清末の書家 趙之謙 没後130年の記念展
[text:蓬田修一/photo:宮川由紀子]
東京国立博物館と台東区立書道博物館で「趙之謙の書画と北魏の書-悲盦没後130年-」が、2014年7月29日(火)から2014年9月28日(日)まで開催された。
この展覧会は、東京国立博物館と台東区立書道博物館との連携企画。今回で12回目を迎えるが、回を重ねるごとに充実度が増し、開催を毎年楽しみにしている。
2014年は趙之謙(1892~1884)の没後130年にあたる。それを記念して開催されたのが本展だ。趙之謙は会稽(かいけい 浙江省紹興)に生まれた。家は商売を営み裕福であったが、彼が十代のとき家産が傾き、以降、貧困を余儀なくされる。趙之謙は書画や篆刻で生計を立て、勉学に励んだ。
その後、趙之謙は結婚し子どもにも恵まれたが、太平天国の乱に巻き込まれ、紹興の自宅は焼失し、妻子を失ってしまう。彼は絶望し、自らの号を悲盦(ひあん)と改める。
趙之謙は趙家を復興するため、科挙に及第し高級官僚になることを目指す。北京に赴き試験(会試)を受けるが落第し続ける。42歳のとき、4度目の会試に失敗。高級官僚への道を断念して、地方官として江西省への赴任を決意する。江西の地で政務をこなすが、過労により56歳で生涯を閉じた。
趙之謙は40歳代のとき「北魏書」と称される新しい書法を確立。50歳代になると、それに固執せずにより自然で雄渾な書きぶりを示した。趙之謙の書は日本の書壇にも影響を与え、河井荃廬(かわいせんろ)、西川寧(にしかわやすし)、青山杉雨(あおやまさんう)、小林斗盦(こばやしとあん)らに継承された。
今回の連携企画では、東京国立博物館と台東区立書道博物館の両館に所蔵される趙之謙の書画や篆刻作品をはじめ、趙之謙が若い頃に学んだ作品、北魏時代の拓本などが展示された。作品展示を通して趙之謙の魅力と彼の生涯を感じることができる展覧会だった。
(2014年11月1日)