【愛国の歌】いざ子ども 山上憶良

いざ子ども
早く日本(やまと)へ
大伴(おほとも)の
御津(みつ)の浜松
待ち恋ひぬらむ
山上憶良

山上憶良は大宝(たいほう)元年(701)、遣唐使一行に加わわり唐に渡った。42歳のときであった。

唐には2年間滞在した。

山上憶良が唐に滞在した時期、唐では則天武后が帝位に就いていた。

則天武后は690年に帝位に就き国号を周と改めた。

体調を崩したことなどから、706年に退位した。

唐に渡った山上憶良は任期を終え日本に帰る宴席でこの歌を詠んだ。

「いざ子ども」はさあみんな。

「大伴」は難波一帯の地名。大伴氏が治めていたから。

「御津」は難波の港。

帰国できる喜びが伝わる。




Posted on 2024-03-16 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【愛国の歌】天地(あめつち)の 山部赤人

富士山のすばらしさを讃えた歌を紹介しよう。

富士山を讃えた歌はあまたあれど、わたしにとってこの歌は富士山賛歌の決定版とも言える歌だ。

はじめに長い歌が詠まれ、続けて反歌(五七五七七の句形)が詠われる。

万葉集に収められている。

天地(あめつち)の
わかれし時ゆ
神(かむ)さびて
高く貴き
駿河(するが)なる
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)を
天の原
ふり放(さ)けみれば
渡る日の
影もかくらひ
照る月の
光も見えず
白雲の
い行(い)きはばかり
時じくぞ
雪はふりける
語り継ぎ
云ひ継ぎゆかむ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)は

意味を確認しよう。

天地の分かれたときから
神々しく高く貴い
駿河の国にある
富士の高嶺
大空はるかに
振り仰いで見ると
空を渡る太陽も
その姿を隠し
夜空を照らす月の
光も見えない。
白雲も
富士に行く手を阻まれ
山にはいつでも
雪が降り積もる
後世に語り伝えていこう
この富士山の素晴らしさを

富士山の雄大さが堂々と詠われている。

古代の人がいかに富士山を尊んでいたかが、ひしひしと伝わってくる。

いまでも私たちにとって富士山は特別な山だ。

飛行機に乗って富士山の近くを飛行すると、機長はいま窓から富士山が見えることをアナウンスする。

新幹線に乗って、富士山の近くを走るとき、窓から雄大な富士山の姿を堪能できる。

わたしの好きなエピソードにこんなのがある。

新幹線が富士山の近くを通過したとき、窓の外を見ていたひとりの女性が「あっ富士山」と小さな声を出した。

すると車内にいた乗客がみな、富士山のほうを見た。

このエピソードは、日本人が富士山に持つ気持ちを表していいると思う。

続けて反歌が詠われる。

田子(たご)の浦ゆ
うち出でてみれば
真白(ましろ)にぞ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に
雪はふりける
山部赤人

現代語訳を確認しよう。

田子の浦を過ぎ
広い場所に出て
眺めてみると
真白な雪が
富士山の山頂に
降っている

田子の浦は現在の駿河湾の西岸を指す。

万葉集の時代は、薩埵峠の麓から由比・蒲原あたりまでの海岸(現在の静岡県静岡市清水区)を指すと考えられている。

地図を載せるので、場所を確認してほしい。

田子の浦はその後、人々に親しまれ、いまでも名所として知られる。

江戸時代、葛飾北斎は冨嶽三十六景で「東海道江尻田子の浦略図」として田子の浦を描いた。

山部赤人が見た雄大な富士を描いているようではないか。

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Posted on 2024-03-15 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】ますらをの 元明天皇

ますらをの
鞆(とも)の音(おと)すなり
物部(もののふ)の
大臣(おほまへつき)
楯(みたて)立つらしも
第四十三代 元明天皇

元明天皇は天智天皇の第四皇女でいらっしゃる。

天皇の御治世、和同開珎が発行され、平城京に遷都され、「古事記」が完成した。

「鞆」とは、弓を射る時に左手首の内側につけて、矢を放ったあと、弓の弦が腕に当たるのを防ぐ道具だ。

「大臣」は将軍である。

「楯立つらしも」は楯を立てているらしいの意。

将軍が堂々と陣容を整えている様子が目に浮かぶ。




Posted on 2024-03-13 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】古の 高市黒人

古(いにしへ)の
人にわれあれや
ささなみの
故(ふる)き京(みやこ)を
見れば悲しき
高市黒人(たけちのくろひと)

高市黒人は持統天皇、文武天皇に仕えた。

「われあれや」は、わたしはそうではないのにの意。

「ささなみ」は琵琶湖西岸の沿岸一帯。

ここには天智天皇が即位されたとき開かれた大津宮があった。

古き都のあれた様を見て悲しんでいる。




Posted on 2024-03-11 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【愛国の歌】東の 柿本人麻呂

東(ひむがし)の
野に炎(かぎろひ)の
立つ見えて
かへり見すれば
月傾(かたぶ)きぬ

柿本人麻呂

柿本人麻呂は古来、歌聖と言われる。
わたしは歌の専門家ではない。
趣味で昔からときどき、和歌を読んで楽しんでいた。
読むだけで、詠んではいない。

柿本人麻呂が和歌歴史上、最高の歌人というのは知っていたけれど、ピンとこなかった。
ここにきて(令和6年3月である)、柿本人麻呂の歌が素晴らしいと思えてきた。

この歌は、軽皇子(かるのみこ)が安騎野(あきの、奈良県の宇陀)で御狩をされたとき、随従していた柿本人麻呂が詠んだ歌である。

東の野に、あけぼのの光がさしてきた。
振り返ると、月は西の山の端に入ろうしていている。

雄大な自然のなかに、これから御狩が始まる緊張が伝わってくる。




Posted on 2024-03-10 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】八雲立つ 須佐之男命

八雲立つ
出雲八重垣
妻ごみに
八重垣つくる
その八重垣を
須佐之男命

須佐之男命は高天原で乱暴を繰り返し、姉君天照大御神から高天原を追放されてしまった。

出雲に降り立った須佐之男命は、これまでの乱暴を悔い改めたのか、心優しい勇猛な神となり、老夫婦を苦しめていた大蛇を退治する。

老夫婦の娘、クシナダヒメを妻として、新たな生活を始めた。

須佐之男命はクシナダヒメとの新婚の宮をおつくりになった。

その嬉しさがこの歌には溢れている。

わたしなりにこの歌を現代語にしてみよう。

天を幾重にも覆って沸き立つ雲
大切な妻をこもらせるため
多くの垣に囲まれたこの宮を建てた
新居を包む壮大な雲の重なりよ

須佐之男命は出雲の鳥髪という場所に降りった。
グーグルマップで鳥髪を探すと、「鳥上」が出てくる。このあたりであろうか。




Posted on 2024-03-03 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】敷島の 本居宣長

敷島の
大和心を
人問はば
朝日に匂ふ
山桜花
本居宣長

本居宣長はこの歌で、大和心の神髄をあらわした。

桜は日本人の心を象徴する花だ。

公園や道路に植えられている、人の手が入った桜の花も勿論いいが、本居宣長は山に咲いている野生の桜だと言っている。

しかも昼間や夕方の桜ではなくて、朝日に照らされた桜なのだ。




Posted on 2024-03-01 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【愛国の歌】しきしまの 明治天皇

しきしまの
大和心の
をゝしさは
ことある時ぞ
あらはれにける

明治天皇御製

わたしたちは誰もが大和心を持っている。
でも普段はそのことに気づかない。

いまは「ことある時」、国家の一大事のときである。
大和心を持っていることを思い出してみよう。

ほこりがついているかもしれない。
払ってみよう。
輝きを取り戻すだろう。

そのことに気づいたとき、いまの様々な問題が解決に向かって進み始めるのでしょう。




Posted on 2024-02-29 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【愛国の歌】異国の 貞明皇后

異国(ことくに)の
いかなる教(おしへ)
入り来るも
とかすはやがて
大御国(おほみくに)ぶり
貞明皇后

貞明(ていめい)皇后は大正天皇のお后でいらっしゃる。

上代、儒教が日本に入って来た。

仏教が入った。

それから1000年後、キリスト教が入った。

ほかにも、道教が入ったりいろいろな思想が入って来た。

そうしたいろいろな教えは、日本人を飲み込まなかった。

日本人はそうした教えを溶かして、日本古来の伝統と混ぜ合わせて造り変えた。

造り変える力は、日本が日本であり続ける、日本の神髄である。




Posted on 2024-02-29 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

たはやすく勝利の言葉いでずして 美知子上皇后陛下御歌

たはやすく勝利の言葉いでずして
「なんもいへぬ」と言ふを肯(うべな)ふ

美知子上皇后陛下御歌

水泳の北島康介選手が2008年北京オリンピックで、100m平泳ぎ金メダル獲得(しかも前回アテネに続いて二連覇)したあと、インタビュアーにコメントを求められたとき、感極まって発した言葉「何も言えねえ」をお聞きになった美知子陛下が詠まれた御歌です。




Posted on 2021-01-10 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed