【春の歌】たまさかに 道命(だうみやう)法師

初めてうぐひすの声を聞きてよめる

たまさかに
わが待ちえたる
うぐひすの
初音(はつね)をあやな
人やきくらむ
道命(だうみやう)法師

「詞花和歌集」所収。

わたしはけさ5時ごろ、目を覚ますと鶯の鳴き声を聞いた。
もしかしたら鶯の鳴き声がわたしを目覚めさせたのかもしれない。
きょうは3月30日。ことし初めて聞く鶯の声だ。

歌の意味はなかなかに面白い。

待ちに待って
やっとのことで叶えられた
鶯の初音
ほかの人も
聞いているのだろうか
(ほかの人も
聞いているのは
何とも筋がとおらないことよ)

「たまさか」はやっとの意。
「あやな」は、待ちに待った自分と、鶯の声など関心のない者とが、初音を同時に聞いたのは筋が通らないという作者の気持ち。

作者の気持ちは分かるが、心が狭い気もする。
同時に、ユーモアも感じる。

こんな面白い歌が1000年も前に詠まれたとは、和歌というのは興味が尽きない。
いや、人というのは興味が尽きないというべきだ。

「詞花和歌集」の歌集は仁平元年(1151)、崇徳院の院宣により編纂された。

崇徳院は保元の乱に敗れ、讃岐に遷りになり、かの地で崩御された。

撰者は藤原顕輔である。彼は、950年ごろから詞花集編纂までのおよそ200年間の和歌から選んで歌集を編んだ。

わたくしも鶯の声を今年初めて聞いた気持ちを詠んだ。

あけがたに
寝床のなかで
うぐひすの
初音の響き
われ目覚めさす




Posted on 2024-03-30 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【春の歌】吹きくれば 源時綱

梅ノ花遠ク薫ルといふことをよめる

吹きくれば
香をなつかしみ
梅(むめ)の花(はな)
ちらさぬほどの
春風もがな

源時綱(ときつな)

「詞花和歌集」に収められている。

この歌集は仁平元年(1151)、崇徳院の院宣により編纂された。

崇徳院は保元の乱に敗れ、讃岐に遷りになり、かの地で崩御された。

撰者は藤原顕輔である。彼は、950年ごろから詞花集編纂までのおよそ200年間の和歌から選んで歌集を編んだ。

勅撰集第一番目の古今集には、掛詞や縁語など技巧が凝らされた歌がたくさん入っているが、詞花集には素直な歌ぶりが増えている。

この歌もそんなに複雑なものではない。

理屈っぽい頭でっかちなところはあるかもしれないが、作者の気持ちは素直に伝わってくる。

歌の意味は、こんな感じだ。

風が吹いてくると
風が運んでくる
梅の香りが慕われる
(風は吹いてほしい
けれど風が吹くと梅が散ってしまう。だから)
花を散らさないほどの
春風が吹いたらよいのに

古今集にこんな歌がある。

霞たつ
春の山辺は
遠けれど
吹きくる風は
花の香ぞする
在原元方

わたしたちは春風に憧れる。

年が明けてしばらくたち、花が咲き始めるころ、冬の厳しい空気ではなくて、懐かしい空気が吹いてくる。

春風。

春風がからだに当たると、心が弾ける。




Posted on 2024-03-30 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【春の和歌】春風の 宇多天皇

歌合せさせたまひけるとき、花を

春風の
吹かぬ世にだに
あらませば
心のどかに
花は見てまし

宇多天皇御製

「万代集」に収められています。

春風が吹かない世でさえあったら
花は心のどかに見ただろうに

歌の意味はこんな感じです。

この歌、どこかで聞いた覚えありませんか。

在原業平が詠んだ歌にこんなのがありますね。

古今和歌集に収められています。こちらは有名ですね。

世の中に
たえて
桜のなかりせば
春の心は
のどけからまし

在原業平は宇多天皇よりも40年ほど前に生まれました。

宇多天皇は古い歌の趣旨や言い回しを引用して新しい歌を詠みました。




Posted on 2024-03-29 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【愛国の歌】御民(みたみ)われ 海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかいのすくねおかまろ)

御民(みたみ)われ
生ける験(しるし)あり
天地(あめつち)の
栄(さか)ゆるときに
遇(あ)へらく思へば

海犬養宿禰岡麻呂

作者の海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかいのすくねおかまろ)という名前は、古代史や古代文学に関心ある人でも聞き覚えのないことであろう。

この歌は万葉集に採られている。
そこの詞書には「詔(みことのり)に応(こた)ふる歌」とある。
聖武天皇の詔に応えた歌である。

作者は聖武天皇に仕えていたと思うが、それ以外は一切分かっていない。

「御民われ生ける験あり」、この国の民として生まれてきた甲斐がある、という実感。

そして「天地の栄ゆるときに遇へらく思へば」、天地が栄えているときに生きていることへの感謝。

こう思えるよう、日々の精進に務めたい。




Posted on 2024-03-21 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】旅人の 遣唐使の母

旅人(たびびと)の
宿りせむ野に
霜降らば
わが子羽ぐくめ
天(あめ)の鶴群(たづむら)
遣唐使の母

天平五年(733)、遣唐使が難波から旅立った。
難波の場所は、大阪市中央区の三津寺に比定されている。

使節一行の母親は、この歌を我が子に贈った。

大空の鶴の群れに、旅先で我が子が霜に濡れるようなら、その大きな翼で包んで守ってほしい、と祈った。




Posted on 2024-03-19 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】千万の 高橋虫麻呂

千万(ちよろづ)の
軍(いくさ)なりとも
言挙(ことあげ)せず
取りて来ぬべき
男(をのこ)どぞ思ふ
高橋虫麻呂

この歌で一番こころに響くのは「言挙せず」である。

古来、日本は神国であり、一切を見ておられる神がいる。

神慮に背かないかぎり栄えていく。すべては神慮のままにあるべきで、とりたてて言う必要はない。

言葉には精霊が宿っている。

これは私たちの信仰でもある。

藤原宇合(うまかい)が西街道の節度使として派遣されたとき、壮行の歌である。

歌の意味は、

「たとえ相手が千万の軍勢でも、あなたはあれこれと言わず、必ずや打ち取ってくると信じている」

であり、勇士への信頼がほとばしっている。




Posted on 2024-03-18 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】我が園に 大伴旅人

我が園(その)に
梅の花散る
ひさかたの
天(あめ)より雪の
流れくるかも
大伴旅人

天平二年(730)、太宰府の長官である大伴旅人は部下を集めて梅花を愛でる宴を催した。
大伴旅人はこの宴で、この歌を詠んだ。

庭に散る梅の花を、天から流れ来る雪に見立てている。




Posted on 2024-03-17 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】いざ子ども 山上憶良

いざ子ども
早く日本(やまと)へ
大伴(おほとも)の
御津(みつ)の浜松
待ち恋ひぬらむ
山上憶良

山上憶良は大宝(たいほう)元年(701)、遣唐使一行に加わわり唐に渡った。42歳のときであった。

唐には2年間滞在した。

山上憶良が唐に滞在した時期、唐では則天武后が帝位に就いていた。

則天武后は690年に帝位に就き国号を周と改めた。

体調を崩したことなどから、706年に退位した。

唐に渡った山上憶良は任期を終え日本に帰る宴席でこの歌を詠んだ。

「いざ子ども」はさあみんな。

「大伴」は難波一帯の地名。大伴氏が治めていたから。

「御津」は難波の港。

帰国できる喜びが伝わる。




Posted on 2024-03-16 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【愛国の歌】天地(あめつち)の 山部赤人

富士山のすばらしさを讃えた歌を紹介しよう。

富士山を讃えた歌はあまたあれど、わたしにとってこの歌は富士山賛歌の決定版とも言える歌だ。

はじめに長い歌が詠まれ、続けて反歌(五七五七七の句形)が詠われる。

万葉集に収められている。

天地(あめつち)の
わかれし時ゆ
神(かむ)さびて
高く貴き
駿河(するが)なる
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)を
天の原
ふり放(さ)けみれば
渡る日の
影もかくらひ
照る月の
光も見えず
白雲の
い行(い)きはばかり
時じくぞ
雪はふりける
語り継ぎ
云ひ継ぎゆかむ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)は

意味を確認しよう。

天地の分かれたときから
神々しく高く貴い
駿河の国にある
富士の高嶺
大空はるかに
振り仰いで見ると
空を渡る太陽も
その姿を隠し
夜空を照らす月の
光も見えない。
白雲も
富士に行く手を阻まれ
山にはいつでも
雪が降り積もる
後世に語り伝えていこう
この富士山の素晴らしさを

富士山の雄大さが堂々と詠われている。

古代の人がいかに富士山を尊んでいたかが、ひしひしと伝わってくる。

いまでも私たちにとって富士山は特別な山だ。

飛行機に乗って富士山の近くを飛行すると、機長はいま窓から富士山が見えることをアナウンスする。

新幹線に乗って、富士山の近くを走るとき、窓から雄大な富士山の姿を堪能できる。

わたしの好きなエピソードにこんなのがある。

新幹線が富士山の近くを通過したとき、窓の外を見ていたひとりの女性が「あっ富士山」と小さな声を出した。

すると車内にいた乗客がみな、富士山のほうを見た。

このエピソードは、日本人が富士山に持つ気持ちを表していいると思う。

続けて反歌が詠われる。

田子(たご)の浦ゆ
うち出でてみれば
真白(ましろ)にぞ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に
雪はふりける
山部赤人

現代語訳を確認しよう。

田子の浦を過ぎ
広い場所に出て
眺めてみると
真白な雪が
富士山の山頂に
降っている

田子の浦は現在の駿河湾の西岸を指す。

万葉集の時代は、薩埵峠の麓から由比・蒲原あたりまでの海岸(現在の静岡県静岡市清水区)を指すと考えられている。

地図を載せるので、場所を確認してほしい。

田子の浦はその後、人々に親しまれ、いまでも名所として知られる。

江戸時代、葛飾北斎は冨嶽三十六景で「東海道江尻田子の浦略図」として田子の浦を描いた。

山部赤人が見た雄大な富士を描いているようではないか。

640px-Shore_of_Tago_Bay,_Ejiri_at_Tokaido




Posted on 2024-03-15 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】ますらをの 元明天皇

ますらをの
鞆(とも)の音(おと)すなり
物部(もののふ)の
大臣(おほまへつき)
楯(みたて)立つらしも
第四十三代 元明天皇

元明天皇は天智天皇の第四皇女でいらっしゃる。

天皇の御治世、和同開珎が発行され、平城京に遷都され、「古事記」が完成した。

「鞆」とは、弓を射る時に左手首の内側につけて、矢を放ったあと、弓の弦が腕に当たるのを防ぐ道具だ。

「大臣」は将軍である。

「楯立つらしも」は楯を立てているらしいの意。

将軍が堂々と陣容を整えている様子が目に浮かぶ。




Posted on 2024-03-13 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed