【春の和歌】見る人も なき山里の 桜花 伊勢
亭子院歌合の時よめる
なき山里の
桜花
ほかの散りなむ
後(のち)ぞ咲かまし
伊勢
「古今集」の「春歌上」に収められている、伊勢の歌です。
歌意は、読んでそのまま。
見る人もない山里の桜花
ほかの桜が散った後で咲いたらよかろうに
そうすればゆっくりと見られるから
こんな感じでしょう。
最後の「まし」は、~なら良かっただろう、というニュアンスでとったらよいと思います。
「春歌上」はこの歌でもって締めくくられます。
花の落下を盛り込んだ歌でひとつの巻を終わらせるという巧みな構成になっています。
亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)
詞書にある「亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)」とは、延喜十三年(913年)、宇多法皇が自分の御所としていた亭子院で開いた歌合(うたあわせ)です。
歌合とは、歌人を左右二組に分け、詠んだ歌を比べて優劣を争う遊びです。
審判役を判者(はんざ)、判定の詞(ことば)を判詞(はんし)といいます。
左右両組とも、自陣の詠んだ歌がいかに素晴らしいかを主張します。いまでいうディベートのようなものです。
判者は、左右の意見を聞いて、どちらかに軍配を上げます。
情熱の女・伊勢
作者の伊勢は、はじめ宇多天皇の中宮温子に女房として仕えました。
その後、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際。宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生みますが、皇子は早世してしまいます。
宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚して中務(なかつかさ 女性。この人も歌人)を生みます。
宇多天皇の没後、摂津国に庵を結んで隠棲しました。
情熱的な恋歌で知られます。
「古今和歌集」には22首が入集。勅撰和歌集には合計176首が入集しているという大歌人です。
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