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フランスの歴史


紀元前、いまのフランスの地にはケルト人が住んでいた。
紀元前1世紀、ヨーロッパで覇権を握っていたローマ帝国がフランスの地を侵攻した。
武力に勝るローマ人はケルト人を支配した。

4世紀、ローマ帝国は東西に分裂した。
西ローマ帝国がフランスの地を支配した。

北方に住んでいたゲルマン人が、西ヨーロッパに流れ込んできた。
ゲルマン人は西ローマ帝国の領土に入り込んだ。
次第に力をつけていった。

ゲルマン人は、巨大帝国、西ローマ帝国を滅ぼした。
西ヨーロッパの地に、新たな国家をいくつも建国した。
そのひとつフランクが王国である。
フランク王国は、西ヨーロッパの大部分を支配した。
かつての西ローマ帝国のような存在となった。

フランク王国は大きくなり過ぎた。
西、東、中部の3つに分裂した。
西フランク王国は現在のフランス、東フランク王国は現在のドイツ、中部フランク王国は現在のイタリアの原型となった。

当時の西フランク王国は、国王の力は弱く、貴族の力は強かった。
そのなかでもアンジュー伯の力は大きかった。
領土を拡大させ、西フランク王国の西半分を支配した。
12世紀、アンジュー伯アンリはイングランド国王として即位した。
ヘンリー2世である。
フランスにおけるアンジュー伯の領土はイングランドの領土となった。
イングランド全土とフランス西半分、そして名目上ではあるがアイルランド全土を支配した。
その広大な領土から、アンジュー帝国と呼ばれた。

フランス王はフランス西半分がイングランド領土になったことを快く思わなかった。当然である。
フランス内のイングランド領土をめぐり、何世代にもわたる争いが起きることになった。

フランス国王フィリップ2世は、イングランド領土となっていたフランス西半分をほとんど取り返すことができた。
巨大な力と領土を持っていたアンジュー帝国は崩壊した。

その後、フランス王家が断絶した。
新たな王家が誕生しようとした。
それに対して、イングランド王は王位継承を主張した。
イングランド王はフランス王家の血筋を持っていたからである。
フランス王家は反対した。

イングランド王はフランスに軍事進攻を行った。
百年戦争の始まりである。
百年戦争は1339年に始まり、1453年まで続いた。
この戦争はふたつのフェーズに分けられる。

ひとつ目のフェーズは、フランスのフィリップ6世とジャン2世、イングランドのエドワード3世とエドワード黒太子との激戦である。
両者は激しい戦いを続けたが、ペスト蔓延のため戦いは一時中断となる。
フランスはペストにより人口の3分の1が亡くなったといわれる。
フランスもイングランドも荒廃し、戦える状態ではなくなった。
フランスでは農民反乱ジャックリーの乱が起きた。

第2フェーズは、15世紀、イングランドのフランス侵攻再開である。
フランス王シャルル6世とイングランド王ヘンリ5世が戦いの主役であった。
戦いはイングランドの圧倒的優位で進んだ。
ヘンリ5世の息子はフランス王に即位した。
イングランド軍はフランスの重要都市オルレアンを包囲した。
イングランドはフランス全土を支配する寸前までいった。
イングランドの勝利は目前であった。

しかし、ジャンヌダルクの出現により、形勢は逆転した。
神からの啓示でフランス軍を指揮した。
イングランド軍に包囲されているオルレアンを突破した。
フランスは勢いづいた。
イングランド軍はフランスから撤退した。
百年戦争はフランスの勝利で終結した。




16世紀、ドイツを中心に宗教改革が起きた。
カルバンはスイスで新たな教えを説いた。
カルバンの教えはフランスでかなり広まった。
カルバンの教えを信じるフランス人はユグノーと呼ばれた。

カトリック教会は、どんどん増えるユグノーを見過ごせなくなった。
ユグノーとカトリック教会との緊張が高まった。
ユグノー戦争が始まった。
国王は戦争をやめさせようとするがうまくいかない。
戦争はどんどん加熱していった。

数万人のユグノーが虐殺された。
フランス国内は混乱と不安が渦巻いた。
この状況をアンリ4世は打開した。
アンリ4世は自身がユグノーであった。
しかしカトリックに改宗した。
ナント王令を出し、ユグノーの信仰を認めた。
カトリックもユグノーもアンリ4世を支持した。
アンリ4世はユグノー戦争を終わらせた。

17世紀、ルイ14世が即位した。
絶対王政が始まった。
王が絶対的権力を持ち、中央集権的な政治を進めた。

18世紀、絶対王政を崩壊される事件が起きた。
フランス革命である。
当時、フランスはいくつもの戦争に参加していた。
戦費が重なった。
ルイ16世は税金制度を改革しようとした。
平民を交えた三部会を開いた。
しかし決議方法は平民に圧倒的不利であった。
平民は武力による行動を取った。
こうしてフランス革命が始まった。

ルイ16世と王妃マリーアントワネットは宮殿を抜け出し、オーストリアへ亡命しようとした。
途中、民衆が王と王妃を捉えた。
フランス国民は国を捨てようとした王と王妃に反感を募らせた。
隣国オーストリアやプロイセンは、フランスが革命が成功すると、自国でも革命が起きるかもしれないので、革命を成功させないようフランスに攻め込み、革命軍と戦った。
ルイ16世はオーストリアに協力しているのではないかという噂が飛び交った。
フランス国民は国王に失望した。
国王への襲撃を開始した。
ルイ16世とマリーアントワネットを拘束し、1793年、公開で処刑した。
フランスは王政が終わり、共和制へとなった。

ルイ16世が処刑された知らせは、ヨーロッパ各国に広がった。
自国が共和制になること望まないイギリス、オーストリア、プロイセンなどは同盟を結び、フランスを攻撃した。
フランスは窮地に陥りそうになった。
フランス国民は強力なリーダーを求めた。
ロベスピエールが現れた。
ロベスピエールは恐怖で人々をまとめようとした。
ロベスピエールの考えに危機感を持った人たちがクーデターを起こした。
クーデターは成功した。
ロベスピエールはギロチンの露と消えた。

イギリス、プロイセンなどはフランスに侵攻した。
フランスは複数の権力者を立てて、権力の集中が起こらないような取り組みもなされたが、うまくいかなかった。
フランス国内は混乱した。
フランスは崩壊してしまうのではないかという風潮が漂った。

このピンチを救うカリスマが頭角を現した。
ナポレオンである。
ナポレオンはクーデターで政府を倒し、新たな政府を立ち上げた。
国民はナポレオンを支持した。
ナポレオンは皇帝となった。

周辺の国々はナポレオンを脅威と感じた。
同盟を結び、フランスを攻撃した。
軍事の天才ナポレオンは、ほとんどの戦いに勝利した。
フランスは領土を拡大し続けた。
西ヨーロッパのほとんどを支配した。

転機が訪れた。
ナポレオンは40万の軍を率いロシアと戦うも、ロシアに敗れた。
この敗戦をきっかけに力を弱めた。
同盟軍との戦いであるライプツィヒの戦いで敗れた。
ナポレオンの栄華は終わった。

同盟国はウィーン会議を開き、ヨーロッパの体制をフランス革命以前に戻すことを決めた。
フランスは王政が復活した。
王政に反対するフランス人は革命を起こした。
王政を廃止した。
ナポレオンの甥、ナポレオン3世は国民の支持を集め、フランスの実権を握った。
ナポレオン3世はナポレオン同様、軍事戦略に優れていた。
対外戦争で功績を収め、フランスのヨーロッパにおける地位を確かなものにした。

しかし1870年、フランスはプロイセンとの戦いに敗北した。
ナポレオン3世は捕虜となった。
フランス政府は崩壊した。
プロイセンはドイツ語圏を統合したドイツ帝国の成立を、あえてフランスのベルサイユ宮殿で挙行した。
フランスに対する侮辱であった。
フランスとドイツとの対立は決定的となった。
この対立は第一次世界大戦へとつながる。

オーストリアの皇位継承者が1914年、殺害された。
第一次世界大戦が始まった。
ドイツに報復する機会をうかがっていたフランスは参戦した。

イギリス、フランス、ロシアの連合国とドイツ、オーストリア、イタリアの同盟国との間での戦いとなった。
これまでとは比較にならない大規模な戦争であった。

フランスはドイツとの戦いで奮闘し、ドイツの進撃を食い止めた。
アメリカが参戦した。
連合軍の勝利となった。

戦争が終わり、国際的には一時的な平和が訪れた。
世界恐慌が起きた。
不況が世界を覆った。
フランスやイギリスは海外に植民地を大量に持っていたので、自国と植民地で貿易することで、経済困難を乗り切った。
ドイツなど植民地を多く持たない国は、世界恐慌のダメージを直接受けた。
ドイツ人は政府の無力に失望した。
力のあるリーダーを求めた。
ヒトラーが登場した。
ドイツ国民はヒトラーを支持した。
ドイツは1939年、ポーランドに侵攻した。
第二次世界大戦が始まった。 
1940年、フランスに軍事進攻を行った。
瞬く間にフランス内部まで攻め込んだ。
ドイツはフランス領土の大部分を占領した。
残ったフランス領土には、親ドイツのヴィシー政権を成立させた。
これにより、フランス全土がドイツの支配下となった。

ドイツの支配に抵抗したフランス人がいた。ドゴール将軍である。
ドゴールは、フランスがドイツに占領されると、イギリスに亡命した。
ロンドンで、亡命政権、自由フランスを立ち上げた。
イギリスとアメリカを中心にした連合軍が1944年、ノルマンディーから上陸した。
連合軍はドイツ軍が展開するノルマンディー地域に大量の軍を投入した。
連合軍はフランス内部まで進撃した。
同年8月、パリをドイツから奪い返した。
ドゴールの設立した自由フランスは、フランスの正式政府と認められた。
フランスはドイツから政権を奪い返した。
第二次世界大戦は1945年、連合軍の勝利で終結した。

戦後、フランス国内は植民地問題や国内の政治的問題で対立が起き不安定であった。
フランスはEUの前身的組織の設立に指導的役割を果たした。
現在、ヨーロッパで大きな力を持っている。




Posted on 2023-12-23 | Category : コラム, 歴史の館 | | Comments Closed
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