【春の歌】春霞 紀貫之
山の桜を見てよめる
春霞
なに隠すらむ
桜花
散るまをだに
見るべきものを
紀貫之
古今和歌集、春歌下に所収の歌。
ここでは作者を紀貫之としたが、伝本によっては清原深養父とする。
研究者のあいだでも結論は出ていないようだ。
※伝本
印刷技術が普及するまえの時代、本は人の手によって書き写され広まっていった。
つまりは、書き写した数だけ本が増えていった。
このようにしていまに伝わる本を「伝本」という。
人が書き写すので、写し間違いが出てくる。
あるいは故意に違うふうに書き写したかもしれない。
研究者は、信頼性の置ける複数の伝本を見比べながら、本来の古今和歌集の姿を追及している。
春霞はどうして
桜花を隠しているのだろう
せめて散るあいだだけでも
見ていたいのに
ここで詠われている気持ちは、いまのわたしたちには、ちょっと分かりにくいのではないだろうか。(わたしは最初よく分からなかった)
桜が散るのは悲しい。
それでも見たい。
でも霞はそれさえ許してくれないが如く、
桜を隠している。
詠われているのは、こんな気持ちである。
霞が桜を隠すという定番表現を用いながら、桜を隠している霞へ抗議しているのだ。
古今和歌集について
「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。
四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。
日本人の美意識を決定づけた和歌集である。
醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。
ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。
撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。
その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。
古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。
その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。
世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。
世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。