【春の歌】春の着る 在原行平朝臣
題知らず
春の着る
霞の衣
ぬきをうすみ
山風にこそ
乱るべらなれ
在原行平朝臣
わたしはこの歌を初めて知ったとき、びっくりして次に何故かわからないが嬉しくなった。
それはひとまず置いておいて、まずは歌の意味を見ていこう。
春が着る
霞の衣は
横糸が薄いので
山風が吹くと
乱れ破けてしまいそうだ
お分かりだろうか。
春が霞を着ていると表現して、「春」を擬人化しているのである。
和歌に接するようになって、擬人化というテクニックがあるのを知った。
歌人たちは花とか木とか、いろいろなものを人に見立てて詠ってきたけれど、「春」という季節を人に見立てた歌は、わたしにとってこれが初めてであった。
歌人たちの想像力の豊かさに、はじめびっくりして、そのあと、なんでもかんでも擬人化して、この人たちもいい加減だなというか調子いいな、というふうに思えてきて、何だか可笑しくなってしまった。
同時に親近感がわいた。
和歌というと高尚なものだと思っていたが、歌人たちはわたくしたちが想像するより、だいぶ気楽に楽しみながら詠んでいたのだろうと思えた。
自分の人生やキャリアがかかっている歌合せでは違うだろうけれどね。
歌はフィクションなのである。
フィクションとして詠んで、歌を聞いている人たちもフィクションであることを知ったうえで楽しんだ。
風が服を着るなんて、最高のフィクションである。
風は人なのだから、ご飯も食べるし、睡眠もとるし、考え事だってするのである。
この歌をきっかけにそう空想を膨らますと、普段、常識によって押さえつけられている思考のストッパーがはずされて気分がいい。
この歌に限らないが、和歌の世界では、実際の風景をリアルに詠うのはまれである。
眼前の風景とか、歌枕とか、そういうみんなと共有している世界をもとに、作者は空想の世界を描き出す。
そこが和歌の世界観であり、和歌を詠む楽しみ、和歌を鑑賞する楽しみである。
この歌は「古今和歌集」春歌上に収められている。
「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。
醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。
ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。
撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。
その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。
古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。
その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。
世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。
世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。