なぜ勅撰和歌集は500年以上にわたり21集が編まれたのか?
わたしは和歌が好きである。それで、こんな疑問をかねがね感じていた。
平安時代、古今和歌集が初の勅撰和歌集として編まれたが、以降、数多くの勅撰和歌集が生まれた。
その理由は、勅撰和歌集は天皇陛下を中心とした政治的・文化的な秩序に、とても有効だったからだと思うが、それだけではなかっただろう。
古今和歌集以降、500年以上にわたって、21の勅撰和歌集が生まれたのはなぜか?
調べて分かったのは、以下の政治・制度・文化的要因が複合的に作用したためだ。
☆ ☆
天皇陛下による文化的正統性の確立および伝達
古今和歌集は天皇陛下からの下命で国家事業として編まれた最初の和歌集であり、以後「天皇が選んだ歌」を公的に示すことで、天皇中心の文化秩序を作り上げる役割を担った。
勅撰という制度は、天皇や上皇がどの歌を正統として認めるかを示す行為であり、政治的メッセージ性が強かった。
宮廷文化の規範化・歌風の制度化
勅撰という形で歌を選ぶことは、何が「正統な歌風」「良い歌」かを公的に規定することであった。
撰者(編者)の編纂基準が、後続の歌人の作法や審美を規定していった。古今和歌集の仮名序はその典型的な例だと言える。こうして歌風が世代を超えて正規化され、宮廷文学の規範が定着していった。
宮廷内の人事・流派政治
誰を撰者にするか、どの歌人の歌を収録するかは、官位、栄達、藤原氏などの政治勢力との結びつきを反映した。
勅撰集に入首することで、その歌人や家が名声と権威を得た。
その一方で、政治的に疎外された歌人や家は除外されうることになり、勅撰という行為は歌の評価を通じた人事・勢力調整の手段となった。
宮廷社会における和歌の実用的価値
和歌は単なる趣味でなく、貴族の日常的なコミュニケーション手段であり、宴会、歌合など儀礼の核であった。
和歌の巧拙は社交・出世・評判に直結したため、歌の規範を公的に定め、学び伝える必要性が高まった。このことは勅撰集を編み続ける土壌になった。
制度的仕組み「和歌所」と「文化インフラ」
勅撰集の編纂は内裏の組織、和歌所で行われた。そこでの行為は、資料収集・選定・配列・清書・奏覧という手続きを踏む公的事業だった。
こうした制度的な仕組みがあったため、時代が変わっても勅撰での編纂が継続され、500年以上にわたり21集が編まれた。
さらに、和歌についての知識継承の仕組みが作られ、世代を超えた歌人を育成に役割を果たした。
(文・M&C編集部)
元旦 辛丑 令和三年
元旦 辛丑(かのとうし しんちゅう) 令和三年
氏神様に初詣に行きました
地域に根付いた鎮守の杜です
初春の 氏神祭る お社(やしろ)に
祈るしあはせ 千代に八千代に
気持ちは、畏れ多くも陛下とともにあります
