と違って、当時、和泉式部が活躍した環境は貴族サロンとかで、紫式部や清少納言のように、たちに囲まれて生活し歌を詠んでいた環境ではなくて、恐らく和泉式部のほかは男ばかりだったろうと推測しましたので、こんな風に考えたのです。
この歌は「新古今和歌集」冬の巻に収められています。
【秋の和歌】川風の すずしくもあるか 紀貫之
皆様こんにちは
宮川です。
今回も、秋の和歌を鑑賞して参りましょう!
川風(かわかぜ)の すゞしくもあるか
うちよする 浪(なみ)とゝもにや 秋(あき)はたつらむ
作者は、平安時代前期から中期にかけての貴族、紀貫之です。
この作品は貫之が撰者を務めた古今和歌集の巻第四・秋歌上に収められています。
歌の前には
秋立日、うへのをのこども、加茂の川原に川逍遥しける、ともにまかりて、よめる
という詞書(ことばがき)があります。
立秋の日、殿上の男ども、賀茂の河原に河遊びした供に参って詠んだ歌です。
歌の意味は
吹いてくる川風、涼しいことよ
この風に吹かれて打ち寄せる波とともに、秋は立つのだろうか
「うちよする」は「打ち寄せる」の意味です。
「秋立日」は立秋のことで、太陽暦では8月7日ごろです。この日から立冬(11月8日ごろ)の前日までが秋です。
「立つ」は秋が「立つ」のと、波が「立つ」のとを掛けています。
季節の変わり目が見つかると、うれしいものですよね。
私は「秋が立つ」という言い方は、ちょっと新鮮な表現に感じました。
そういえば昔、松田聖子の名曲にも「風立ちぬ」がありましたね。
季節や自然現象は「立つ」という表現もするのですね。
昔の言い方を勉強すると、感性も豊かになっていくような気がします。
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
【秋の和歌】今(いま)来(こ)むと いひしばかりに 素性法師
皆様こんにちは
宮川です。
今回も、秋の和歌を鑑賞して参りましょう!
今(いま)来(こ)むと いひしばかりに 長月(ながつき)の
有明(ありあけ)の月(つき)を 待(ま)ち出(い)でつるかな
作者は平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶の素性法師(そせいほうし)です。
この作品は小倉百人一首に収められています。
女性の気持ちで詠まれたものだそうです。
意味は
「すぐに参ります」とあなたが言ったので待っていましたが
長月の夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました
「今」は「すぐに」の意味です。
「長月」は陰暦の9月です。太陽暦では10月ごろで、夜が長くなります。
「有明の月」は夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。
思い人が「すぐ行くよ」と言うので待っていたのに、待てども待てども来なくて、とうとう有明の月が出てきてしまった。
もう今晩は来ないな、待ってたのに…という歌ですね。
待ち人が来なくて悲しみに暮れるのではなくて、どこかカラっとしている感じです。
素性法師は、こういうタイプの女性が好きだったんでしょうか?
そんなことを考えるのも楽しいです。
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
【秋の和歌】昨日こそ 早苗とりしか いつの間に
皆様こんにちは
宮川です。
今回も、秋の和歌を鑑賞して参りましょう!
昨日(きのう)こそ 早苗(さなえ)とりしか
いつの間(ま)に 稲葉(いなは)そよぎて 秋風(あきかぜ)の吹(ふ)く
読み人しらずの歌です。
この作品は古今和歌集に収められています。
意味は
つい昨日、早苗を手に取って田植えをしたと思っていたのに、
いつの間にか、稲の葉をそよがせる秋風が吹いている。
稲が育っている田は、風を受けるとそよいで、波のようにきれいで好きです。
稲穂ではなく稲葉というからには、まだ青くて、収穫は先なのでしょう。
稲の葉がそよそよ音をさせているとは、さぞや立派に育っているのだなあと豊かな実りを予感させます。
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
【秋の和歌】秋(あき)来(き)ぬと 目にはさやかに 藤原敏行
皆様こんにちは
宮川です。
今回も、秋の和歌を鑑賞して参りましょう!
秋(あき)来(き)ぬと 目(め)にはさやかに 見(み)えねども
風(かぜ)の音(おと)にぞ おどろかれぬる
作者は、平安時代前期の貴族・歌人・書家である藤原敏行です。
この作品は立秋の日に詠まれたもので、古今和歌集に収められています。
意味は
秋が来たと、はっきりと目には見えないけれど
風の音で(秋の到来に)はっと気づきました。
立秋は暦の上で秋が始まる日。陽暦の八月八日ごろで、令和二年(2020年)は八月七日でした。
「目に見える」ものと「音に聞こえる」ものとの表現の対比が鮮やかです。
目に見えないけれど、音で分かったということ、さらに、風に吹かれて体感的に秋を感じたのではなくて、「風の音」に秋を感じるというのは、とても理知的な感じです。
ところで、気象庁は最高気温が25℃以上の日を「夏日」、30℃以上の日を「真夏日」、35℃以上の日を「猛暑日」としています。
近年の夏は気温が上がり、「夏日」だと涼しいと感じるくらいです。
令和二年の夏も「猛暑日」が続いています。
最近、蚊がいなくなったなと思いましたら、本当かどうか分かりませんが、猛暑が原因らしいです。
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
秋の和歌 萩(はぎ)の花 尾花(をばな)葛花(くずばな) 山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)
皆様こんにちは
蓬田(よもぎた)でございます!
きょうも秋の和歌をご一緒に鑑賞して参りましょう。
萩(はぎ)の花 尾花(をばな)葛花(くずばな) なでしこの花 をみなへし
また藤袴(ふぢばかま) 朝顔(あさがほ)の花
山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)
万葉集にある、秋の野の花を詠んだ歌です。
今でも「秋の七草」として伝わっていますね。
「萩(はぎ)」は、「荻(おぎ)」と漢字が間違いやすいので気を付けましょう。
「尾花」はススキのこと。
「朝顔」は、現在のアサガオではなくて(奈良時代、アサガオはまだ日本に入っていません)、桔梗(ききょう)のことです。
山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)は、斉明天皇六年(660年)生まれといわれています。
四十二歳で遣唐使の一員として唐に渡り、儒教や仏教などを学びました。
霊亀二年(716年)、五十七歳にしてはじめて国守として伯耆国(ほうきのくに 今の鳥取県中部・西部)に赴任。
10年後の神亀三年(726年)ごろ、六十七歳で筑前守(ちくぜんのかみ)として赴任。
筑前守を退官したのち、天平五年(733年)に七十四歳で亡くなったとされています。
歌人としても名高く、万葉集に80首が収められています。
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
【夏の和歌】宵(よい)のまに 身(み)を投(な)げはつる 夏虫(なつむし)は
こんにちは
宮川です。
今回も、夏の和歌を鑑賞して参りましょう!
宵(よい)のまに 身(み)を投(な)げはつる夏虫(なつむし)は
燃(も)えてや人(ひと)に 逢(あ)ふと聞(き)きけむ
作者は、伊勢(いせ)です。
平安時代、宇多天皇の中宮藤原温子(ふじわらのおんし)に仕えた女房です。
この作品は家集の「伊勢集」に収められています。
意味は
宵どきに、身を投げて命果てた夏虫
燃えることで人に逢えると聞いたのであろう
八百屋お七のような、メラメラの恋心を感じます。
虫は夜、街灯や炎に集まってきます。
近づきすぎると、焼けこげて死んでしまいますが、虫にとっては命を賭けてでも近づきたくなる存在なのでしょうね。
こうした虫その特性を生かしてに誘虫灯で捕虫する機器もありますよね。
恋もいいけれど、適度な距離感は大切だよね、と感じます。
これって、歳をとって枯れてしまったからでしょうか。
いかがでしたしょうか?
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
夏の和歌 葉(は)をしげみ 外山(とやま)の影(かげ)や 藤原実方(ふじわらのさねかた)
こんにちは
宮川です。
今回も、夏の和歌を鑑賞して参りましょう!
葉(は)をしげみ 外山(とやま)の影(かげ)や まがふらむ
明(あ)くるも知(し)らぬ ひぐらしの声(こえ)
作者は、藤原実方(ふじわらのさねかた)です。
この作品は新勅撰和歌集に収められています。
意味は
葉が繁って外山の蔭の暗さを間違えているのだろう
夜が明けたのも知らないで鳴いているひぐらしの声
「外山」というのは、山の外側、人里に近い場所です。
「まがふ」は「紛う」で、「似ていて間違う」といった意味です。
ひぐらしは、夏の夕方に鳴くイメージがありますが、夜明けにも鳴きます。
作者は、ひぐらしに「日暗し」を掛けて、日が明るくなったのに「日暗し」が鳴いていると、言葉遊びをしています。
歌から、まだ日が高く上らないうちの、涼しい朝の空気を感じました。
いかがでしたしょうか?
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!
夏の和歌 曇(くも)りなき 青海(あおみ)の原(はら)を とぶ鳥(とり)の 曾禰好忠(そねのよしただ)
こんにちは
宮川です。
今回も、夏の和歌を鑑賞して参りましょう!
曇(くも)りなき 青海(あおみ)の原(はら)を とぶ鳥(とり)の
かげさへしるく てれる夏(なつ)かな
作者は、平安時代中期の曾禰好忠(そねのよしただ)です。
性格が悪く、自尊心も強かったため、周囲の貴族らからはよく思われていなかったようです。
実際、円融上皇の和歌の催しに、招待されていないのに、強引に催しの席に着き、追い出されたという逸話が伝わっています。
でも、和歌は評価されており、勅撰集に合計九十二首、採られています。
この作品は、自選集とみられる「好忠集(よしただしゅう)」に収められています。
意味は
曇りのない青い海原を飛ぶ鳥の
姿さえはっきりと照らす夏であることよ
「しるく」の意味は、はっきりと。
「てれる」は、照らし出すという意味です。
夏のスカーンと晴れた広い青い海。
海面は静かで、鳥の影さえ映って見えたのですね。
大海原と小さな鳥の対比。ダイナミックです。
平安時代の歌とは思えない、すごく現代の感じがします!
夏の海とくれば白い波、サーファー、パラソル、水着の男女など、海水浴場が浮かんできます。
この和歌を読んで、サスペンスドラマに出てくるような海の見える旅館に泊まってみたくなりました。
これからも素敵な歌を、ご一緒に鑑賞して参りましょう!