歴史を考えるアプローチ
私たちが歴史を考えるとき、その視線はしばしば「原因から結果へ」という一本道をたどる。おそらく、その癖は学校教育の段階で身体に染み込んでしまったのだろう。小学校から高校までの歴史教科書は、この形式で編まれていたように記憶する。
ある事件には必ず「こういう原因があった」という説明が先に置かれ、そのあとに「だからこうなった」という結論が来る。歴史の物語は、因果律をきれいに貫いた一筋の糸のように見せられる。
だが、この「原因→結果」という図式は、わたしの経験から言えるのは、あまりにも整然としすぎていて、現実が見えにくくなってしまう。
歴史とは、あらかじめ用意された脚本に沿って演じられる劇ではない。予期せぬ偶然、錯綜する利害、あるいはその時代の空気としか言いようのない心理的圧力が、複雑に絡み合って動くものだ。
さらに決定的なのは、特定の勢力による「陰謀」だ。歴史は自然現象ではない。特定の勢力が、ある目的をもって世の中を動かしている。
それを原因と結果の直線で語ると、歴史の背景にある「陰謀」が見えなくなってしまう。
そこでわたしは「結果→原因」という逆向きのアプローチをとる。たとえば、ニューディール政策。原因から結果であれば、「大恐慌が起きたからニューディールを行った」という単純な説明で済む。
だが結果から原因へとアプローチを逆向きにすると、別の風景が広がる。なぜニューディールでなければならなかったのか。他にどのような政策案があったのか。それらはなぜ採用されなかったのか。
間もなく終戦記念日だが、先の大東亜戦争で日本はなぜ真珠湾攻撃という選択肢を取ったのか。資源確保や米国との外交対立といった因果関係だけで説明することはできない。第一、真珠湾には資源がないのだ。
同じことは、冷戦期のキューバ危機にも言える。教科書的な説明は「ソ連がキューバにミサイルを置こうとしたことから米ソが極度の緊張関係に入ったが、交渉の末、危機は回避された」という流れだ。
だが結果から問い直せば、なぜソ連はミサイル基地の建設をやめたのかがテーマとなる。軍事的優位を失うリスクを甘受してまで、その道を選んだ理由は何か。その背後には何があったのか。
現代の国際情勢も、この逆向きの視点で捉えると輪郭が鮮明になる。ロシアはなぜクリミアを併合したのか。単に帝国的野心や地政学的必然だけであるまい。なぜ世界の主要メディアは一貫してプーチンを批判するのか、という問いも必要であろう。
わたしたちは原因から結果への一本道に慣れすぎた。私は結果から原因への逆行の旅に出だのである。
