世界で唯一のエンペラー日本の天皇陛下




文・M&C編集部

世界各地には20世紀初頭までエンペラー(皇帝)がいました。

ところが、革命の首謀者たちや戦争の勝利国によって徐々に数を減らされ、共産主義が広まるとともに日本を除いていなくなりました。

日本は世界で唯一のエンペラー(天皇陛下)を戴いている国であり、わたしは大変に誇りに思っており、そのことを日本国民はもっと誇ってよいと思っています。

世界史的に見ると「神の子孫」を称する皇帝・君主は非常に珍しく、日本の天皇陛下はその点で特異です。

ただし、「神の子孫」ではなく「神の化身」や「神に選ばれた者」を称するケースは、ヨーロッパやユーラシアでも見られます。

世界に存在したエンペラーを整理してみました。

これは令和7年のお盆、2025年8月16日での調査であり、間違っているかもしれません。これからも調べていきたいと思います。

1. 神の子孫を称した例(極めて少数)

●日本の天皇陛下
天照大神の子孫です。「日本書紀」「古事記」に書かれています。

血統は万世一系とされ、易姓革命や断絶の理論は存在しません。

●古代エジプト王(ファラオ)
太陽神ラーの子とされましたが、「化身」的要素が強く、代替わりのたびに神の子として生まれ直しました。

血統の連続性よりも即位儀礼が重視され、日本のような連続的な神話系譜は脆弱です。

2. 「神の化身」や「神に選ばれた者」

ヨーロッパ・ユーラシアでは多くがこちらのタイプです。

●ローマ帝国
初代アウグストゥス以降、一部皇帝が死後「神格化」され、神殿に祀られました。生前は「神の代理人」、死後に神となります。

●ビザンツ帝国
「地上における神の代理人」 であり、キリスト教的権威のもとに即位します。

●モンゴル帝国
チンギス・ハンの血統が天命を受けて即位。天そのものの子ではないが、天命を授かります。

●ヨーロッパ中世国王
「神から王権を授かった者」、所謂、王権神授説です。神の血縁ではなく、神の意志により選ばれた王です。

3. 中国

●古代の三皇五帝
皇帝が神の子孫という系譜伝承はあるものの、実際の歴代皇帝は易姓革命思想のもと、天命の有無が重視されました。神話的血統は政治的正統性の中心にはなりませんでした。

●漢王朝以降
前漢・武帝の時代に、陰陽五行説と儒教を取り込んだ新たな「漢代儒教」を構築しました。

天と人との間に秩序を作り、皇帝は天と人と媒介し、皇帝の行為は天意を体現するものとされました。

政治の善し悪しは天に影響を与えると考えられたため、皇帝は天に認められるような政治を行う必要がありました。

●インカ帝国
皇帝は太陽神(インティ)の直系子孫とされました。

皇帝は太陽神の現人神として民を統治し、帝国の支配の正当性を支えていました。

日本の天皇陛下と近い存在でした。

多くの国や文明では、皇帝は「神と人を結ぶ仲介者」と呼ぶべき立場です。世界的に見て「神の子孫」であることを一貫した血統で保持し続けている王朝は日本の天皇陛下が唯一です。

日本の場合は、神話的血統が切れないこと自体が権威の源泉で、ここが他の皇帝と決定的に異なります。







Posted on 2025-08-16 | Category : コラム, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【第14回】ICTキャンパス 北海道情報大学「”mラーニング環境” 実現を目指す」




北海道情報大学は、平成26年4月から電子教科書を利用した授業を行っている。

同大学では、文部科学省の平成24年度「私立大学教育研究活性化設備整備事業」に採択された「主体的な学びへ導くためのICT環境構築モデルの開発」にもとづき、「主体的学びに導くための実行プラン」を策定して、ICT環境構築モデルの整備を進めている。

策定した実行プランにおいては、モチベーションの十分でない学生を、主体的な学びができる学生へと変えるのが主な目的のひとつとなっている。

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電子教科書を使った講義の様子。現在9教科で実施。
今後、電子教科書を使う科目を増やしていく予定だ。
同学ではモバイルラーニング環境を実現。学生にiPadを配備している。

1・2年生の9科目で 電子教科書を活用
そのために目指しているのが「mラーニング(mobileLearning)環境」の実現だ。その具体策のひとつとして、学生にiPadを支給し、PBL(Project Based Learning)形式のゼミや実習、授業で使えるようにしている。

実行プランに盛り込まれている施策には「iPadを活用したアクティブラーニング」「マルチメディア・アテンション教材の活用」などがあるが、それらとともに計画されているのが「電子教科書と電子教科書配信サービスの利用」だ。

サービス開始の初年度となる26年度は、1・2年生の必修科目で、担当教員の了解が得られた科目について、電子教科書を利用している。

電子教科書を用いている授業は「基礎数学」「プログラミング入門」「メディア技術演習」「医療情報学概論」「医療事務総論」「システム開発基礎2」「情報倫理」「テクノロジーパスポート」「コンピュータ」の9科目。「テクノロジーパスポート」と「コンピュータ」の授業は同一教科書を使っているため、電子教科書の点数としては8点となっている。

電子教科書は、京セラ丸善システムインテグレーションが提供しているクラウド型電子書籍プラットフォーム「BookLooper」を活用している。

BookLooperにはブックマーク、手書きメモ、全文検索などの機能が備わり、利用者にとって利便性が高いほか、管理機能として利用ログの収集やデータ分析も可能になっている。

北海道情報大学事務局長の近藤始氏は「利用ログを収集できることが、他社のプラットフォームにはない特徴だと考えています」と話す。

「増やしてほしい」好意的な意見が多数
電子教科書の利用について、学生は「もっと増やしてほしい」「持ち運びが楽」「教科書すべてがiPadで見られたら、かばんに余裕ができて便利」「ページ数が多い教科書などは電子教科書にしてほしい」というように好意的な意見が多い。

一方、「使いにくい」「書き込みやすさを考えると、電子教科書ではないほうが助かる」「検索機能はあるが、紙の本のような感覚で特定のページを探すのはやりにくい」といった声も寄せられているという。

同大学では今後も、電子教科書を重要なマルチメディア教材のひとつとして扱っていく予定だ。

利用ログの分析も
北海道情報大学学長で、同大学全学教務・FD委員会委員長でもある冨士隆学長は「科目担当教員および出版社と交渉し、電子教科書を使う科目数を増やす予定にしているほか、利用ログの分析や海外の事例研究も行い、電子教材ならではの効果的な利用方法について検討をさらに進めていく考えです」と今後の抱負を語っている。

教育家庭新聞 教育マルチメディア号 2015年2月2日号掲載

(執筆 蓬田修一)







Posted on 2025-08-11 | Category : コラム, 大学教育 | | Comments Closed

【第13回】ICTキャンパス 東京農工大学「全国13大学を高品位に結ぶ講義や会議など幅広く活用」




国立大学法人東京農工大学は、府中市に本部を置き、農学部と工学部の2学部および大学院から構成される。

1874年(明治7年)の設立以来、140年の歴史を持っている。

同大学では、従来から衛星通信を利用し、他の国立大学との遠隔講義を実施していた。しかし、機器が老朽化したため、2009年、現在のビデオ会議システムを構築した。

他大学との遠隔講義や年2回の集中講義で活用
北海道から沖縄まで全国の国立大学18校を、高品位の映像と音声で結び、年に2回、集中講義を実施しているほか、大学院においても他大学との遠隔講義を行っている。

相手側に一般的なテレビ会議システムがあれば接続が可能なため、姉妹校との交流、企業との共同研究、学会や講演会といった利用も数多い。

さらに、東京農工大学のキャンパスは府中市と小金井市の2か所にあり離れているため、キャンパス間の会議などでも利用されている。

その他、入学希望者向けオープンキャンパスや新入生オリエンテーション、講演会などで一時的に多くの人数を収容する必要がある場合、近くの教室を結びサブ会場として利用することもある。

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2009年から遠隔会議システムを活用。
多拠点でも双方向でやりとりができ、集中講義や他大学との遠隔講義を行っている

簡単な操作で双方向講義を実現
遠隔講義などでシステムを利用したいときは、場所と日時をネット上から入力するだけで予約が完了する。

利用当日は特に操作は必要なく、予約時間になると自動的にシステムが作動する。

そして、予約時間が終了すると、システムは自動的にシャットダウンする。

「1日あたり2件以上の講義や会議がネットからの予約で利用されています。他のテレビ会議システムとも接続可能で、その場合は予約をしないで利用されることも少なくないため、実際の稼働状況はもっと多いことになります」(東京農工大学総合情報メディアセンター講師櫻田武嗣氏)

システムが利用可能な場所を、同大学では「拠点」と呼び、全国の国立大学18校に合計47か所設置されている。

そのうち東京農工大学にはもっとも多い23の拠点がある。

各拠点には、講師用および受講生用のカメラが2つ設置されており、利用者は簡単な操作でカメラを切り替えることができる。

コンピュータ映像の入力なども、タッチパネルで直感的に操作が可能だ。

システムはポリコム社の製品を採用した。

多数の拠点を接続するための装置である新型のMCU(Multi point Control Unit)の導入は、同大学によれば世界で初。

従来の衛星通信を利用した方式では、少なくとも1週間前には予約しなくてはいけなかった。

しかも、利用料金が都度かかる上に、双方向で会話できるのは4拠点までといった制約があった。新システムでは、これらの不便が解消し、利用者からは好評だ。

モバイル環境を整備し屋外からも講義可能に
全拠点が双方向でやり取りできるため、講義を担当する教員からは「受講中の学生の様子が分かり、問いかけをした際の反応が見られるのがいい」という意見が寄せられている。

「システムを自動化したことなどで、利用者は講義や会議に集中できるようになり、活用が進んだことが大きな成果です。テレビ会議システム利用のハードルを下げることができました」(櫻田氏)

今後はモバイル環境を整備し、屋外にある実習現場からの遠隔講義などを行いたいとしている。

教育家庭新聞 教育マルチメディア号 2015年1月1日号掲載

(執筆 蓬田修一)







Posted on 2025-08-11 | Category : コラム, 大学教育 | | Comments Closed

なぜ勅撰和歌集は500年以上にわたり21集が編まれたのか?




わたしは和歌が好きである。それで、こんな疑問をかねがね感じていた。

平安時代、古今和歌集が初の勅撰和歌集として編まれたが、以降、数多くの勅撰和歌集が生まれた。

その理由は、勅撰和歌集は天皇陛下を中心とした政治的・文化的な秩序に、とても有効だったからだと思うが、それだけではなかっただろう。

古今和歌集以降、500年以上にわたって、21の勅撰和歌集が生まれたのはなぜか?

調べて分かったのは、以下の政治・制度・文化的要因が複合的に作用したためだ。

☆   ☆

天皇陛下による文化的正統性の確立および伝達
古今和歌集は天皇陛下からの下命で国家事業として編まれた最初の和歌集であり、以後「天皇が選んだ歌」を公的に示すことで、天皇中心の文化秩序を作り上げる役割を担った。

勅撰という制度は、天皇や上皇がどの歌を正統として認めるかを示す行為であり、政治的メッセージ性が強かった。

宮廷文化の規範化・歌風の制度化
勅撰という形で歌を選ぶことは、何が「正統な歌風」「良い歌」かを公的に規定することであった。

撰者(編者)の編纂基準が、後続の歌人の作法や審美を規定していった。古今和歌集の仮名序はその典型的な例だと言える。こうして歌風が世代を超えて正規化され、宮廷文学の規範が定着していった。

宮廷内の人事・流派政治
 誰を撰者にするか、どの歌人の歌を収録するかは、官位、栄達、藤原氏などの政治勢力との結びつきを反映した。

勅撰集に入首することで、その歌人や家が名声と権威を得た。

その一方で、政治的に疎外された歌人や家は除外されうることになり、勅撰という行為は歌の評価を通じた人事・勢力調整の手段となった。

宮廷社会における和歌の実用的価値
和歌は単なる趣味でなく、貴族の日常的なコミュニケーション手段であり、宴会、歌合など儀礼の核であった。

和歌の巧拙は社交・出世・評判に直結したため、歌の規範を公的に定め、学び伝える必要性が高まった。このことは勅撰集を編み続ける土壌になった。

制度的仕組み「和歌所」と「文化インフラ」
 勅撰集の編纂は内裏の組織、和歌所で行われた。そこでの行為は、資料収集・選定・配列・清書・奏覧という手続きを踏む公的事業だった。

こうした制度的な仕組みがあったため、時代が変わっても勅撰での編纂が継続され、500年以上にわたり21集が編まれた。

さらに、和歌についての知識継承の仕組みが作られ、世代を超えた歌人を育成に役割を果たした。

(文・M&C編集部)







Posted on 2025-08-11 | Category : うた日記, コラム, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

【第12回】ICTキャンパス 武蔵野美術大学美術館・図書館「ミュージアム機能と融合デジタルアーカイブも充実」




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学生の意見を取り入れIT環境を整備

武蔵野美術大学美術館・図書館は、1967年に美術館機能と図書館機能をあわせ持つ「美術資料図書館」として開館した。

その後「書物の森」というコンセプトで設計された図書館が2010年にオープンし、現在に至っている。

館内の蔵書数は美術・デザイン関係を中心に、関連領域や一般書など約28万冊で、開架スペースには10万冊の専門図書が並ぶ。

現在の図書館の建設にあたっては、竣工するまでの過程で学生たちから「こんな図書館があったらいいのに」というアイデアを出してもらい、実際の設備などに反映させていった。

「特に力を入れたのは、アナログのライブラリーを集積するにあたって、IT機能を付加したことと、ミュージアム機能との融合を図ったことです。

これは武蔵野美術大学ならでは取り組みだと思います。

また、貴重書や美術品のデジタルアーカイブも構築し、学習や研究の支援に不可欠な利便性の向上も目指しました」(同館図書資料担当 古賀祐馬氏)

デジタルサイネージにアート情報を流す

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図書館は2010年にオープン。館内には無線LANも整備されている

具体的にどのようなIT設備を整えたのかを、紹介しよう。

まず、エントランスを入った正面に、2台のデジタルのインフォメーションボードを設置した。このボードには、学内や館内のイベント、美術館・図書館のコレクション、首都圏近郊の展覧会情報などが常時映し出されている。

また「ブックタッチ」と呼ばれるIT機器も導入した。

資料をかざすとその資料に関する情報だけではなく、図書館所蔵の関連資料(おすすめの本、同著者の本、同分野の本)や展覧会の情報も表示されるものだ。

ブックタッチを使用することで、従来は関連資料を探す際OPAC(蔵書検索システム)で何度も検索しなければならなかったものが、関連資料のリンクをたどるだけで見つけ出せるようになった。

あわせて、どの学科の学生が何回利用したかも表示されるため、学科間の情報交換にも活用されているという。

画像の取り込み・加工図書館内で可能に

学生が学習するスペースのIT環境も整備した。

「情報加工スペース」には、PCとスキャナーを置き、画像の取り込みや加工処理ができるようにした。

「WEBスペース」では、インターネット閲覧用端末によって、自由にネットを見ることができる。

また「卒業制作・修了制作 優秀賞受賞作品デジタル・アーカイブ」も構築。過去50年間(1962年~2012年)の優秀賞受賞作品がタッチ操作で閲覧できる。

冊子体では見つけるのに時間がかかった先輩たちの作品も、このアーカイブによって簡単な操作で探せるようになった。

IT整備は好評高い学生の利用率

こうしたIT設備は学生からも好評で、中でも「ブックタッチ」「情報加工スペース」「卒業制作・修了制作 優秀賞受賞作品デジタル・アーカイブ」は特に利用率が高いという。

今後も学生や研究者に有益なサービスが提供できるよう、IT環境の整備には力を入れていく考えだ。

教育家庭新聞 教育マルチメディア号 2014年12月8日号掲載

(執筆 蓬田修一)




Posted on 2025-08-10 | Category : コラム, 大学教育 | | Comments Closed

【第11回】ICTキャンパス 奈良先端科学技術大学院大学附属図書館「授業映像をアーカイブ 電子資料との連携も視野」




奈良先端科学技術大学院大学は、学部を置かない国立の大学院大学だ。情報科学、バイオサイエンス、物質創成科学の3研究科を持つ。附属図書館は、各研究科の教育・学術研究活動を支援するために設立された。図書の貸出および返却は24時間いつでも利用可能だ。

附属図書館では、必要な学術情報を迅速に利用者へ提供するため、「電子図書館」も構築し、図書、雑誌、論文、授業映像などのデジタルコンテンツを、ネットワークを介して提供している。ここでは、同附属図書館が取り組んでいる「授業映像アーカイブシステム」について紹介しよう。

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教室に設置されたカメラ

授業を自動録画 使用スライドも収録

附属図書館では当初、学術雑誌・書籍・学位論文の電子化を行い利用者に提供してきた。しかし2004年頃から、学術雑誌の出版社が自社で電子化しコンテンツを提供するようになると、附属図書館で行う電子化にあたっての許諾が得にくくなり、雑誌や書籍の電子コンテンツの充実が図りにくくなってきたという。
そこで、大学の電子図書館ならではの新サービスとして、授業の映像と授業中にスクリーンに映し出されるスライド資料を電子化・アーカイブ化し、インターネットを通じ閲覧できるサービスを提供することにした。

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講義アーカイブの画面

また、授業は学生と担当教員のみの閉鎖的な空間で行われており、第三者の目が届きにくい。授業映像のアーカイブシステムを導入し授業の様子を公開することによって、授業の「質」に対する教員の意識を高める目的もあった。

授業の録画は、自動撮影システムにスケジュールを登録することで、教室に設置したカメラが自動的に撮影し記録を行う。その後、記録された映像を図書館員が編集し、公開している。授業に用いられるスライドは、教員が利用するPCからプロジェクタに送られる信号を記録し自動的に収録する。授業終了後、授業映像とスライド映像が自動的に同期され、ひとつの授業映像コンテンツとして記録される。

また、スライド映像からスライドタイトルと本文を文字認識することで、電子図書館システムの全文検索機能にも対応させている。アーカイブの授業映像のうち、約1割は学外者でも閲覧が可能になっている。

授業アーカイブシステムへのアクセス数は、ここ5年間の年平均で約3万5000件。授業の開講数が多い4月から12月にかけて、アクセスが多くなる傾向にある。

授業映像と電子資料との連携へ

「学生は、授業アーカイブシステムを授業の復習のために利用することが多いようです。また、入学希望者が実際の授業内容を見て、受験するかどうかを決めるために利用することもあると思います。教員にとっては、授業アーカイブシステムによって授業の様子が学内外に公開されますので、それを意識することで、授業の内容を向上させる意欲が高まるのではないかと考えています」(奈良先端科学技術大学院大学教育研究支援部企画総務課小西健氏)

今後は、授業映像と電子化された書籍・論文や、それらに付けられたメモ・付せんなどの資料とを相互に連携させ、電子化資料の本文内容から授業映像を素早く見られるシステムを構築していく意向だ。

教育家庭新聞 教育マルチメディア号 2014年11月3日号掲載

(執筆 蓬田修一)




Posted on 2025-08-10 | Category : コラム, 大学教育 | | Comments Closed

歴史を考えるアプローチ




 私たちが歴史を考えるとき、その視線はしばしば「原因から結果へ」という一本道をたどる。おそらく、その癖は学校教育の段階で身体に染み込んでしまったのだろう。小学校から高校までの歴史教科書は、この形式で編まれていたように記憶する。

 ある事件には必ず「こういう原因があった」という説明が先に置かれ、そのあとに「だからこうなった」という結論が来る。歴史の物語は、因果律をきれいに貫いた一筋の糸のように見せられる。

 だが、この「原因→結果」という図式は、わたしの経験から言えるのは、あまりにも整然としすぎていて、現実が見えにくくなってしまう。
 歴史とは、あらかじめ用意された脚本に沿って演じられる劇ではない。予期せぬ偶然、錯綜する利害、あるいはその時代の空気としか言いようのない心理的圧力が、複雑に絡み合って動くものだ。

 さらに決定的なのは、特定の勢力による「陰謀」だ。歴史は自然現象ではない。特定の勢力が、ある目的をもって世の中を動かしている。

 それを原因と結果の直線で語ると、歴史の背景にある「陰謀」が見えなくなってしまう。

 そこでわたしは「結果→原因」という逆向きのアプローチをとる。たとえば、ニューディール政策。原因から結果であれば、「大恐慌が起きたからニューディールを行った」という単純な説明で済む。

 だが結果から原因へとアプローチを逆向きにすると、別の風景が広がる。なぜニューディールでなければならなかったのか。他にどのような政策案があったのか。それらはなぜ採用されなかったのか。

 間もなく終戦記念日だが、先の大東亜戦争で日本はなぜ真珠湾攻撃という選択肢を取ったのか。資源確保や米国との外交対立といった因果関係だけで説明することはできない。第一、真珠湾には資源がないのだ。
 
 同じことは、冷戦期のキューバ危機にも言える。教科書的な説明は「ソ連がキューバにミサイルを置こうとしたことから米ソが極度の緊張関係に入ったが、交渉の末、危機は回避された」という流れだ。

 だが結果から問い直せば、なぜソ連はミサイル基地の建設をやめたのかがテーマとなる。軍事的優位を失うリスクを甘受してまで、その道を選んだ理由は何か。その背後には何があったのか。

 現代の国際情勢も、この逆向きの視点で捉えると輪郭が鮮明になる。ロシアはなぜクリミアを併合したのか。単に帝国的野心や地政学的必然だけであるまい。なぜ世界の主要メディアは一貫してプーチンを批判するのか、という問いも必要であろう。

 わたしたちは原因から結果への一本道に慣れすぎた。私は結果から原因への逆行の旅に出だのである。








Posted on 2025-08-10 | Category : コラム, 歴史の館 | | Comments Closed

姥捨から名付けられた『更級日記』というタイトル




文・M&C編集部

僕はタイトルが持つ力を信じている。それはちょっとした呪文のようなもので、口にした瞬間に別の場所へと意識を運んでしまうのだ。

『更級日記』には、作品のなかに「更級」ということばは出てこない。

どうして「更級日記」と呼ばれているのか。

それは、作品の終盤に出てくる「月も出でで 闇にくれたる姨捨に なにとて今宵 たづね来つらむ」という歌による。

作者の菅原孝標の女が、歳を重ねてひとり寂しく暮らしているところに、甥が訪ねてくる。

そのとき甥に向けて詠んだ歌だ。

『古今和歌集』の一首「わが心 慰めかねつ 更級や 姨捨山に 照る月を見て(雑歌上、よみ人しらず)」を本歌取りしている。

信濃の更級には、姨捨山の話が伝わる。

母親を亡くした男が、母親代わりに育ててくれた伯母を、妻から責められ、山に捨ててしまう話だ。

こんな話は聞くだけで胸がざわつく。

ただこの話には救いもあって、男は夜空に浮かぶ月を見ると、伯母を山に捨て置くことは忍びず、連れて戻る。

月の光がこの残酷な話に安らぎを与える。

話を日記のタイトルに戻して、後世、この日記を読んだ人々は、作品終盤に出てくる「更級」の言葉に、特別な感情を抱いたに違いない。

いつからともなく、読者のひとりが、この日記を『更級日記』と名付けた。その人はおそらく、この日記作品が「闇にくれたる姥捨」の歌の場面にきたとき、これこそがこの日記の核心だと感じたのだ。

名前ひとつで作品の輪郭が決まることもある。これはその典型だ。







Posted on 2025-08-09 | Category : コラム, 和歌とともに, 文学の談話室, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed

女が日記を書くということ──紀貫之『土佐日記』の挑発




文・M&C編集部

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてすなり」

平安時代の歌人・紀貫之が『土佐日記』の冒頭に記したこの一文は、日本文学史における一つの転機を宣言している。

当時「日記」といえば、漢文で書かれる男性の記録文を指していた。政治や公務に従事する男性たちは、自身の動静や時代の記録を漢文で綴った。

日記は私的な記録であると同時に、公的な文書でもあったのである。

そこに仮名で綴られた『土佐日記』が登場する。作者はあえて「女のふり」をして筆を執った。実に挑発的な新たな文学の開幕である。

この作品の奇抜さは単に性別を偽ったことではない。より深い意味で、紀貫之は当時の「書き言葉」が持っていた社会的な性格(漢文=男、公的、権威、仮名=女、私的、感情、という構図)に、大きな一石を投げかけたのである。

仮名で日記を書くという行為自体が、権威の側に属する言語を脱ぎ捨て、私的な感情の空間に踏み込む決意表明だった。

わたしはかねがね疑問だったが、当時の女性たちは日記を書かなかったのか? 

答えは否、である。女性も日々の記録や思い綴っていたようだ。ただし「仮名で私的な日記を書く」という文学的形式は、一般化していなかった。

『土佐日記』の成立が934年頃とされるのに対し、女性が自身の生活と感情を仮名で綴った日記文学の嚆矢とされる『蜻蛉日記』(藤原道綱母)は、このおよそ40年後、974年頃に登場する。

『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』などの名作群が現れるのは、さらにその後、11世紀である。

つまり、『土佐日記』は女性仮名日記文学の時代を予告する、いわば日記文学の「原点」に位置づけられる作品である。

しかも、その先駆者は男性であり、あえて女性のふりをした。もちろん、紀貫之は悪ふざけで女性のふりをしたのではない。言葉のジェンダー的境界線を意識的に横断し、文学の新たな可能性を切り拓いたのである。

彼の筆致は、時にユーモラスで、時に哀切で、格調を保ちつつも柔らかい。それは漢文にはない抒情性と、仮名が持つ音声的なリズムに支えられている。

こうした表現の豊かさが、後の女流日記文学に継承されることとなる。貫之の試みがなければ、『蜻蛉日記』のような作品が現れたかどうか。こうした「歴史のIF」を考えるのは楽しい。

もう一つ興味深いのは、『土佐日記』が「旅の記録」であるという点である。任地である土佐から京への帰還を綴った本作には、旅の困難、別れの悲しみ、船旅の不安、故郷への憧憬が織り込まれている。

これらの感情は、漢文の記録文では捉えきれないものだった。仮名だからこそ、あるいは「女の視点」を装ったからこそ、細やかに描き得た情緒がここにはある。

文学における「私」とは、常に虚構を孕んだ存在である。貫之がなぜ女性の視点で書いたのかという問いは、文学的戦略として捉えるべきだろう。

貫之は、仮名で書くための「必然」として、女という仮面を必要とした。仮名で書くこと、それ自体が傍流であった時代において、女性性はそのの「新規性」を担保する役割を果たしたのである。

現代の視点から見ると、『土佐日記』はジェンダー論的にも、メディア論的にも、実に多義的なテキストである。

男性が女性を演じることで初めて書けた日記。仮名という言語で初めて拓かれた感情の領域。そこにあるのは、言葉と性、権力と感情のせめぎあいである。

紀貫之は漢詩人であり官人でありながら、仮名で書くという選択をした。そして、そのために「女性の目で見る」ことを選んだ。

この逆説的な構造が、『土佐日記』を不朽の名作たらしめている。

貫之が拓いた仮名文学の地平の先に、やがて紫式部や清少納言が立ち現れることは、彼は予想しなかったであろう。







Posted on 2025-08-08 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

役に立たないものの存在について




文・M&C編集部

ある日、仕事の一環としてウェブサイトのSEO対策に携わることになった。そこで知ったのは、Googleの検索アルゴリズムが「役に立つ」情報を上位に表示するよう設計されていることだった。

なるほど、検索するユーザーにとって、役に立つ情報が先に表示されるのは合理的だ。

日々検索を通じて情報を得る私たちは、意識せずとも「役に立つ」情報の中に生きているのだ、と改めて気づかされた。

この「役に立つ」ことの力強さ、そしてそれが社会に与える恩恵を疑う余地はない。

技術の多くは実用を目的に磨かれてきた。人の困りごとを解決するのはビジネスの基本である。

「役に立つ」という観点を排除してしまえば、社会はたちまち立ち行かなくなるだろう。

だが、である。私が感じる世の中の生きにくさのひとつは、この「役に立つ」ということにあるのではないか。

たとえば、文学や美術といった分野はどうだろう。

私たちは、文学や美術に接するときでさえ、そこに「何かを得たい」と思っうことを否定できない。

それは癒しだったり、知識だったり、人生のヒントだったりする。

もちろんそれもアリだが、そればかりでは精神が貧しすぎないか。

カフカの『変身』に登場するグレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると虫になっていた。この不条理な物語に、即座に「役立つ」意味を見出すことは難しい。

けれど、このような作品こそが私たちの常識を揺さぶり、「生きるとは何か」「人間とは何か」といった根源的な問いを、突きつけてくるのではないだろうか。

役に立たない、だからこそ心が解き放たれる。それは芸術の醍醐味だと思う。

「この時間は、いったい何になるのか?」

こうした問いに勇気を持って対峙し、ただ感じることの尊さを味わう。

できるだけ私はそうしたいと思う。

だが、である。ここまで書いてきて気づいたが、もしこの文章を読んで、「なるほど、そうかもしれない」と思ってくれた人がいたら、私の文章はその人にとって「役に立った」ことになる。

矛盾である。

この矛盾も静かに受け入れる勇気を持つべきなのだろう。







Posted on 2025-08-08 | Category : コラム, 生きる指針 | | Comments Closed