春の名歌10選
和歌を読むと、日本の文化、美意識、日本人の気持ちがとてもよく分かる。
奈良時代という遠い昔に詠まれた歌も残っている。
それからずっと今に至るまで、人々は歌を詠んできた。
この偉大な文化財産に触れないのはもったいないと思う。
わたしの和歌アンソロジーである。
☆ ☆
春の野に
すみれ摘みにと
来(こ)し我ぞ
野をなつかしみ
一夜(ひとよ)寝(ね)にける
山部赤人
●現代語訳
春の野に
すみれ摘もうと来たわたし
野辺の様子があまりに美しく
一晩を野で明かしてしまった
●語句
・なつかしみ
美しい、心惹かれる
●鑑賞
春先に野に出て若菜を摘むのは、大地のエネルギーに触れる神聖な儀式とでもいえるものであった。
☆ ☆
梅の花
今盛りなり
おもふどち
かざしにしてな
今盛りなり
筑後守葛井大夫(ふぢゐのだいぶ)
●現代語訳
梅の花は
今が盛り
親しい皆様
髪に挿しましょう
今が花盛り
●語句
・おもふどち
気の合った人、親しい人
●鑑賞
春になると、男女は野に出て、咲く花を摘んで髪に挿して飾った。
植物の生命力を自身に取り込もうとしたのだ。
万葉集以前の古代人の話である。
この時代になっても、その風習は残っていた。
大地のエネルギーを取り込もうとするより、風流な遊びとしてであるが。
☆ ☆
ひさかたの
光のどけき
春の日に
しづ心なく
花の散るらむ
紀友則
●現代語訳
日の光がこんなにも
のどかに照っている春の日
桜の花はどうして落ち着かない様子で
散っているのだろう
●語句
・光のどけき
「のどけき」は、のんびりとしている様子。
・しづ心
漢字で書けば「静心(しづごころ)」で、「落ち着いた心」という意味になる。
●鑑賞
柔らかな春の日差しの中、桜の花びらはせわしなく散っていく。
眼前に情景がぱっと広がるとてもビジュアル的な歌である。
同時に、散り行く桜への哀愁や、人生の無常観も感じられる。
☆ ☆
おもふどち
春の山べに
うちむれて
そこともいはぬ
旅寝(たびね)してしが
素性法師(そせいほうし)
●現代語訳
仲の良い友人同士
春の山辺に
連れだって
どこということもなしに
旅寝をしたい
●語句
・おもふどち
仲の良い友人同士。
・そこともいはぬ
どこということもなく。
・旅寝(たびね)
旅に出て寝ることだが、遠くへ旅立つだけでなく、近所に行って自宅以外で寝ることも旅寝といった。
・しが
願望を表す。
●鑑賞
仲の良い友人同士で、春の山辺に連れだって行って、場所も特に決めずに行った先で、楽しくひと晩を明かしたいものだ、という内容で、特に深い意味は込められていない。
内容は深くはないが、素直な情緒が込められていて、当時の貴族の雰囲気がしのばれる。
☆ ☆
春の夜の
夢の浮橋
とだえして
峰にわかるる
横雲の空
藤原定家
●現代語訳
春の夜の
儚い夢から
目覚めると
山の頂から
横にたなびく雲が離れていく
●語句
・夢の浮橋
夢の中に出てきた、浮橋のようにあぶなっかしい渡り道。
あるいは、浮橋のように揺れる、はかない夢。
わたしは、この「夢の浮橋」のように、言葉の意味をぎゅっと凝縮したような語句が、とても和歌らしく思えて好きなのだ。
・峰に別るる
解釈が分かれる言葉である。
ひとつは「峰から雲が離れていく」という意味。もうひとつは「雲が峰によって分断され、左右に別れていく」という意味だ。
どちらにしても「離れ離れになる」というイメージである。
・横雲の空
横にたなびくように広がる雲。これも「横」「雲」「空」というみっつの言葉が凝縮して意味を作り上げている、とても和歌らしい言葉であり、わたしは好きなのだ。
●鑑賞
一見すると、朝起きて、目の前にある山と雲の様子を詠んだだけの歌だ。
しかし、この歌には、恋しく思う人と離れ離れになって会えない苦しさや切なさが表現されている。
「春の夜」「夢の浮橋」「わかるる横雲の空」などのフレーズは、はかなさ、頼りなさなどを思い起こさせ、幻想的、夢幻的な雰囲気を漂わせている。
わたしは、こういう幻想的な歌が好みである。
☆ ☆
さくら花
ちりぬる風の
なごりには
水なき空に
波ぞ立ちける
紀貫之
●現代語訳
桜の花が散っていく
その風の“なごり”には
まるで水が無い空に
波が立っているようだ
●語句
・なごり
桜の花が散ったあとの「余韻」と考えれば、少しは分かりやすいと思います。
風が吹いて花びらを散らせた。風はやんだが、枝から離れた花びらは、ひらひらと空(くう)を舞っている。
その状況を、風がやんだあとにも残っている波のようだと表現しているのだ。
●鑑賞
この歌の鑑賞ポイントは、花が散っている状態を「水がない空に波が立っている」状態に見立てていることに気づくかどうかだ。
もう少し細かくいうと、空を海に、花びらを波に見立てている。
「見立て」とは何か?
「比喩」とはどう違うのか?
比喩とは、あるものを別のものになぞらえることだ。
例えば「君は僕の太陽だ」が比喩である。
見立てとは、あるものが別のものであるかのごとく表現することだ。
柳を糸としてみたり、雪を花としてみたり、これらは日本文学を大いに発展させた。
文学だけでなく、落語でそばを食べるとき、扇子を箸として演じるのも見立てである。
見立ては、日本の文学と文化には欠かせないものなのである。
☆ ☆
春ごとに
花のさかりは
ありなめど
あひ見むことは
命なりけり
●現代語訳
春が来るごと
見事な花を咲かせるのだろう
それに比べて
花を見る人のほうは
毎年咲く花に出会うことは
生きているからこそ
●語句
・ありなめど
あるだろうけれど
●鑑賞
春になると花は咲き誇るけれど、それを愛でることができるのは命あってこそだ。
作者自身、間もなく訪れる死を感じ取っていたのであろうか。
☆ ☆
鶯の
声なかりせば
雪消えぬ
山里いかで
春を知らまし
藤原朝忠
●現代語訳
もしも鶯が
鳴かなかったら
雪が消え残る山里は
どうして春の到来を知ろうか
●語句
・春を知らまし
直前の「いかで=どうして」と呼応して、春を知ることはないでしょう、という反語の表現。
●鑑賞
山では、春の季節になったといっても、雪がまだ残っているほど寒い。
そんなところでは景色を眺めても春の兆しは感じられない。
でも鶯の声を聞けば、春の到来を実感できる。
視覚は冬、聴覚は春を感じているのである。
☆ ☆
春の鳥
な鳴きそ鳴きそ
あかあかと
外(と)の面(も)の草に
日の入(い)る夕(ゆうべ)
北原白秋
●現代語訳
春の鳥よ
そんなに鳴かないでおくれ
外の草原(くさはら)に
あかあかとした夕日が
沈もうとしている
●語句
・な鳴きそ鳴きそ
鳴かないでおくれ、という意味。
「な」~「そ」で禁止を表現する。
●鑑賞
わたしは春が嫌いである。
どうしてか。
春の温かい風を感じると、理由は分からないが不安になり、死にたくなるのである。
特に夕焼けを見ると、胸が張り裂けそうになり、いたたまれなくなる。
だからこの歌は、実感を伴って鑑賞できる。
☆ ☆
いたつきに
三年こもりて
死にもせず
又命ありて
見る桜かな
正岡子規
●現代語訳
病気となって
三年間もこもっていたけど
死ぬこともなく
また命がつながり
見ることができた桜よ
●語句
・いたつきに
病気で
●鑑賞
子規は結核を患い、徐々にほかの病気にもなり、晩年は寝たきりになった。
寝たきりの自分が、死にもせずまた桜が見られたと、自虐的に詠っているけれど、それでいてどこかユーモア味もある。