【夏の歌】塵をだに 躬恒


となりより常夏(とこなつ)の花をこひにおこせたりければ、
惜しみてこの歌をよみてつかはしける

塵をだに
すゑじとぞ思ふ
咲きしより
妹(いも)とわが寝る
とこ夏の花

躬恒

古今和歌集、巻三夏に所収されている歌です。

この歌はユーモラスで面白い歌です。

まずは意味を確認しましょう。

詞書は、このようなことが書かれています。


隣の家から、我が家のなでしこの花をくれてくれないかと手紙が来た。
差し上げるのはもったいなくて、この歌を詠んで家の者に持って行かせた。

歌の意味はこんな感じです。


咲いたときから
ほんの少しの塵も
積もらせないようにしているのです
妻とともに寝るとこ(=常夏の花)の上には

「常夏の花」は、なでしこです。

結句にある「とこ」は、「常夏の花」と寝床の「床」との掛詞です。

夫婦の寝床に塵が積もるとは、夫婦仲が疎遠であることの象徴です。

隣の家から常夏の花がほしいと言われたこの家の主人は、

「我が家の寝床は塵が積もっていませんよ。
そんな大事な寝床(=常夏の花)を差し上げることはできません」

とユーモアを交えて断っています。

「寝床の塵を払う」という表現は、この時代すでに、夫婦仲が円満に続くことを願う定型の文句でした。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-26 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【夏の歌】はちす葉の 僧正遍昭


はちすの露をみてよめる

はちす葉の
にごりにしまぬ
こころもて
なにかは露を
玉とあざむく

僧正遍昭

古今和歌集、巻三夏に所収されている歌です。

歌の意味ですが、ちょっと分かりにくいかもしれませんね。
意味を確認しましょう。


蓮の葉に置かれた露を見て詠んだ歌

蓮の葉は
泥の濁りに染まらない
清らからな心をもっている
それなのにどうして
葉に置かれた露を
玉と見せかけて
人を欺くのだろうか

この歌は「蓮」を見て詠っているのですが、「にごりにしまぬこころ」とは、泥のなかから生えて、美しい花を咲かせる蓮のけがれのないこころを示しています。

わたしにとって蓮といって思い出すのは、上野公園の不忍池に群生している蓮です。

若い頃は上野公園はまったく縁のない場所でしたが、年を経るにつれて、上野彰義隊とか上野大仏とかの歴史遺跡を見に行ったり、上野公園には立派な美術館がいくつもありますから、展覧会を見に行ったりと、よく行く場所のひとつになりました。

不忍池の蓮は泥のなかから生えていません。水のなかから生えています。

一般に蓮は泥水から生えているのだそうです。

わたしはそういう印象は蓮に持っていないです。

この歌は「泥から生えている」と詠っていますが、正確には「泥水から生えている」ですね。

それで、そういう濁った汚い泥水から生えているのだけれど、泥に汚れず清らかな美しい花を咲かせます。

なので、蓮は清らかなこころを象徴しています。

わたしはこういう、自然の摂理を人間の側が都合よく解釈して接するという姿勢は割と好きです。

このように、もともとは「花」が美しく清らかであることを象徴しているのですが、この歌では、花を葉に変えて詠っています。

蓮は人を騙すことなんてしないはずなのに、どうして葉に置かれた露を玉だと偽っているのかと、軽妙な感じで表現しているのが面白いです。

遍昭は高僧でしたが、仏のこころの象徴である蓮を素材にして戯れているような雰囲気が伝わってきます。

この歌からを口ずさむと、遍昭の人となりに触れた思いがします。

遍昭は面白い人で、この歌のほかにもこんな洒落たセンスの歌を詠んでいます。

天つ風
雲の通い路
吹きとぢよ
をとめのすがた
しばしとどめむ

「古今和歌集」巻十七雑歌上に入っている歌です。

「小倉百人一首」にも選ばれているから知っている人も多いでしょう。

意味はこんな感じです。


五節(ごせち)の舞姫を見てよめる

天の風よ
雲のなかにある通り道を
吹き閉ざしておくれ
乙女の美しい姿を
しばらく地上に留めておきたいから

当時、五節の舞姫は天女に見立てられていました。

目の前で舞っている乙女たち(天女)があまりに美しいので、天に帰ってほしくない。

天に帰る通り道は雲のなかにあるのですが、その道を風で吹き閉ざしてほしいと天の風にお願いしています。

仏に仕える身なのに、こんなこと考えていいのか、と思っていたら、この歌は「良岑宗貞」という俗名で詠っており、出家する前の歌だと知って、納得しました。

それにしても、遍昭(良岑宗貞)のセンスは意表をついて、おしゃれで、わたしは好きです。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-25 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

The Scent of Tachibana Orange

Tachibana orange trees wait until May to bloom
When I smell the scent of Tachibana orange
A lover I used to have a close relationship with
I remember the perfume on her sleeve

Translation into English by YOMO

等待五月
橘花盛開
我聞到橘花的香味
一個我曾經很親近的女人
我記得她袖子上的香水

YOMO翻譯成中文

五月待つ
花橘の
香をかげば
昔の人の
袖の香ぞする

よみ人知らず

古今和歌集 巻第三 夏




Posted on 2024-04-24 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【夏の歌】五月待つ よみ人知らず


五月待つ
花橘の
香をかげば
昔の人の
袖の香ぞする

よみ人知らず

古今和歌集、巻三夏に所収されている歌です。

歌の大意は読んでそのまま、簡単に取れますね。

意味を確認しましょう。


五月を待って咲くという
橘の香りをかぐと
昔親しかった人の
袖の香りを思い出す

橘の花は、万葉の時代から、花、葉、実の美しさが際立ち、ときを越える存在と考えられていました。

この歌は橘の不変のイメージを、懐かしさへと転用して詠っています。

「五月待つ」は、橘の花は五月になってから咲くという考え方を表しています。

「昔の人」は、詠者が昔かかわった恋人でしょう。

「袖の香」は、袖に焚き染めた香り。橘は香木ではないので、橘そのものの香りではなくて、橘に似た香りを焚き染めたと思われます。

香り、匂いは、記憶を瞬間的に呼び覚まします。

わたしは、街なかを歩いていて、ふとどこからか漂ってきた匂いを嗅いだとき、20年も30年も前の記憶を突然思い出した経験が何度もあります。

平安時代の歌人たちもこの歌に大変共感したらしく、この歌はたくさんの本歌取りを生みました。

「伊勢物語」六十段では、別れた夫が元妻に向けてこの歌を詠んでいます。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-24 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

Farewell Poem “I say goodbye to you today” Kino Toshisada

KYO WAKARE
ASUWA OMITO
OMOEDOMO
YOYA FUKENURAMU
SODENO TSUYUKEKI

Kino Toshisada

This poem is included in Kokin Wakashu, Volume 8 Farewell.

First, let’s check the meaning of this poem.

Kino Toshisada composed a farewell poem at the farewell banquet for Fujiwara Kiyofu when he was appointed as Afuminosuke at the house of Imperial Prince Sadatoki.

I say goodbye to you today
Tomorrow you are leaving for Omi.
Omi is also known as ”Meet You Again”
It must have been nightfall
The sleeves of my garment
Getting wet from the night dew

Imperial Prince Sadatoki was the seventh prince of Emperor Seiwa.

It is unknown why Fujiwara Kiyofu’s farewell banquet was held at the residence of Imperial Prince Sadatoki.

“Omi” is a combination of “we will meet again” and “the place name of Omi”.

“Tsuyukeki” refers to the state of being wet with dew.

The sleeves of his garment was wet from the tears of goodbye, but I guess he insisted that it was from the night dew.

The poet, Kino Toshisada, insists that since Omi is nearby, we will be able to meet again, and I’m not so sad.

I can picture Toshisada’s face smiling as hard as he could while crying.




Posted on 2024-04-23 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【悲しみの歌】きょう別れ 紀利貞

貞辰親王(さだときのみこ)の家にて藤原清生(きよふ)が近江介(あふみのすけ)にまかりけるときに、むまのはなむけしける夜よめる

きょう別れ
あすはあふみと
思へども
夜(よ)やふけぬらむ
袖の露けき

紀利貞

古今和歌集、巻八離別歌に所収されている歌です。

まず歌の意味を確認しましょう。


貞辰親王(さだときのみこ)の家で、藤原清生(きよふ)が近江介(あふみのすけ)として赴任するときに、送別の宴を開いた夜に詠んだ歌

あなたとはきょうでお別れ
あすは「会う身」という名の
近江へと旅立つのですね
夜がふけてきたのでしょう
わたしの衣の袖が
夜露で濡れてきました

詞書にある貞辰親王(さだときのみこ)は、清和天皇第七皇子でいらっしゃいます。

藤原清生(きよふ)の送別の宴が、どうして貞辰親王の邸宅で宴が開かれたのかは不明です。

「むまのはなむけ」は、送別の宴のこと。

もともとは、旅立つ人の馬の鼻を、旅立つ方向へと向けたことから、こう呼ばれるようになりました。

「あふみ」は、「会う身」と「近江(あふみ)」の掛詞。

「露けき」は、露で濡れている状態のこと。

別れの涙で濡れたのですが、夜露で濡れたと強がっているのでしょう。

詠者の紀貞利は、近江は「近い」のだから、また会えるしそんなに悲しくないと、虚実あい混じる気持ちを詠いながら、涙で濡れた服の袖を、夜露で濡れたと強がっています。

わたしには、泣きながら精一杯の笑顔を作っている貞利の顔が思い浮かぶようです。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-23 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【別れの歌】立ち別れ 在原行平朝臣

題しらず

立ち別れ
いなばの山の
峰に生(お)ふる
まつとし聞かば
いま帰り来む

在原行平朝臣

古今和歌集、巻八離別歌の巻頭に所収されている歌です。

編者たちは巻頭に置く歌に、自分たちの想いを込めているはずです。

国文学の研究者たちは、どんな想いが込められているのかを研究しているのかもしれません。

そうした学問的なアプローチとは別に、わたしたちが「どうしてこの歌が巻頭に置かれているのだろう?」と、人それぞれに考えることは、「古今和歌集」に接するとき、意義あることでしょう。

皆さん、歌の意味が理解できましたでしょうか。

この歌は、わたしたち現代に生きる人にとって馴染のない、和歌独特の掛詞が使われていますので、意味が取りにくかったと思います。

歌の意味を確認しましょう。


題知らず

これでお別れですね
わたしは因幡の国へ赴任します
因幡の山には松の木が育っているでしょう
その松にちなんで
わたしの帰りを待っていてくださると
聞いたならば
すぐにでも帰ってまいりましょう

詞書にある「題知らず」は、「歌の題が分からない」という意味ではありません。

平安時代は「歌合せ」と呼ばれる歌会が盛んに行われていましたが、そうした歌会で詠われた歌ではないということです。

また、お題を与えられて詠われた歌でもありません。

つまりは、歌ができた背景がよく分からないという意味です。

「いなば」は、「去(い)なば」と「因幡(いなば)」の掛詞。

「今」は、今すぐの意味。

作者の行平は斉衡二年(855)、因幡守になっています。

行平はこの歌を、因幡に赴くときの送別の宴で詠んだのでしょう。

「いなば」「まつ」という掛詞が使われていて和歌らしい和歌だと思います。

それと、詠みぶりから「できたら赴任したくない」という気持ちが見え隠れてしているようにも感じます。

当時の貴族たちは、都を離れるのを嫌がっていたのが分かるようで、とても興味深いです。

古今和歌集の編者たちは、そうした貴族に共有する気持ちを詠った歌として、巻頭に置いたのかもしれません。

(とはいうものの、地方に行けば経済的な旨みがあったり、のんびり暮らせたりと、地方に行くことを肯定的に捉えていた貴族もいたのかもしれませんが、「都を離れるのはつらい」という定型の想いが、好んで和歌に詠まれたとも思われます)

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-22 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

在蜘蛛網中 YOMO和歌

在蜘蛛網中
清晨的露珠閃閃發亮
蜘蛛絲
成為一條美麗而轉瞬即逝的弦
貫穿其中

蜘蛛の巣に
光る朝露
蜘蛛の糸
玉の緒となり
貫き通す

YOMO




Posted on 2024-04-21 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【悲しみの歌】寝るがうちに 壬生忠岑

あひしれりける人の身まかりければよめる

寝(ぬ)るがうちに
見るをのみやは
夢といはむ
はかなき世をも
うつつとは見ず

壬生忠岑

古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。


深い契りを結んだ人が亡くなり詠んだ歌

寝ているとき
見るのだけが夢というのだろうか
はかないこの世も
現実とは思えない

詞書にある「身まかる」は亡くなる。

「うつつ」は現実のこと。

この世は現実ではなくて夢であると詠んだ歌。

和歌では、夢と現実の両方が存在すると考える歌が多い。

しかし、この歌は現実などはなく、世の中は夢そのものであると詠んでいる。

現実と思っていた世の中が実は現実ではない、という世界観。

わたしはこういう世界観の作品が好きだ。

映画にもある。「マトリックス」だ。

主人公のネオはある日突然、「おまえの住んでいる世界は現実ではない。プログラミングされて作られた仮想現実に存在している」とモーフィアスに告げられる。

ネオは混乱する。そして様々な人たちと関わりながら、自分が何者であるかを自覚し、自分の責務(想い)を遂げようする(しかし、それは結局はマトリックスのバージョンアップにつながるという皮肉な結果に終わるのだが)

一方、忠岑はこの歌で、世の中に現実などない、現実は夢そのものであると詠う。

愛する人が亡くなった悲しみはあまりに大きく、この世に現実なんてない、この世は夢なのだ、と嘆いている。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-21 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

很快就會消失 和泉式部 YOMO超訳

很快就會消失
我的人生只剩下一點點

回首往事,有開心的事,也有痛苦的事
很多回憶

和你一起度過的快樂的日子
一連串震撼靈魂的瞬間

我的願望會實現嗎?
如果我們再次相遇,我不會有任何遺憾

和泉式部

あらざらむ
この世のほかの
思ひでに
今ひとたびの
逢うこともがな

和泉式部




Posted on 2024-04-20 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed