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役に立たないものの存在について





文・M&C編集部

ある日、仕事の一環としてウェブサイトのSEO対策に携わることになった。そこで知ったのは、Googleの検索アルゴリズムが「役に立つ」情報を上位に表示するよう設計されていることだった。

なるほど、検索するユーザーにとって、役に立つ情報が先に表示されるのは合理的だ。

日々検索を通じて情報を得る私たちは、意識せずとも「役に立つ」情報の中に生きているのだ、と改めて気づかされた。

この「役に立つ」ことの力強さ、そしてそれが社会に与える恩恵を疑う余地はない。

技術の多くは実用を目的に磨かれてきた。人の困りごとを解決するのはビジネスの基本である。

「役に立つ」という観点を排除してしまえば、社会はたちまち立ち行かなくなるだろう。

だが、である。私が感じる世の中の生きにくさのひとつは、この「役に立つ」ということにあるのではないか。

たとえば、文学や美術といった分野はどうだろう。

私たちは、文学や美術に接するときでさえ、そこに「何かを得たい」と思っうことを否定できない。

それは癒しだったり、知識だったり、人生のヒントだったりする。

もちろんそれもアリだが、そればかりでは精神が貧しすぎないか。

カフカの『変身』に登場するグレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると虫になっていた。この不条理な物語に、即座に「役立つ」意味を見出すことは難しい。

けれど、このような作品こそが私たちの常識を揺さぶり、「生きるとは何か」「人間とは何か」といった根源的な問いを、突きつけてくるのではないだろうか。

役に立たない、だからこそ心が解き放たれる。それは芸術の醍醐味だと思う。

「この時間は、いったい何になるのか?」

こうした問いに勇気を持って対峙し、ただ感じることの尊さを味わう。

できるだけ私はそうしたいと思う。

だが、である。ここまで書いてきて気づいたが、もしこの文章を読んで、「なるほど、そうかもしれない」と思ってくれた人がいたら、私の文章はその人にとって「役に立った」ことになる。

矛盾である。

この矛盾も静かに受け入れる勇気を持つべきなのだろう。







Posted on 2025-08-08 | Category : コラム, 生きる指針 | | Comments Closed
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