文学作品と絵画作品 感動の違いの正体
2025/12/26
蓬田修一
文学作品を読んだときと、絵画作品を見たとき。どちらも心が動き、自分のこころに「何かが響いた」と感じる経験は共通しています。しかし、その「響き」の正体は、実はかなり違います。
まず、文学作品が呼び起こす響きについて考えてみます。小説や物語を読むとき、私たちは登場人物の人生や出来事を、ある程度の時間をかけて追体験します。物語の始まりから終わりまでを読み進めるあいだ、読者は「自分ではない誰かの時間」を生きることになります。登場人物が迷い、選び、後悔し、喜ぶ。その時間の流れを自分の内側に引き込み、追体験します。その結果として、「自分はいまどう生きているのだろう」と、自分自身の生き方を問い直すことになるのです。
この意味で、文学の響きはとても時間的です。ゆっくりと積み重なり、読み終えたあとも、しばらく心の中に残り続けます。だからこそ、文学は昔から「人生」や「生き方」と強く結びついてきました。文学を読むことは、他者の人生を借りて、自分の人生を考えることでもあるのです。
一方で、絵画作品が呼び起こす響きは、少し性質が違います。美術館で一枚の絵の前に立ったとき、私たちは基本的に長い物語を追いません。そこに描かれているのは、画家が感じたある一瞬の光景や構図、色彩です。画家の知覚や感受性そのものです。絵画を見るということは、画家の「視線」を借りることです。
絵画の響きは、時間というよりも「視線」に関わっています。人生を追体験するというより、世界の見え方が一度ズレる。絵を見たあと、街の色や空の形、人の表情を、前とは違って見えることができることがあれば、それは、画家の目を一瞬だけ借りたからです。
ここで大切なのは、どちらが優れているか、という話ではありません。文学と絵画は、そもそも違う仕方で私たちの感受性を揺さぶっているのです。文学は「他者の時間」を生きさせ、絵画は「他者の視線」を貸してくれる。その結果、文学は生き方に深く関わり、絵画は世界の見え方を変えます。
文学を読むこと、絵画を見ること。どちらも、「自分ではない誰かの声」を自分の中に響かせますが、その響きの正体は、文学は他社の時間を生きること、絵画は画家の見る世界を借りること、の違いに関わっているのです。
姥捨から名付けられた『更級日記』というタイトル
文・M&C編集部
僕はタイトルが持つ力を信じている。それはちょっとした呪文のようなもので、口にした瞬間に別の場所へと意識を運んでしまうのだ。
『更級日記』には、作品のなかに「更級」ということばは出てこない。
どうして「更級日記」と呼ばれているのか。
それは、作品の終盤に出てくる「月も出でで 闇にくれたる姨捨に なにとて今宵 たづね来つらむ」という歌による。
作者の菅原孝標の女が、歳を重ねてひとり寂しく暮らしているところに、甥が訪ねてくる。
そのとき甥に向けて詠んだ歌だ。
『古今和歌集』の一首「わが心 慰めかねつ 更級や 姨捨山に 照る月を見て(雑歌上、よみ人しらず)」を本歌取りしている。
信濃の更級には、姨捨山の話が伝わる。
母親を亡くした男が、母親代わりに育ててくれた伯母を、妻から責められ、山に捨ててしまう話だ。
こんな話は聞くだけで胸がざわつく。
ただこの話には救いもあって、男は夜空に浮かぶ月を見ると、伯母を山に捨て置くことは忍びず、連れて戻る。
月の光がこの残酷な話に安らぎを与える。
話を日記のタイトルに戻して、後世、この日記を読んだ人々は、作品終盤に出てくる「更級」の言葉に、特別な感情を抱いたに違いない。
いつからともなく、読者のひとりが、この日記を『更級日記』と名付けた。その人はおそらく、この日記作品が「闇にくれたる姥捨」の歌の場面にきたとき、これこそがこの日記の核心だと感じたのだ。
名前ひとつで作品の輪郭が決まることもある。これはその典型だ。
女が日記を書くということ──紀貫之『土佐日記』の挑発
文・M&C編集部
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてすなり」
平安時代の歌人・紀貫之が『土佐日記』の冒頭に記したこの一文は、日本文学史における一つの転機を宣言している。
当時「日記」といえば、漢文で書かれる男性の記録文を指していた。政治や公務に従事する男性たちは、自身の動静や時代の記録を漢文で綴った。
日記は私的な記録であると同時に、公的な文書でもあったのである。
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そこに仮名で綴られた『土佐日記』が登場する。作者はあえて「女のふり」をして筆を執った。実に挑発的な新たな文学の開幕である。
この作品の奇抜さは単に性別を偽ったことではない。より深い意味で、紀貫之は当時の「書き言葉」が持っていた社会的な性格(漢文=男、公的、権威、仮名=女、私的、感情、という構図)に、大きな一石を投げかけたのである。
仮名で日記を書くという行為自体が、権威の側に属する言語を脱ぎ捨て、私的な感情の空間に踏み込む決意表明だった。
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わたしはかねがね疑問だったが、当時の女性たちは日記を書かなかったのか?
答えは否、である。女性も日々の記録や思い綴っていたようだ。ただし「仮名で私的な日記を書く」という文学的形式は、一般化していなかった。
『土佐日記』の成立が934年頃とされるのに対し、女性が自身の生活と感情を仮名で綴った日記文学の嚆矢とされる『蜻蛉日記』(藤原道綱母)は、このおよそ40年後、974年頃に登場する。
『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』などの名作群が現れるのは、さらにその後、11世紀である。
つまり、『土佐日記』は女性仮名日記文学の時代を予告する、いわば日記文学の「原点」に位置づけられる作品である。
しかも、その先駆者は男性であり、あえて女性のふりをした。もちろん、紀貫之は悪ふざけで女性のふりをしたのではない。言葉のジェンダー的境界線を意識的に横断し、文学の新たな可能性を切り拓いたのである。
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彼の筆致は、時にユーモラスで、時に哀切で、格調を保ちつつも柔らかい。それは漢文にはない抒情性と、仮名が持つ音声的なリズムに支えられている。
こうした表現の豊かさが、後の女流日記文学に継承されることとなる。貫之の試みがなければ、『蜻蛉日記』のような作品が現れたかどうか。こうした「歴史のIF」を考えるのは楽しい。
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もう一つ興味深いのは、『土佐日記』が「旅の記録」であるという点である。任地である土佐から京への帰還を綴った本作には、旅の困難、別れの悲しみ、船旅の不安、故郷への憧憬が織り込まれている。
これらの感情は、漢文の記録文では捉えきれないものだった。仮名だからこそ、あるいは「女の視点」を装ったからこそ、細やかに描き得た情緒がここにはある。
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文学における「私」とは、常に虚構を孕んだ存在である。貫之がなぜ女性の視点で書いたのかという問いは、文学的戦略として捉えるべきだろう。
貫之は、仮名で書くための「必然」として、女という仮面を必要とした。仮名で書くこと、それ自体が傍流であった時代において、女性性はそのの「新規性」を担保する役割を果たしたのである。
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現代の視点から見ると、『土佐日記』はジェンダー論的にも、メディア論的にも、実に多義的なテキストである。
男性が女性を演じることで初めて書けた日記。仮名という言語で初めて拓かれた感情の領域。そこにあるのは、言葉と性、権力と感情のせめぎあいである。
紀貫之は漢詩人であり官人でありながら、仮名で書くという選択をした。そして、そのために「女性の目で見る」ことを選んだ。
この逆説的な構造が、『土佐日記』を不朽の名作たらしめている。
貫之が拓いた仮名文学の地平の先に、やがて紫式部や清少納言が立ち現れることは、彼は予想しなかったであろう。
自分という存在の手触りーー文学と芸術の根源的意義
文・M&C編集部
人はなぜ、物語を語り、絵を描き、音を奏でるのか。水や食糧や住処と違って、芸術は人を生かさない。にもかかわらず、いや、むしろだからこそ、文学や美術は人間の歴史において、途切れることなく存在してきた。
洞窟の壁に描かれた野牛の群れ、古代叙事詩に詠まれた神々の戦い、ルネサンスの聖母子像、現代の抽象絵画、あるいは能楽の謡、ポップミュージックの歌詞。
表現の形は時代とともに移ろうが、これらの背後にある「問い」は一つである。「人間とは何か」。
芸術を鑑賞することの意義は、感性を磨くことでも、社会の矛盾に気づくためでもない。それらは確かに大切な側面ではあるが、本質ではない。
真の意義は、私たちが生きるこの世界と、この不可思議な「私」という存在について、言葉にならぬ問いを持ち、対峙する営みにある。
たとえば、カフカの『変身』を読んだとき、我々は不条理の深淵に引き込まれる。朝目覚めると虫になっていた男の話は、荒唐無稽であると同時に、どこか心の奥に深く刺さる。
あれは何だったのか。家族との断絶か、自己喪失か、あるいは存在そのものの意味の崩壊か。明確な答えはない。だが、その「わからなさ」こそが、私たちを内なる思索へと導くのだ。
芸術作品とは、言葉で説明できる以上の何かを抱えた存在である。むしろ、言葉にならないものを言葉に近づけようとする果てしない試みとすら言えるだろう。
それゆえ、作品を前にする者は、常に問い返される。「あなたは、あなた自身の存在をどう捉えているのか」と。
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近年、芸術は教育、福祉、地域活動など多様な領域と結びつき、「役に立つ芸術」が強調される傾向がある。それは歓迎すべき展開だ。
しかし、注意しなければならないのは、そうした「効能」にばかり目を向けると、芸術が本来持っている「不必要であることの必要性」が見失われる危険がある。
たとえば文学。「読書の効用」が語られるとき、それは語彙力の増強、論理的思考力の向上、教養を高めるといった実利的な側面に偏りがちだ。
だが、読書の本質は、意味や価値が容易には言語化できない領域ーーたとえば「死とは何か」「幸福とは何か」「赦すとは何か」といった、人生の根底を揺さぶる問いにある。
こうした問いは、日常の中では避けがちである。忙しさや快適さのなかで、私たちはつい耳を塞いでしまう。
だが、文学や芸術は私たちを容赦なくそられの問いに引き戻す。カラヴァッジョの陰影が、芥川龍之介の一文が、不意に心の奥底に「何か」を残して去っていく。
それは、慰めや答えではない。むしろ不安やざわめき、違和感かもしれない。だが、それらの感情こそが、人間であることの証ではないだろうか。
文学を読むということ──その行為の深奥と意義
文・M&C編集部
いま、私たちは目まぐるしく情報が飛び交う時代に生きている。SNSのタイムラインを数分見渡せば、世界の動向、他者の私生活、企業の宣伝、果ては名もなき人々の怒りや歓喜までが、怒濤のように押し寄せる。
そんな時代にあって、「文学を読む」という行為は、どこか遠いところの行為に思えるかもしれない。だが、果たして本当にそうなのだろうか。
いやむしろ、この混迷と情報過多の時代だからこそ、文学作品を読むことの意義は一層大きなものとなっているのではないか。
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文学は、単なる物語の供給装置ではない。もちろん、物語としての娯楽性やカタルシスは文学の大切な要素の一つだ。だがそれは文学の表層に過ぎず、その奥にはもっと深い、精神の対話と再構築の場が広がっている。
読書とは、言語という枠組みを通じて、他者の思考と感情の流れに自らを浸す行為である。つまり、「読む」とは一つの擬似的な生を生きること、他者の視点を自分の中に一時的に宿すことであり、それが可能なのは、実は文学という形式ならではなのである。
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たとえば、夏目漱石の『こころ』を読むとき、私たちは明治という時代の終焉と、個人の内面が自我という名で自覚されはじめた頃の不安と痛みを体験する。
太宰治の『人間失格』に触れたとき、そこに描かれるのは単なる破滅ではない。社会からの疎外、自己の欺瞞、そしてそれでもなお生きようとする一筋の願いであり、読者はその“どうしようもなさ”の中に、奇妙な安らぎと親密さを感じ取ることすらある。
文学は、そうした「自分ではない誰か」の声を、自分の中に響かせることで、読者の内部に新たな視野や感受性を呼び起こす。
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また、文学は歴史や政治、社会構造に対する一つの批評装置でもある。
カフカの『変身』を読むとき、そこには個人が社会制度や家族から疎外されていくプロセスが寓意として込められている。村上春樹の作品群を通しては、現代日本社会における喪失感や孤独、記憶のねじれといった主題が繰り返し現れる。
文学は、社会の深層に流れる空気や感情の潮流をすくいあげ、時に明示的に、時に寓意として私たちに投げ返してくる。読むとは、そうしたメッセージを受け取り、自らの内なる現実と照らし合わせる知的営みでもあるのだ。
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さらに、文学は「言葉」への感性を育む。人間は言葉によって思考する。ならば、言葉の豊かさや精緻さは、そのまま思考の深さや幅に直結する。
優れた文学作品は、読者に繰り返し問いを投げかける。それは読解という知的作業であると同時に、自らの思考様式を相対化し、他者との差異を認識するための訓練でもある。
多様な言葉と表現に触れることで、私たちは「考える」ことの多様性を学び、それが対人関係や社会生活における他者理解や寛容にもつながってゆく。
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この点において、文学作品はしばしば「役に立たない」と誤解される。たしかに文学は、即効的な知識や技術を提供するものではない。
だがそれは、たとえば音楽や絵画が「役に立たない」と言われるのと同じ誤謬である。文学の効能は、時間をかけて心の深い層に染み渡るものなのだ。
そこでは、共感の力が育ち、違和感への感度が研ぎ澄まされ、「生きるとは何か」という根源的な問いが、静かに、しかし確かに読者の内側に芽吹く。
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現代において、SNS上の言葉が刹那的で消費されてゆくものであるならば、文学の言葉は反対に、時間の中にとどまり続けるものだ。
たとえば、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、今なお日本人の精神に沁みとおる一篇であり、〈サウイフモノニ/ワタシハナリタイ〉という結語は、繰り返し引用されてきた。
こうした「引用される力」、すなわち文脈を越えて人々に訴えかける力こそ、文学の持つ時間的強度と言えるだろう。
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そして最後に、文学は読者に「自分を読む」ことを促す。
優れた小説や詩は、しばしば鏡のように働く。主人公の苦悩に自分を重ね、詩のひと行にかつての記憶が蘇る。
読むとは、他者を通じて自己へと回帰する旅なのだ。
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文学は、人生の処方箋ではない。だが、人生を照らす一つの灯火ではある。
私たちが時に心を失いそうになるこの時代において、文学作品を読むという営みは、他者と世界と自己を繋ぎ直すための、極めて静かだが強靭な営為である。
芥川賞のメリットと課題
今年(2025年上半期)の芥川賞は「該当作なし」となりました。
文学賞が果たす役割や意義、そして問題点について、「芥川賞」に焦点を当てて、メリットとデメリットを具体例を交えながら書いてみます。
芥川賞を実施するメリット
① 新人作家の発掘と登用
芥川賞の最大の意義は、新人・中堅作家の発掘と社会的認知にあります。
たとえば村上龍(1976年『限りなく透明に近いブルー』)や綿矢りさ(2004年『蹴りたい背中』)など、芥川賞受賞をきっかけに一気に文壇で名が知られ、幅広いメディアに登場するようになりました。
文藝春秋社が主催することで、選考過程や結果も広く報道され、作家がメディアに乗るチャンスにもなります。
② 文学界全体の活性化
話題性が高いため、受賞作が多くの読者に読まれやすくなります。
たとえば、2015年に又吉直樹(お笑い芸人)が『火花』で受賞した際は、文芸書としては異例のベストセラーになりました。
普段は文学に触れない層にまで届くことにより、純文学の読者層の拡大という効果も期待できます。
③ 出版産業の経済的効果
受賞作は書店で大きく展開され、売上が伸びる傾向にあります。
例:2001年の金原ひとみ『蛇にピアス』なども受賞後に大きな商業的成功を収めました。
芥川賞受賞作が映像化されることも多く、書籍だけでなく映像メディアとの連携による利益も見込まれます。
芥川賞を実施するデメリット(および課題)
① 過剰な話題性と「文芸ショー化」
特に話題性のある作家(芸能人、若年女性作家など)が候補に上がると、「売れる作家を選ぶのではないか」という批判が起こります。
例:2015年の『火花』は大衆文学的とも評され、「純文学か?」という議論が巻き起こりました。
② 「賞狙い」の作品傾向
芥川賞に選ばれやすいテーマや文体があるとされ、作家がそれに合わせた作品を書く傾向があります。
たとえば「現代的テーマ(アイデンティティ、貧困、家族)」を題材にし、短中編で語りの多い小説が多くなる傾向にあるといわれます。
その結果、文学の多様性が損なわれる危険があります。
③ 「該当作なし」の影響
今回(2025年上半期)のように「該当作なし」になると、作家・読者・出版関係者の間で落胆や混乱が生じます。
「選考基準が厳しすぎるのでは」「賞の権威を保ちたいだけでは」といった批判や疑問が起こります。
特に候補作家にとっては「作品が全否定された」と感じられ、創作意欲に影響を与える可能性も考えられます。
④ メディアの過剰報道と受賞者への重圧
芥川賞の受賞後、メディアの取材攻勢や過剰な報道が、作家自身に大きなプレッシャーを与えることがあります。
例:綿矢りさや金原ひとみなど、若くして受賞した作家は「次作を書くことへの重圧」を公言しています。
「一発屋」と呼ばれることへの恐れもつきまといます。
芥川賞の存在意義と今後の課題
芥川賞は、日本の現代文学におけるもっとも注目される新人賞であり、若手作家の登竜門として今も大きな影響力を持っています。
しかしその一方で、「文学とは何か」「選考の透明性」「商業主義との距離感」といった問題が年々浮き彫りになってきています。
「該当作なし」が出るほどの厳格さを保つことで賞の権威は保たれますが、その一方で、新しい文学や挑戦的な作風をどう受け入れていくかという柔軟性も求められています。
(M&C編集部)
有一個男人離開了華麗的城市
從前,有一個男人離開了華麗的城市,來到了東方的鄉村。
東域風光壯麗,男子心酸。
村裡的一棟豪宅裡住著一位美麗的女子。
她是一位風度翩翩的女子,在農村是很少見的。
男人碰巧看到了這個女人並愛上了她。
男子向女子求婚。
女子的父親試圖拒絕男方的求婚。
父親想讓她嫁給另一個男人。
女子的母親希望她嫁給一個有地位的人。
這個男人的地位很高。
母親為他寫了一首詩。
一隻生活在鄉村的小鳥
當我的心獻給你時
用可愛的聲音唱歌
那男人作了一首這樣的詩作為回應。
一隻小鳥
嘰嘰喳喳地想我
我會永遠記得
文学とは言葉による彫刻である
人を深くそして広く理解したいとは、誰もが持つ願いではなかろうか。
逆に言えば、他人を理解したくないと考える人は、社会的に生存していくことは難しい。
文学作品は、人間とリアルに描く場所である。
文学作品のなかには、さまざまな人間がリアルに生きている。
わたしたちは、作品のなかに生きている人物に会いに作品を読むのだともいえる。
文学者は、生き生きとした人間を作品のなかにつくりあげる。
何によってかつくるかといえば、言葉だ。
文学者は言葉によって人物を造形する。
彫刻家は太い丸太を自分の前に立てて、そこにノミで少しずつ削って人物を削り出す。
文学者はまさに彫刻家のように、言葉というノミを使って、少しずつ人物を掘り出していくのだ。
About Haruki Murakami’s Literature (Writing Style)
A few days ago, I wrote an article about Haruki Murakami’s works.
Therefore, I wrote that Haruki Murakami is particular about his writing style.
Furthermore, I wrote that although it seems that he is particular about his writing style, I cannot feel the energy that would move the soul of the reader.
Today, I would like to think a little more about the writing style of Haruki Murakami’s works.
I read somewhere that when Haruki Murakami made his debut, he gained acclaim for his writing style, which was different from previous literature.
I imagine that it was popular for its light, jazz-like music, and novel figurative expressions.
Actually, when I first read Haruki Murakami’s work, I didn’t find the writing style new.
I guess my sensitivity to Haruki Murakami’s works is dull.
I vaguely thought that even if the writing style was new, if the theme and content lacked substance, the work would have little value.
But then I suddenly remembered that Futabateishimei who was Meiji era novelist and translator, wrote “UKIGUMO(floating clouds)” in a colloquial style which is unification of the spoken and written languages.
The invention of a colloquial style has now become an important event that defines an era in literary history.
I just don’t feel the same way about Haruki Murakami, but 100 years from now he may be praised as a writer who changed the style of Japanese literature.
When Futabateishimei wrote “UKIGUMO”, he first wrote it in Russian and then translated it into Japanese.
Haruki Murakami’s writing style is the same. “Norwegian Wood” was first written in Greek and then translated into Japanese.
(Moreover, Haruki Murakami wrote this while staying in Greece.)
It seems that many of his works he first wrote in English, and were translated into Japanese.
It is no coincidence that Futaba Teishimei and Haruki Murakami’s writing methods are the same.
When inventing a new style of writing, the process of translating from a foreign language can be both exquisite and extremely powerful.
村上春樹文学について〈文体〉
数日前、わたしは村上春樹作品について記事を書いた。
そこで、わたしは村上春樹は文体にこだわっている、という意味のことを書いた。
さらに、文体にこだわっているみたいだが、読む人の魂を揺さぶるようなエネルギーが感じられない、という意味のことも書いたように思う。
きょうは、村上春樹作品の文体について、もう少し考えてみたい。
どこかの記事で、村上春樹はデビューしたとき、文体がこれまでとの文学とは違うことが評判になったと読んだ。
何が評判になったのかは知らないが、ライトで、ジャズの音楽のようで、比喩表現が斬新で、といったことを指しているのだろうと想像する。
実は、わたしは初めて村上春樹作品を読んだとき、文体の新しさは感じなかった。
わたしの村上春樹作品に対する感性が鈍いのだろう。
文体が新しくても、テーマや内容に中身がなければ作品としての価値は低いと、わたしは漠然と考えていた。
でもふと、明治時代、二葉亭四迷は「浮雲」を言文一致体で書いたことを思い出した。
その言文一致体の発明が今では文学史上、時代を画する重要な出来事になった。
村上春樹もわたしが感じていないだけで、100年後には日本文学の文体を変えた作家として評価されているかもしれないのだ。
二葉亭四迷は「浮雲」を書くにあたって、はじめロシア語で書いて、それを日本語に翻訳した。
村上春樹の執筆方法も同じだ。「ノルウェイの森」は、はじめギリシア語で書いて、それを日本語に翻訳した。
(しかも、村上春樹はギリシャに滞在して執筆した)
はじめ英語で書いて、それを日本語に翻訳して執筆した作品も多いらしい。
二葉亭四迷と村上春樹の執筆方法が同じなのは、偶然ではないだろう。
新しい文体を発明するとき、外国語からの翻訳という作業は、絶妙かつ相当な威力を発揮するのだろう。
