文学を読むよろこび 「人生をどう生きるか」
文学作品をどう読むか?
わたしは長いこと、このことについて考えてきた。
そしてやっとひとつの回答を得た。
それは、現代に生きるひとりの人間として、「人生をどう生きるか」というアプローチから読むということだ。
それについては、以下の記事で書いた。
https://mc-mc.co.jp/archives/3954
しかし、この記事を読んでくれている皆さんのなかには、「人生をどう生きるか」を考えるために読むとは、それは「道徳」を身につけるために読むことではないかと思う人もいるかもしれない。
確かに、文学作品のなかには道徳的な作品もある。
また、子どものころ、道徳的な読み方をおとなから求められた経験を持つ人もいるかもしれない。
わたしは、文学作品を読むとは、「道徳」から解放された場所で考えなければないないと思う。
文学を読むことにおいて「人生をどう生きるか」と「道徳」とは、分けて考えないといけない。
自分の人生を大切に考える人ならば、人間について少しでも深くそして正しく理解したいという願いを持つであろう。
自分自身の人生経験は限られている。
自分の経験だけでは、経験の量が少なすぎて、人間を豊かに知ることはできない。
文学は人間をリアルに描く。
文学を読むことで、人間を豊かに理解することができる。
人間を生き生きと描く作品を読むとき、わたしたちは文学を読むよろこびを、こころから感じることができる。
このよろこびのなかにこそ、「人生をどう生きるか」を考えるきっかけが散りばめられているのである。
我們如何閱讀文學作品?
前幾天,我寫了一篇關於閱讀文學的樂趣和意義的文章。
我在這裡寫到,閱讀文學的目的是為了獲得對人性的深刻而豐富的理解。
https://mc-mc.co.jp/archives/3954
這裡重要的是,理解人類不應該最終成為一種智力興趣。
我想要對人性有深刻而豐富的理解——只有當它得到作為一個生活在當今時代的人的周圍環境中「我應該如何生活」的意識的支撐時,這種願望才變得珍貴。
反過來說,只有在現代條件下思考“我該如何生活”,我們對人性的理解才具有活生生的意義。
一部好的文學作品就是能讓我們思考這些事情的作品。
How to read literary works?
A few days ago, I wrote the following article about the joy and significance of reading literature.
Here I wrote that the purpose of reading literature is to gain a deep and rich understanding of humanity.
https://mc-mc.co.jp/archives/3954
The important thing here is that understanding humans should not end up being an intellectual interest.
I want to have a deep and rich understanding of humanity – this desire becomes precious only when it is supported by the awareness of “how should I live my life” in the circumstances surrounding us as a person living in the present era.
Conversely, it is only through thinking about “how do I live my life” in modern conditions that our understanding of humanity can have a living meaning.
A good literary work is one that makes us think about these things.
文学作品をどう読むか?
わたしは数日前、文学を読む喜び、読む意義について書いた以下の記事で、文学を読むとは、深く豊かに人間を理解するためだと書いた。
https://mc-mc.co.jp/archives/3954
ここで大事なのは、人間を理解するということを、知的な興味に終わらせてはいけないということだ。
人間を深く豊かに理解したいーーこの想いは、いまの時代に生きるひとりの人間として、いまを取り巻く状況の中で「自分はいかに生きるか」という意識に支えられてこそ貴いものとなる。
逆に言えば、現代の状況のなかで「自分はいかに生きてゆくか」と考えることをとおしてのみ、人間への理解は生きた意味を持ってくる。
いい文学作品とは、こういうことを考えさせてくれる作品のことである。
文学を読む喜び、読む意義とは?
文学をどう読むか?
わたしは、現代に生きるひとりの人間として、「人生をどう生きるか」というアプローチから読みたい。
「どう生きるか」とは、狭い意味の「道徳」ではない。
むしろ文学は、既存の道徳に対して疑問を突き付ける作品が多い。
人間はただたんに「ここにある」という存在ではなくて、「何者かになろう」とする存在である。
文学における「どう生きるか」とは、この「何者かになろう」とする意識と無関係ではない。
文学を読むことで、人間を広くそして深く理解できる。
文学を読むことの意義は、より深く人間を知ろうとする願いと、人生をいかに生きてゆくかという決意につながるのである。
What is the joy and significance of reading literature?
How do we read literature?
As a person living in modern times, I would like to read from the approach of “how to live life”.
“How to live” does not mean “morality” in a narrow sense.
Rather, there are many works of literature that pose questions to existing morality.
Human beings are not just being, but “becoming something”.
“How to live” in literature is not unrelated to this desire to “become someone”.
By reading literature, you can understand people broadly and deeply.
The significance of reading literature is that it leads to a desire to know people more deeply and a determination as to how to live one’s life.
村上春樹の作品について(令和6年4月14日)
わたしの肌感覚ですが、村上春樹の人気が衰えません。
日本だけでなく、世界で読まれています。
きょうは、村上春樹の作品が人気なのは、わたしにとって違和感があるという話をしてみます。
あくまで私個人の印象の話です。
わたしは「ノルウェイの森」といくつかの短編を通読し、ほかの作品は拾い読みです。
これしか読んでいないのですから、村上春樹作品について書くのは躊躇したのですが、わたしと同じような違和感を持っている人はほかにも結構いることを知り、きょう現在の所感として書いてみることにしました。
作品を読んでの印象ですが、「ノルウェイの森」もほかの短編も面白かったです。
「ノルウェイの森」は「僕」が語る世界観が個人的には嵌りましたし、短編もそれぞれの世界観が楽しめました。
時間があれば、通読はしなくても、気に入った個所を何度も何度も読み返したい作品ばかりでした。
つまりは、わたしにとっては、とても評価が高い作品でした。
でも、何かが物足りないと感じました。
そこが、わたしの抱いている違和感なのだと思います。
確かに面白いけれど、何かが足りない。
しかし世界的に高い評価をされている。どうしてなのか?
わたしの違和感とは、こんなようなものです。
村上春樹作品は、そこで何が語られているかよりも、どう語っているか、つまり文体が大事なようです。
机に向かって、英語で書き上げた一章ぶんくらいの文章を、日本語に「翻訳」していきました。翻訳といっても、がちがちの直訳ではなく、どちらかといえば自由な「移植」に近いものです。するとそこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきます。
(村上春樹『職業としての小説家』 スイッチ・パブリッシング 2015年)
この文章を読んで、村上春樹作品に対して長年抱いていた疑問が氷解した気がしました。
村上春樹は日本語の新しい文体を追求していたのです。
「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさし・・・・だ。」
(村上春樹『風の歌を聴け』)
村上春樹の作品からは作家の情熱、熱量といったものが感じらにくいです。
その原因はこの「ものさし」にあるのかもしれません。
「ものさし」で測られた距離感からつくられた作品世界も、わたしが抱く違和感のひとつです。
夜中の3時に寝静まった台所を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことができない。
そして、それが僕だ。
(村上春樹『風の歌を聴け』)
この引用も、村上春樹の作品からは熱量やエネルギーが感じられないということを裏付けていると思います。
作品を読んでいて、魂を揺さぶられるような至福の感覚、それが村上春樹の作品にはないのです。
村上春樹作品には心が希薄です。
もっと言えば、人間存在が希薄なのです。
村上春樹はそうしたことは意識して書かないようにしているのでしょう。
村上春樹作品は好きなのですが、このような特徴を持つ作品が若い人たちから年配の方々まで、たくさんの人々から高い評価を受けているのが、個人的には大変に興味深い現象なのです。
村上春樹作品についてはまだ語りたいことがあるのですが、きょうはこのくらいにしておいて、また機会を見つけて書きたいです。
