【春の歌】色も香も 紀友則
桜の花のもとにて、年の老いぬることを嘆きてよめる
色も香も
おなじ昔に
さくらめど
年ふる人ぞ
あらたまりける
紀友則
古今和歌集、春歌上に所収の歌。
詞書にあるように、桜の花を前にして、年をとって老いてしまった心境を詠んでいる。
目の前の桜は
色も香りも
昔と同じに
咲いているのであろう
(その一方で)
桜を見ている年を取った自分は
すっかり変わってしまった
この歌は一読して、桜は昔と変わらないのに、自分は年を取って老けてしまった、と対比をを詠んでいることは分かると思う。
ただ、使われている言葉を細かく見ていくと、もっと味わいが深くなる。
「さくらめど」には、「桜」と「咲く」の両方を詠み込んでいる。
「らむ」は、目の前にある桜の色と香りは、むかしと同じであろう、と推量している気持ちをあらわす。
「あらたまる」は、新しくなるというのが一般的な意味だが、ここでは少し違う用法である。
この歌で紀友則は、劉希夷の漢詩、
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず
の発想を下敷きにしている。
人が「あらたまる」とは、年老いる悲しみであると詠んだ。
「年ふる」の「ふる」は年老いるということだが、それが「あらたまる」=新しくなるという矛盾が、我々現代人にとって、この歌の鑑賞をややこしくしているが、この矛盾が歌を味わい深いものにしている。
古今和歌集について
「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。
醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。
ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。
撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。
その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。
古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。
その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。
世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。
世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。