姥捨から名付けられた『更級日記』というタイトル
文・M&C編集部
僕はタイトルが持つ力を信じている。それはちょっとした呪文のようなもので、口にした瞬間に別の場所へと意識を運んでしまうのだ。
『更級日記』には、作品のなかに「更級」ということばは出てこない。
どうして「更級日記」と呼ばれているのか。
それは、作品の終盤に出てくる「月も出でで 闇にくれたる姨捨に なにとて今宵 たづね来つらむ」という歌による。
作者の菅原孝標の女が、歳を重ねてひとり寂しく暮らしているところに、甥が訪ねてくる。
そのとき甥に向けて詠んだ歌だ。
『古今和歌集』の一首「わが心 慰めかねつ 更級や 姨捨山に 照る月を見て(雑歌上、よみ人しらず)」を本歌取りしている。
信濃の更級には、姨捨山の話が伝わる。
母親を亡くした男が、母親代わりに育ててくれた伯母を、妻から責められ、山に捨ててしまう話だ。
こんな話は聞くだけで胸がざわつく。
ただこの話には救いもあって、男は夜空に浮かぶ月を見ると、伯母を山に捨て置くことは忍びず、連れて戻る。
月の光がこの残酷な話に安らぎを与える。
話を日記のタイトルに戻して、後世、この日記を読んだ人々は、作品終盤に出てくる「更級」の言葉に、特別な感情を抱いたに違いない。
いつからともなく、読者のひとりが、この日記を『更級日記』と名付けた。その人はおそらく、この日記作品が「闇にくれたる姥捨」の歌の場面にきたとき、これこそがこの日記の核心だと感じたのだ。
名前ひとつで作品の輪郭が決まることもある。これはその典型だ。
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