朝鮮の歴史
紀元500年頃、朝鮮半島の北には大国が、南には3つの小さな国があった。
北の大国は高句麗(こうくり)だった。
南の小国は、西から百済(くだら)、伽耶(かや)、新羅(しらぎ)だった。
新羅は562年、伽耶を滅ぼした。
勢いにのった新羅は勢力範囲を北の高句麗領土へと拡大させた。
高句麗と百済は642年、新羅の勢力を抑えるため同盟を結んだ。
日本(倭)も新羅を敵とみなした。
新羅は東アジアにおいて孤立した。
新羅は、当時の支那王朝・唐に助けを求めた。
唐は新羅を助けるメリットがなかったので、助けなかった。
唐は660年、百済に侵攻した。
新羅はその動きにあわせて百済に侵攻した。
百済は滅んだ。
新羅にとっての脅威は減った。
唐は668年、高句麗に侵攻した。
新羅は百済のときと同じく、唐の侵攻にあわせて高句麗に侵攻した。
高句麗は滅んだ。
新羅は、旧百済全域と旧高句麗の一部領土を手に入れた。
高句麗は朝鮮半島初めての統一王朝になった。
676年のことだった。
渤海が高句麗の領土だった場所に誕生した。
渤海は新羅の領土の一部を奪った。
その後、新羅が朝鮮半島の大部分を治めた。
高麗(こうらい)が渤海の領土に誕生した。
高麗は新羅を滅ぼし、朝鮮を統一した。
918年のことだった。
その後、高麗が朝鮮を治めた。
13世紀、モンゴルが朝鮮に攻め込んできた。
モンゴルは1259年、朝鮮を支配下においた。
14世紀、中国大陸にモンゴルの支配を脱した明王朝が誕生した。
朝鮮半島でも高麗王朝がモンゴルの支配から脱した。
高麗内部で対立が起こった。
高麗の有力武将、李成桂(りせいけい)がクーデターを起こした。
李成桂は高麗王を倒し1392年、朝鮮が誕生した。
朝鮮という名称はこれまでたびたび使われていた。
李一族が建国した朝鮮はそれらと区別するため、李氏朝鮮と呼ばれる。
李氏朝鮮は明と良好な関係を築き、繁栄した。
中国大陸では1644年、明が滅んで清王朝が誕生した。
李氏朝鮮は清とも良好な関係を保った。
李氏朝鮮は500年以上も朝鮮半島を治めた。
ロシアがシベリア鉄道をつくり、東アジアへ進出していた。
清はロシアの東アジア進出に対して、朝鮮における支配力を強めようとした。
日本も自国の防衛のため、隣国朝鮮の安全確保が必要であり影響力を強めようとしていた。
朝鮮をめぐり1894年、日清戦争が起きた。
李氏朝鮮は1897年、国名を大韓帝国と改めた。
日本は1910年、大韓帝国を併合した。
日本は1945年、大東亜戦争において敗北し、日本の朝鮮統治が終了した。
朝鮮は連合国の管轄下に入った。
北緯38度以北をソ連軍が、以南をアメリカ軍が管轄した。
米ソ両国は1948年、それぞれ朝鮮半島で政権を誕生させた。
アメリカは、李承晩を大統領に就任させ、大韓民国が成立した。
ソ連は、金日成を首相とし、朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
アメリカのアチソン国務長官は1950年、朝鮮半島はアメリカの防衛ラインに含まないと演説した。
これを受けて北朝鮮の金日成は韓国へ侵攻した。
北朝鮮軍は圧倒的優位に戦いを進めた。
韓国軍は首都ソウルを捨てて敗走した。
北朝鮮軍は韓国のほとんどを占領した。
韓国軍の全滅と韓国の崩壊が近づいた。
アメリカは韓国を支援するため、戦争に介入した。
国連軍(実態はアメリカ軍)の支援で、北朝鮮軍を北方へ押し戻した。
北緯38度線を境界として、休戦協定が結ばれた。
現在も休戦状態であり、終戦に至っていない。