【愛国の歌】御民(みたみ)われ 海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかいのすくねおかまろ)

御民(みたみ)われ
生ける験(しるし)あり
天地(あめつち)の
栄(さか)ゆるときに
遇(あ)へらく思へば

海犬養宿禰岡麻呂

作者の海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかいのすくねおかまろ)という名前は、古代史や古代文学に関心ある人でも聞き覚えのないことであろう。

この歌は万葉集に採られている。
そこの詞書には「詔(みことのり)に応(こた)ふる歌」とある。
聖武天皇の詔に応えた歌である。

作者は聖武天皇に仕えていたと思うが、それ以外は一切分かっていない。

「御民われ生ける験あり」、この国の民として生まれてきた甲斐がある、という実感。

そして「天地の栄ゆるときに遇へらく思へば」、天地が栄えているときに生きていることへの感謝。

こう思えるよう、日々の精進に務めたい。




Posted on 2024-03-21 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】旅人の 遣唐使の母

旅人(たびびと)の
宿りせむ野に
霜降らば
わが子羽ぐくめ
天(あめ)の鶴群(たづむら)
遣唐使の母

天平五年(733)、遣唐使が難波から旅立った。
難波の場所は、大阪市中央区の三津寺に比定されている。

使節一行の母親は、この歌を我が子に贈った。

大空の鶴の群れに、旅先で我が子が霜に濡れるようなら、その大きな翼で包んで守ってほしい、と祈った。




Posted on 2024-03-19 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】千万の 高橋虫麻呂

千万(ちよろづ)の
軍(いくさ)なりとも
言挙(ことあげ)せず
取りて来ぬべき
男(をのこ)どぞ思ふ
高橋虫麻呂

この歌で一番こころに響くのは「言挙せず」である。

古来、日本は神国であり、一切を見ておられる神がいる。

神慮に背かないかぎり栄えていく。すべては神慮のままにあるべきで、とりたてて言う必要はない。

言葉には精霊が宿っている。

これは私たちの信仰でもある。

藤原宇合(うまかい)が西街道の節度使として派遣されたとき、壮行の歌である。

歌の意味は、

「たとえ相手が千万の軍勢でも、あなたはあれこれと言わず、必ずや打ち取ってくると信じている」

であり、勇士への信頼がほとばしっている。




Posted on 2024-03-18 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】我が園に 大伴旅人

我が園(その)に
梅の花散る
ひさかたの
天(あめ)より雪の
流れくるかも
大伴旅人

天平二年(730)、太宰府の長官である大伴旅人は部下を集めて梅花を愛でる宴を催した。
大伴旅人はこの宴で、この歌を詠んだ。

庭に散る梅の花を、天から流れ来る雪に見立てている。




Posted on 2024-03-17 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】天地の 山部赤人

天地(あめつち)の
わかれし時ゆ
神(かむ)さびて
高く貴き
駿河(するが)なる
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)を
天の原
ふり放(さ)けみれば
渡る日の
影もかくらひ
照る月の
光も見えず
白雲の
い行(い)きはばかり
時じくぞ
雪はふりける
語り継ぎ
云ひ継ぎゆかむ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)は

反歌

田子(たご)の浦ゆ
うち出でてみれば
真白(ましろ)にぞ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に
雪はふりける
山部赤人




Posted on 2024-03-15 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】ますらをの 元明天皇

ますらをの
鞆(とも)の音(おと)すなり
物部(もののふ)の
大臣(おほまへつき)
楯(みたて)立つらしも
第四十三代 元明天皇

元明天皇は天智天皇の第四皇女でいらっしゃる。

天皇の御治世、和同開珎が発行され、平城京に遷都され、「古事記」が完成した。

「鞆」とは、弓を射る時に左手首の内側につけて、矢を放ったあと、弓の弦が腕に当たるのを防ぐ道具だ。

「大臣」は将軍である。

「楯立つらしも」は楯を立てているらしいの意。

将軍が堂々と陣容を整えている様子が目に浮かぶ。




Posted on 2024-03-13 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】東の 柿本人麻呂

東(ひむがし)の
野に炎(かぎろひ)の
立つ見えて
かへり見すれば
月傾(かたぶ)きぬ

柿本人麻呂

柿本人麻呂は古来、歌聖と言われる。
わたしは歌の専門家ではない。
趣味で昔からときどき、和歌を読んで楽しんでいた。
読むだけで、詠んではいない。

柿本人麻呂が和歌歴史上、最高の歌人というのは知っていたけれど、ピンとこなかった。
ここにきて(令和6年3月である)、柿本人麻呂の歌が素晴らしいと思えてきた。

この歌は、軽皇子(かるのみこ)が安騎野(あきの、奈良県の宇陀)で御狩をされたとき、随従していた柿本人麻呂が詠んだ歌である。

東の野に、あけぼのの光がさしてきた。
振り返ると、月は西の山の端に入ろうしていている。

雄大な自然のなかに、これから御狩が始まる緊張が伝わってくる。




Posted on 2024-03-10 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】大和には 舒明天皇

大和(やまと)には
群山(むらやま)あれど
とりよろふ
天(あま)の香具山(かぐやま)
登り立ち
国見(くにみ)をすれば
国原(くにはら)は
煙(けぶり)立ち立つ
海原は
鷗(かまめ)立ち立つ
うまし国そ
蜻蛉島(あきづしま)
大和の国は

舒明天皇

「とりよろふ」はいろいろな意味に解釈されているが、ここでは、とりわけ立派な姿をしたの意味にとっておく。

舒明天皇は香具山に登り、国見(国の姿をご覧になること)をされた。

国見は国の姿をご覧になることでもあるが、同時に、国が豊かにならんことをお祈りになる儀式でもある。

香具山からご覧になると、広々とした平野には、カマドの煙があちこちに立っている。

広がる水面には、かもめが飛び交っている。

素晴らしい国である、この大和の国は。

いま香具山から眺めると、広がる水面が見えるのだろうか。

わたしは香具山に登ったことがないので分からない。

当時は水面が広がっていたのかもしれない。

この歌は一見すると、天皇が眼前の風景を詠んだ歌に思えるがそうではない。

国見は天皇の儀式であり、祈りである。

実際にカマドの煙も立っていて、水面が広がっていたのかもしれないが、民が幸せになり、国が豊かになることを神にお祈りされたのである。

舒明天皇が登られた香具山は、天上界にいる神ともっとも近い場所なのだと思う。

舒明天皇は第三十四代天皇でいらっしゃる。西暦でいうと、7世紀前半である。

21世紀になっても、天皇陛下は民の幸せを、お言葉で述べられたり、歌で詠まれたりしている。

1400年を経ても、天皇のお心は変わらない。




Posted on 2024-03-05 | Category : コラム, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】しなてる 聖徳太子

しなてる
片岡山に
飯(いひ)に飢(ゑ)て
臥(こや)せる
その旅人(たびと)あはれ
親無しに
汝(なれ)生(な)りけめや
さす竹の
君はや無き
飯に飢て
臥せる
その旅人あはれ

聖徳太子

太子は斑鳩の西南にある片岡山に行かれた。

途中、道のほとりに旅人が飢えて倒れていた。

太子は近寄り名前を聞いた。

しかし、旅人はうずくまったまま答えない。答える気力さえないのであろう。

太子は食べ物を与えて、身にまとっておられた衣を脱いで、旅人の肩にかけた。

「安く臥(こや)せ(安らかに休むのですよ)」

優しく声を掛けた。

このとき、この歌をお詠みになった。

「万葉集」に収められ、後世に伝わっている。

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「しなてる」は「片岡」の枕詞。

「親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや」は、親がなくて、生まれてきたのではなかろう。

「さす竹の」は「君」の枕詞。

「君」は諸説ある。使える君主、あるいは妻や恋人。

使える君主はいないのか、あるいは愛しい妻はいないのか。

太子は次の日、おつきの者に、旅人がどうなっているか見にいかせた。

残念ながら、旅人は死んでいた。

太子は大層悲しみ、塚をつくって葬った。




Posted on 2024-03-04 | Category : コラム, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】八雲立つ 須佐之男命

八雲立つ
出雲八重垣
妻ごみに
八重垣つくる
その八重垣を
須佐之男命

須佐之男命は高天原で乱暴を繰り返し、姉君天照大御神から高天原を追放されてしまった。

出雲に降り立った須佐之男命は、これまでの乱暴を悔い改めたのか、心優しい勇猛な神となり、老夫婦を苦しめていた大蛇を退治する。

老夫婦の娘、クシナダヒメを妻として、新たな生活を始めた。

須佐之男命はクシナダヒメとの新婚の宮をおつくりになった。

その嬉しさがこの歌には溢れている。

わたしなりにこの歌を現代語にしてみよう。

天を幾重にも覆って沸き立つ雲
大切な妻をこもらせるため
多くの垣に囲まれたこの宮を建てた
新居を包む壮大な雲の重なりよ

須佐之男命は出雲の鳥髪という場所に降りった。
グーグルマップで鳥髪を探すと、「鳥上」が出てくる。このあたりであろうか。




Posted on 2024-03-03 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed