美術鑑賞をもっと楽しもう! 旧約聖書 バベルの塔
西洋の美術作品、特に印象派以前の絵画作品は、聖書やギリシャ神話を知らないと、鑑賞が難しいのが多いんですよね。そこで、ここでは旧約聖書を取り上げて、有名なエピソードを少し知っておこうと思います。今回は「バベルの塔」です。
神の怒りに触れた
世界にはなぜ多くの言語があるのだろう? もしひとつの言語だったら、いろんな国の人とのコミュニケーションがどんなに楽だろう。子どもや学生の頃、そんなことを思った人いるんじゃないでしょうか?
どうして言語がいくつもあるのか? その理由が旧約聖書には書いてあります。それが「バベルの塔」のエピソード。
それによれば、箱船に乗って大洪水の惨事を乗り越えたはノアの子孫たちは、だんだんと人口を増やしていきました。
ノアは、子孫たちがいろいろな場所で暮らすように図ったけれども、子孫たちはひとところに集まって暮らしていました。
一所懸命に働いて、きっと暮らしは良くなっていったのでしょう。聖書には「石の代わりにレンガを得て、しっくいの代わりにアスファルトを得た」と書いたあります。
技術革新です。技術だけでなく、社会制度や経済や文化も発展していったに違いありません。
技術力を得た彼らは、天に届く巨大な高い塔を建築しようと考え、実際に作り始めました。
神は、その様子を見てこう思います。
「人間がこんなことを考えたのは、言葉がひとつだからだ。言葉を混乱させるのだ!」
こうして世界は、神によってたくさんの言語に分かれ、人々は散り散りに住むようにさせられたのです。
人間の傲慢の象徴
わたしはこのエピソードを初めて知ったとき、神は理不尽なことをしたと思いました。でも、理不尽なことをしたのは人間のほうだったのかもしれないと、その後思うようにもなりました。
「天に届く塔を作る」の「天」とはどこなのでしょうか? 天にも届くほどの高く素晴らしい塔を、最新の技術と皆で力を合わせて作ろうとしたのかもしれません。すばらしいことです。
「天」とは、それまでにない立派な建築物を作ろうとしたときの、スローガンやキャッチフレーズのようなものとも言えます。
ただ、一般的に広く伝わっている解釈は、「天」とは神の住む領域であり、そこまで届く塔を作ろういうのは人間の驕りです。
神はそれが分かったので、ひとところに同じ言語で生活させておくのはいけないと考え、言葉を通じなくさせて、人々を散り散りにさせました。バベルの塔は、人間の傲慢の象徴なのです。
その一方で、散り散りになる以前の調和が取れた世界を描いたという見方もあります。
3回描いたバベルの塔
では、バベルの塔をテーマにした美術作品を見てみましょう。何と言っても、ブリューゲルの《バベルの塔》が有名ですね。誰もがどこかで一度は見たことがあるでしょう。
描かれているのは「塔」とは言っても、東京タワー、スカイツリー、パリのエッフェル塔などと違って、それよりも遙かに巨大です。塔というよりも、巨大な建築物です。
ブリューゲル、正式な名前はピーテル・ブリューゲル1世。1526年頃、ネーデルラントの田舎(今のオランダ)に生まれました。20代のときイタリアに行き、美術の勉強をします。しかし帰国後、ブリューゲルは自分の作品にイタリア美術の強い影響は見られません。ヒエロニムス・ボスを手本に、オランダ的な伝統にのっとった作品を描き続けます。
ブリューゲルは聖書に出てくるバベルの塔のエピソードが気に入ったようです。バベルの塔をテーマにした作品を、生涯で少なくとも3回は描いています。
ひとつ目は、20代のときローマ滞在中に描いた作品です。残念ながらこれは現存していません。
ふたつ目は、1563年に描かれたもので、ウィーン美術史美術館が所蔵しています。上に掲載した作品です。
そして、みっつ目が最晩年の1568年頃に描いた作品で、ロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵しています。
ほかの画家は誰もバベルの塔を描かなかった?!
ほとんどの人が知っているブリューゲルの《バベルの塔》ですが、実はブリューゲル以前にバベルの塔をテーマにした作品は、中世のモザイク美術を別にすると、聖書関係の版画に限定されています。いかにも絵画的なテーマだと思うのですが、作品が極めて少ないのはなぜか?
青山学院大学の高橋達史教授によれば、こういうことのようです。
「敢えて単純化して言えば、ルネサンスにおける人文主義思想の台頭以前は、「人間のドラマ」が主役を演じている物語が当然のように優遇され、生命を欠く建築物が主役の絵は独立した鑑賞用絵画には不向きだとされていたからだと言います。野心に燃える画家たちの創作意欲をそそらなかった。」(「バベルの塔」展 図録より 2017)
それは、旧約聖書ではバベルの塔の直前にある「ノアの箱船の建造」や「大洪水」に、誰もが認めざるを得ないほどの傑作絵画がまったくないことからも分かるといいます。
なるほど。今でも個人的には、現代アートとして建築物を描いた絵画作品は見てみたいですが、伝統的な油彩や日本画で描かれた建築物だけの作品というのはどうなのかな?という気はしますね。
岩山をもとに塔を建築
上の絵は、ウィーン美術史美術館所蔵の《バベルの塔》です。少し詳しく見てみましょう。
バベルの塔はたくさんの船で繁栄する大きな港のすぐそばに建っています。港のすぐそばに大きな建造物を建てるのは、その港や都市のランドマークとしての機能を持たせるためでしょうか?
そう言えば、横浜のみなとみらい地区にも、港のそばに飲食店やオフィス、ホテルが入居する高層ビル「ランドマークタワー」が建っています。
前景には、ひとりの権力者風の男が大勢の軍人を引き連れて来ている。その男の前には跪いている人たちがいます。
権力者風の男は、この塔の建設を命じたニムロドという王です。跪いているのは石工たち。工期が遅れているので、視察に訪れた王に叱責され、許しを乞うているのでしょうか?
塔の建設の進み具合いは、右半分と左半分では大分違います。右半分はまだまだ工期途中ですが、左半分はほぼ外壁もできあがっているようです。外壁は石造り、内部はレンガです。
塔の外周には通路が螺旋状に作られ、そこには作業員たちの飯場が仮設で作られています。洗濯物を干す作業員らの妻の姿も見えます。
右半分には大きなクレーンが各階にあって、下から順番に石材を上の階に上げています。人物の大きさから、この塔が巨大さが分かると思います。
中央部分には、岩山の一部が見えます。そのことから、塔は巨大な岩山を基盤にして、必要に応じて切り崩しながら作られているのが分かります。
実在するノルマンディーのサン・ミシェル修道院も岩山も上に建てられていて、巨大建造物を岩山の上に建てるというのは、頑丈な岩盤を活用するということから実際もあったことです。
神の怒りは表現されているのか??
現存するもうひとつの《バベルの塔》を見てみましょう。↓↓↓ こちらはボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館に所蔵されています。1568年頃に描かれました。
一見して分かるとおり、前作よりも大分建設が進みました。塔は10層目まで作られていて、5層目あたりから雲を突き抜けています。
よく見ると、塔にはおびただしい数の人の姿が見えます。しかもその人の姿が極めて小さい!
この作品、一見、大作に見えますが、実はそれほど大きなものではありません。わたしも2017年に東京で開催された「バベルの塔」展で実物を見ましたが、想像より遙かに小さかった印象があります。作品の大きさは59.9×74.6cmです。ちなみに、先のウィーン美術史美術館収蔵品はこの4倍ほどの大きさがあります。
聖書では、バベルの塔のエピソードは人間の傲慢の象徴として書かれています。けれど、ブリューゲルのふたつの《バベルの塔》を見ると、個人的には神の怒りは感じられないですし、人間の傲慢の象徴というよりは、巨大建築を作り、そこで共同作業ができるほどの人間の可能性を示している絵のような気がします。
実際に展覧会でこの絵を見たときも、怒れる神の姿が描かれていないからでしょう、人間の傲慢というよりは、人間の可能性のほうを感じていました。皆さんはどう思われますでしょうか??
※画像はWikipediaより引用しました。
まとめ
1. ブリューゲルは生涯に3つのバベルの塔を描いた。現存しているのはふたつ
2. 神は人間がバベルの塔を作ったので怒り、それまでひとつだった言語をいくつもの言語に分けて、悪だくみを相談できないようにした
3. バベルの塔は人間の傲慢の象徴
【展覧会レビュー】現代美術の世界的アーティスト 「ピーター・ドイグ展」
現代アート界を代表するアーティスト
ピーター・ドイグ。皆さんはこのアーティストの名前を聞いたことがあるでしょうか?
1959年(昭和34年)、スコットランドのエジンバラ生まれ。ロマンティックかつミステリアスな風景を描く画家として知られています。
1994年に、主にイギリスで活躍する現代アーティストに贈られる「ターナー賞」にノミネート。以来、テート(ロンドン)、パリ市立近代美術館、スコットランド国立美術館(エジンバラ)、分離派会館(ウィーン)などで個展が開催されてきました。
「現代アートのフロントランナー」として、世界的な活躍を続けてきて、同世代、後続世代のアーティストに多大な影響を与えているといいます。
美術マーケットでも極めて高く評価されています。彼の代表作のひとつ《のまれる》は、2015年のクリスティーズ・オークションで、約2600万ドル(当時約30億円)という高額で落札されました。
一般にはあまり有名ではありませんが、世界の美術マーケットおよび美術関係者の間では有名なアーティストです。現代アートの世界を代表するアーティストのひとりと言っていいでしょう。
そんな彼の大規模個展が、2020年(令和2年)2月26日(水)から6月14日(日)まで、東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催されています。
初期作から最新作まで、選りすぐりの作品を紹介しています。大型がメインとなっていることもあり、展示作品数は72点と比較的少数です。
個人的にですけれど、大型作品で作品数が少ないと、会場を見ていて疲労があまりなく、鑑賞する集中力も持続します。ストレスなく楽しめる展覧会でした。
巷間に流布している平凡なイメージを参照
ピーター・ドイグの作品に話を戻して、なぜ彼の作品は、わたしたちにとって親しみやすく感じるのでしょうか?
ピーター・ドイグ展の図録に掲載されている、東京国立近代美術館の枡田倫広主任研究員の論考をもとに、簡単に紹介してみます。
ひとつは、
「巷間に流布している極めて平凡なイメージを参照してい絵を描いているから」
映画、絵はがき、新聞広告などをもとにして描いています。紋切り型の広告的な図像を、「絵画的な不明瞭さ」に変換して、特異な風景として表現するのがその一例です。
もうひとつの理由は
「西欧の絵画史を踏まえて絵画が制作されている点」
ムンクの色彩や描き方、ミレーやゴッホを思わせる作品、ゴーギャンを思い起こさせる画面構成など、絵画史との密接なつながりが、どことなく見たことがある印象を与えています。
ピーター・ドイグについては、まだまだ語ることがたくさんありますが、ひとまずここまでにしたいと思います。
現代美術を代表する世界的アーティストの作品がどんなものか、気になりませんか? もし関心がおありでしたら、ぜひ展覧会で見てみてください。
ピーター・ドイグ/ Peter Doig
1959年、スコットランドのエジンバラ生まれ。カリブ海の島国トリニダード・トバゴとカナダで育ち、90年、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得。94年、ターナー賞にノミネート。02年よりポート・オブ・スペイン(トリニダード・トバゴ)に拠点を移す。
ピーター・ドイグ展
会期 令和2年(2020年)2月26日(水)から6月14日(日)まで
休館日 月曜日(ただし3月30日、5月4日は開館)、5月7日(木)
会場 国立近代美術館1階 企画展ギャラリー
観覧料 一般1700円(1500円)、大学生1100円(900円)、高校生600円(400円)、中学生以下無料
※( )内は20人以上の団体料金
以下の画像は2月25日に実施されたプレス内見会での会場のようすです。
西洋美術 鑑賞入門 旧約聖書「天地創造」
聖書が分かると美術鑑賞がより楽しく
西洋の美術作品、特に印象派以前の絵画作品は、聖書やギリシャ神話を知らないと、鑑賞が難しいのが多いんですよね。
わたし自身、美術に関心を持ち出して、美術展に行くようになって、痛切に感じたことです。
美術関連のサイトを運営しているんですが、そこにメッセージを寄せてくれる人の中には、わたしと同じ悩みを持っている人たちがたくさんいることを知りました。
そこで、まずは聖書について、美術を鑑賞するうえで最低限の知識や常識のようなものを整理して、少しでもみなさんの美術鑑賞のお役に立ったら嬉しいと思って、書いてみることにしました。
あくまで、美術鑑賞にあたってのごく基本的な聖書理解なので、聖書やキリスト教の教義の解釈には立ち入りません。
と言いますか、私はキリスト教徒ではありませんし、学校や教会などでキリスト教を専門に学んだこともないので、とても深く立ち入れません。
教義について、いろいろな解釈を議論、吟味するのは、それはそれで有意義で興味深いことではありますが、それはわたしの手に余ることでありますし、美術鑑賞にとっては必ずしも必要ではないので、ここでは立ち入らないことにします。
ちなみに、わたしのキリスト教との出会いというか受容というようなものについて、少しお話しておきます。
若い頃、周囲にキリスト教徒の友人・知人がたくさんいたことがあって、当時、彼ら・彼女たちに誘われて、日曜日によく教会に行っていました。2年間ほどの期間です。
その時期、ある教会の牧師先生と親しくなって、その牧師先生の自宅に呼ばれていっしょに食事したり、いっしょに出かけたこともありました。
そんな限られたわたしのキリスト教経験ですが、キリスト教や信者の考え方や生活の一旦をちょっと知ることができました。それはいま美術を鑑賞するうえでも役立っていると感じています。
神と人間との「契約」
話を戻しまして、「こんなことを知っていたら、美術鑑賞がもっと楽しめますよ」というごく初歩的な内容を、今回からシリーズでお伝えできればと思っております。
聖書にはご存じのとおり、「旧約聖書」と「新約聖書」があります。私は最初、旧「訳」、新「訳」かと思ってました。何か古い教典があって、それを何かの言語に訳した、その順番なのかと、何となく考えていたのです。(そう考えていた人、案外多いのではないでしょうか?!)
正しくは、「約」は「契約」の意味で、神と人との関係を「契約」として捉えています。これは古代イスラエルの思想です。
そして「旧約」とは、イエス出現以前に神と人とが交わした契約であり、「新約」はイエス出現後に神と人とが交わした契約になります。
神と人との関係を「契約」として捉える、ここが日本とは随分違いますね。日本には「八百万(やおよろず)の神」と言われるように、たくさんの神様がいらっしゃいますが、そうした神様と人との関係を「契約」とは考えていない人がほとんどでしょうね。
これは民族の歴史や文化の話ですから、別にどっちが優れているとかそういう話でないです。
「言葉」と「わざ」で万物を創造
まずは「旧約聖書」から見ていきましょう。旧約聖書は、キリスト教徒以外にも馴染みがあって、興味深いエピソードがたくさんあるので、ファンタジー小説を読んでいるようで面白いです。
旧約聖書はユダヤ教の教典です。ヘブライ語で書かれいて(一部アラム語)、紀元前2世紀頃にイスラエルの学者によってまとめられました。
今回は旧約聖書の冒頭、「天地創造」についてです。有名ですよね、神様が1週間、というか6日間で世界を作られた、という話。神は「言葉」と「わざ」によって、「万物」を「創造」したのだといいます。
興味深いですね! 個人的には、カギ括弧でくくった4つの言葉を吟味したいところですが、それはまた別の機会にしましょう!
世界の原初の状態は「混沌」と「闇」でした。聖書の言葉を見てみましょう。
「地は形がなく、何もなかった」
「闇が大いなる水の上にあった」
そこで、神が
「光よ、あれ」
と言うと、光ができて、光と闇が分かれました。
神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けました。これが第1日目です。
2日目、神は
「大空よ、水の間にあれ」
と言いました。すると、大空が作られ、その大空を「天」と名付けました。そして、水が大空の下と上に分けられました。大空の上と下に分けられたとはどういうことでしょう? わたしにはよく分かりません。とにかくこれが2日目です。
3日目、神は
「天の下の水は一所(ひとところ)に集まれ」
と言いました。それから、
「乾いたところが現れよ」
とも言いました。
こうして海と大地ができあがりました。
それから、神は大地に植物を芽生えさせました。
4日目、神は「光るものは、天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ」と仰せられ、ふたつの光るものを作りました。大きい方の光るものに昼をつかさどらせ、小さい方に夜をつかさどらせました。太陽と月ですね。それから、星をつくって、天の大空に置きました。
5日目、神は海に魚を、大地に鳥を作りました。
6日目、地上の獣、家畜、すべての生物を作り、最後に神自身の姿に似せて、人間を作りました。そして、人間にすべてのものを支配させました。
こうして神は創造した天地万物に満足し、7日目は休息の日としました。さらに、7日目を祝福して、聖なる日としたのです。これが1週間(7日間)の起源となります。
人間にすべてのものを支配させたのは興味深いですね。「人間中心主義」です。歴史上、キリスト教徒たちが自然を征服していくのは、こうした教義が根本にあるからかな??とは想像します。
同時に、神が人間に万物を支配させたのは、大自然に対する人間の責務を表明しているのだという考え方もあります。
神が創造したもの
1日目 光と闇 昼と夜
2日目 大空と水
3日目 地上と海 植物
4日目 太陽と月と星
5日目 魚と鳥
6日目 地上の生き物と人間
7日目 天地万物が完成して満足し、休息をとった。聖なる日とした
天地創造の美術作品
2点紹介しておきましょう。まずは、ヤン・ブリューゲル(子)が描いた作品。太陽、月、大地、植物が神によって創造されています。
これは、ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井絵の一部。光と闇の分離。1日目の出来事ですね。
次回は「アダムとエバ」を解説します。
※間違いなどがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
東京ビエンナーレ2020プレイベント 「祈り」の作品をはやく見たい!
2020年に開催されるアートイベントで、個人的に注目しているのが「東京ビエンナーレ2020」だ。どんなイベントかというと、公式サイトには、こんな風に説明されている。
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これはアートのための国際催事ではなく、まちに宿る文化資源を丁寧に感じ取り、その可能性を引き出し、「私」から「私たち」へ意識や創造的な活動を広げるフレームです。そのため、参加するのはアーティストだけではありません。アート、デザイン、建築、まちづくり……etc.あらゆる方向からアプローチしていきます。
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まちに宿る文化資源を丁寧に感じ取り、その可能性を引きすって、とても面白そうじゃないですか!?
さて、その「東京ビエンナーレ2020」のプレイベントが開催中なので、早速見てきた(会期:2019年10月12日~11月24日)。
プレイベントは、都内5つの会場を舞台に、展示だけでなく、トークセッション、ワークショップなど多彩なコンテンツで実施されている。
わたしが見たのは、銀座線・末広町駅近くのアーツ千代田3331 1階メインギャラリー会場。ちなみに、ほかの4会場は、COEDO室町テラス3階三井ホール&カンファレンス(中央区・日本橋)、南池袋公園(豊島区)、番長の庭(千代田区・四番町)、東京ガーデンスクエア公開空地(中央区・京橋)。
アーツ千代田3331で実施されていたのは「東京ビエンナーレ2020計画展」(上の写真)。29組の参加アーティストやキュレーターによるプロジェクトプランの展示だ。
前置きが長くなってしまったけれど、わたしが紹介したかったのは、その「計画展」で展示されていた「Praying for Tokyo 東京に祈る」というプロジェクトに参加している、内藤礼と宮永愛子の作品だ。会場ではふたりの作品内容がパネル展示されていた。
内藤の作品は「東京に祈る」(仮題)。昭和20年3月10日の東京大空襲がテーマだ。どんな作品かは詳しく書かれていなかったが、空間を使った作品になるようだ。
宮永の作品は「聖(ひじり)の空間」(仮題)で、お茶の水駅近くの聖橋、その北側には湯島聖堂、南側にはニコライ堂という「聖」の空間に着目し、湯島聖堂でインスタレーションを行う。
わたしは近年、「祈り」に関心があって、今回の作品も楽しみにしている。
東京大空襲は、アメリカ軍による一般人への「虐殺」であり、それを内藤はどう表現するのだろうか??
儒教にも関心があるので、湯島聖堂はしばしば行く、わたしにとっての“聖地”だ。そこでどんな作品が展開されるのか?? 開催が待ち遠しいね!
(M&C 蓬田修一)
美術展の予習はしたほうがいい??
今回は、美術展鑑賞における予習についてです。
—
アートを鑑賞する際、先に歴史的背景など知っておいた方がいいと思いつつ、先入観なく鑑賞したいような気もあり、どちらの鑑賞法がおすすめとかありますでしょうか?
—
読者さんから上記の質問をいただきました。
この気持ち、同じように感じている人、結構多いんではないでしょうか? わたしもかつて同じことで悩んでいました。
美術展に行く前に、本を読んだり映像を見たり予習して、作品についていろいろ知って、事前に作品を何度も見たりしていると、美術展で作品と出会ったときに感じる驚きや感動が薄れてしまうような気がしてしまう。なんだか、もったいないような。。。わたしの場合は、そんな感じでした。
かと言って、予習をしていかないと、特に西洋絵画は絵のテーマが分からず、単に色使いがきれいだとか、構図が大胆だとか、描かれている女性が美しいとか、表面上のことを浅く認識できるだけで、作品にどう接していいのか途方にくれることも少なくなかったです。
こんな失敗??を何度も経て、たどり着いた答は、
感性で鑑賞するのと、頭で鑑賞するのは別モノ
ということです。
作品を見て、感性にびんびん響いてきて、見ていると幸せな気持ちになる! 理屈でなくこの絵が好き!という作品であれば、そういう楽しみ方でも十分ですよね。感性で鑑賞できる作品は感性で鑑賞したらいい訳です。
こういう楽しみ方ができるのは、西洋画、日本画などジャンルを問いません。わたしの場合、ルーベンスの絵(特に大作)がそうでした。
一方で、描かれた作品の時代的な背景、作品がどのような経緯で作られたか、作品のテーマ、作品の中に描かれているモノが表している特別の意味、絵画上の技法などなど、こうしたことを知っていれば、作品を見たとき、鑑賞は格段に深まります。言ってみれば、アタマでの鑑賞ですね。
以前はこうした鑑賞法は、何となく美術を鑑賞する方法ではないような気がして避けていました。
でも、違ったんですね。アタマで理解して鑑賞が深まると、次第に感性による鑑賞力も高まってくるのを感じますし、自分の鑑賞力の幅が広がるので、より豊かなちで美術と接することができるようになったと感じています。
以上、わたしの個人的なことを書いてみました。
皆様の美術鑑賞がより実りあるものになることを願っております。
(TEXT:蓬田修一)
【美術展インプレッション】リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展 そもそもリヒテンシュタインってどんな国??
個人的に、美術展や美術作品を鑑賞する楽しみのひとつが、作品にまつわる歴史や文化的な背景を知るきっかけになること。
今回の「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」(ここでは「リヒテンシュタイン展」と言うことにします)でも、リヒテンシュタインという国やリヒテンシュタイン侯について、知ったり考えたりするとてもいい機会になった。
リヒテンシュタインとはどういう国か?? wikiをもとに調べてみると、こんな感じ。
面積160平方キロ(世界190位)、人口約3万5000人(世界210位)という超ミニ国家。
あまりに小さいので自国での防衛は放棄して、隣国スイスに任せている(自国は非武装中立)。
主な産業は精密機械や金融などとなっているが、実際はタックスヘイブンによる法人税収入。全税収の40%になるという。人口よりも法人数のほうが多いらしい。世界中のグローバリズム思考を持った人たちが、租税回避として利用している国ということですね。
GDPがすごくて、総額は41億6000万ドルで世界165位。ところがひとりあたりになると11万8000ドルとなる(2007年)。
これがどれくらいの金額かというと、2018年のIMF統計によれば、アメリカ約6万3000ドル、ドイツ約4万8000ドル、日本約4万ドルだからダントツで恐らく世界トップクラスだろう。こんなに豊かだから、国民は直接税(所得税、相続税、贈与税)はない。
さて、美術展のほうだが、7章立てで構成されていた。
第1章 リヒテンシュタイン侯爵家の歴史と貴族の生活
第2章 宗教画
第3章 神話画・歴史画
第4章 磁器-西洋と東洋の出会い
第5章 ウィーンの磁器製作所
第6章 風景画
第7章 花の静物画
最後の「花の静物画」だけは撮影OKエリアとなっていた。こういう風にほとんど撮影NGだけど、一部だけ撮影OKにして、来場者の撮影したい気持ちを満たす展覧会が増えましたな。
個人的には、最近、宗教や神話を題材にした絵画に関心大きいので、「宗教画」と「神話画・歴史画」のエリアは、とても見応えありました。
特に「楽園のアダムとエヴァ-堕罪」(ルーント・サーフェリー、コルネリス・コルネリスゾーン・ファン・ハールレム、1618年)は、じっくり見てしまった。
画面中央にアダムとエヴァ。エヴァはもう禁断の木の実をかじってしまったようだ。かじった実を左手に持ち、右手に違う実をアダムに差し出して、「ほら、おいしいわよ、食べて」と言っている(ようだ)。
アダムは「それ食べたらいけないよ~」と言っているのかどうか、右手ひとさし指で天上を指している。「神様が食べちゃダメって言っているじゃない~」とエヴァに言っているのかもね。
アダムもエヴァも全裸(陰部が葉で隠されているだけ)なのだが、ふたりとも体格がいい。アダムは男性だから違和感ないけれど、エヴァは女性なのに、からだががっしりしていて、胸のふくらみがなければ男性のカラダだよ。西洋美術では、こういう風に女性を描くこと多いけれど、どうしてだろう?? 謎解きの楽しみですな。
国立西洋美術館で開催中の「ハプスブルク展」にも、同じテーマの絵画「堕罪の場面のある楽園の風景」(ヤン・ブリューゲル(父)、1612/1613頃)が出品されている。
こちらも見たよ。アダムとエヴァは後ろのほうに小さく描かれている。たくさんの動物たちが生き生きと描かれ、こちらが主人公ですな。こんな風に同じテーマの作品を見比べてみるのも、とても楽しい。
リヒテンシュタイン展に話を戻して、「磁器-西洋と東洋の出会い」のエリアも、とても興味深かった。展示されていたのは、日本の有田窯や中国・景徳鎮窯の磁器に、ヨーロッパ風の大胆な金属装飾を施した大型磁器。磁器の青色の絵と大振りな金色のブロンズ装飾の組み合わせが、素人目には合っているんだか、合っていないんだか、ゴージャスだけどよく分からない世界を作りだしていた。
もちろん、ほかにもすばらしい作品はたくさん。ヨーロッパ貴族の美意識に関心ある方は必見ですね。
【展覧会インプレッション】作品ボリューム満点!「ハプスブルク展」
個人的に、数年前から「ハプスブルク」や「神聖ローマ帝国」「オーストリア=ハンガリー二重帝国」などに関心を寄せて、本を読んだり自分なりにいろいろと考えてきたので、今回の「ハプスブルク展」は、とても楽しみにしていた。
日本も戦争に負けるまでは「大日本帝国」という「帝国」だったし、第一次大戦が終わるとオスマン帝国、ロシア帝国、そしてオーストリア=ハンガリー二重帝国と、世界(と言ってもヨーロッパ圏だが)の主な帝国が消滅してしまうが、それら「帝国」の歴史にも関心がある。
そんなこんなで、かつての帝国のひとつ“ハプスブルク帝国”のコレクションはどんなものだろうかと、開催が待ち遠しかったのである。
で、早速見的ました!出品作品は当然ながらどれも素晴らしい! ウィーン美術史美術館コレクションからの出品が主で、ハプスブルク家のコレクションは、ウィーン美術史美術館に引き継がれているんだと、改めて認識した。
大作が多いのだが、大作って描かれている情報量も膨大で、細部まで見るといろいろな発見があり非常に面白い。
ただ、いつまでも絵の前で立っているわけにもいかず、いつも中途半端な気持ちで絵を後にするんだよな。
展覧会場の展示構成はこのようになっていた。
1章 ハプスブルク家のコレクションの始まり
2章 ルドルフ2世とプラハの宮廷
3章 コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集
4章 18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
5章 フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリア・ハンガリー二重帝国の終焉
国立西洋美術館のコレクションとハプスブルク家ゆかりの作品
ほかの展覧会にも言えることで、個人的にはいつも思うんですが、出品点数って多すぎないかい??(今回は約100点が出品されている)
俺はひとつの作品をじっくり見たい派なので、作品を見るのにすごくエネルギーを使う。絵を感覚的に見て、「元気をもらう」とか「幸せな気持ちになる」とかよりも、「絵を読む」って感じで、絵からの情報を読み取ったり、描かれた背景などをあれこれ考えるのが好きなんですよね。
なので、5作品くらい見ると、集中力が明らかに低下してきて、気力・体力ともにかなりダウンします。ほかの人は集中力やテンションをどう保って見ているんだろう、といつも不思議な気持ちになる。
会場の空間設計についてちょっと言及すると、エントランスを入ると、すぐに階段を下りて、「1章ハプスブルク家のコレクションの始まり」の展示エリアに行くようになっている。
この1章の展示室が天井高がある大空間になっていて、巨大なタペストリーや、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の甲冑などの大物作品が展示されている。今回のハイライトみたいな感じです。ハイライトを最初にドーンと見せた、っていうふうにも言える。そして、見終わったら、また階段を上がり、2章からの展示を見るという導線設計だ。
階段を下がったり上がったりするのは面倒な感じもする(階段ですぐ近くを上っていた男性は「こういうふうに下がったり上がったりするのは嫌だな~」と言っていた)。
その一方で、細い階段を歩き、そして広い展示会場に出ると、気持ちがリセットされ、展示品に対するテンションも一気に上がるから、効果的な空間演出だ。
ところでいま、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「リヒテンシュタイン 侯爵家の至宝展」が開催されている。リヒテンシュタイン侯爵家はかつて神聖ローマ皇帝に仕えた。
こちらの展覧会もあわせて見ると、オーストリア、ハプスブルク、神聖ローマ帝国、リヒテンシュタインなどの名門貴族など、ヨーロッパについての理解が深まると思う。ご関心ある方はこちらもぜひ!
日本・オーストリア友好150周年記念
ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史
会期 2019年(令和元年)10月19日(土)から2020年(令和2年)1月26日(日)まで
会場 国立西洋美術館
嬉しさが込み上げてきた展覧会 正倉院展
正倉院というのはもちろん知ってたよ。小学校だか中学校の歴史の教科書に写真が載っていたと思うし。校倉造りっていうんだっけ??違ったかな?
でもそこにどんなお宝があるのか?ってことは、いまひとつ知らなかったよね。豪華な装飾の琵琶とか、水差しみたいのはあったよね。それくらい。
そもそも、正倉院のお宝って何??。国宝より上(この表現は適切じゃないんだろうけど)という話も聞くし。つまりは、国宝という枠に収まりきれない国のお宝ということなんだろうと、勝手に思ってます。
それに東大寺というお寺に正倉院はあるというが、何でお寺なの?? 当時は仏教の力で国を治めた、みたいなことも聞いたことあるけれど、これもいまひとつピンとこない。
天皇(皇室)のお宝なんだから、天皇がいらっしゃった御所にあるんじゃないの?宝物殿というものは?
そんな「もやもや」がかなり解決できるんじゃなかろか??って思って行ってきました!東京国立博物館平成館で開催されている「正倉院展」。
映像とか説明パネルとか、図録でもそのへんのことは説明されていて、だいぶすっきりしたけど、一通り見終わって会場を出たときにまず感じたことは、「1300年も前のお宝が、これほど綺麗に今に伝わっているなんて奇跡だ!」ということ。
ほかの国を見てくださいよ。アメリカは当然そんなに歴史ないし、ドイツだってフランスだって、イギリスだって、少しは残っているんでしょうけれど、中国にしたって多少はあるんでしょうが、1300年もの長きにわたって一貫して伝えられてきた正倉院のお宝の存在感には敵わないよねって感じ。(もちろん文化に勝ち負けはないですよ。それぞれの文化に、それぞれの良さがある)
たくさんのお宝を皇室が守り伝えてきたことが嬉しいし、皇室の伝統ということを通じて、改めて世界に目を広げるきっかけにもなりました。
(余談)
正倉院宝物の核となるのが、聖武天皇崩御後に光明皇后が東大寺大仏に献納した宝物とのこと。聖武天皇って面白そうだな。さっそく調べてみることにした。
こうやって興味の幅が広がり、自分なりにではあるけれど調べることで、これまでの自分の知識とつながって、次の展覧会に行くときには、少し知識も考えも深まって、だんだんと自分なりの鑑賞方法で楽しめるようになるっていうのが、展覧会の楽しみ方のひとつなんだよな。
※展示会場の最後のエリアが撮影OKとなっている。そこには正倉院建物の再現展示などがある。
(蓬田修一)
御即位記念特別展 正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―
会期 2019年(令和元年)10月14日(月・祝)から11月24日(日)まで
前期:10月14日(月・祝)~11月4日(月・休) 後期:11月6日(水)~24日(日)
会場 東京国立博物館 平成館
入館料 一般1700円(1500円/1400円)、大学生1100円(900円/800円)、高校生700円(500円/400円)、中学生以下無料
※( )内は20人以上の団体料金
美術展の鑑賞は会話しながら? だまって?
何人かの読者の方から、美術展の会場における来場者の“おしゃべり”について、以下のようなご意見をいただきました。
「美術館で、私語のうるさい客に困っています」
「美術館へ行くとお喋りをしている人が必ずいます。監視員の方も注意してくれず、イライラしてしまします」
今回は美術館での“おしゃべり”について、少し考えてみたいと思います。
個人的には、友人といっしょに行くときは、作品を前に小声であれこれ話しながら見ることが多いですね。
気のあった友人と、作品についてあれこれおしゃべりしながら鑑賞するのはとても楽しいです。
おしゃべりをすることで、鑑賞が深まりますし、同じ作品を見ているのに、友人が自分が思いも付かないことを言うと、「そんなこと考えていたの~?!」と、友人の新たな一面を発見して面白いことも少なくありません。
少し前、三菱一号館美術館で開催された「パリ?グラフィック―ロートレックとアートになった版画・ポスター展」では、周囲に気兼ねなくおしゃべりしながら作品鑑賞ができるよう、毎月最終月曜を「トークフリーデー」と設定しました。
こうした、おしゃべりをしながら鑑賞できる環境づくりへの試みは、ほかの美術館でも行われているようです。
ところで、かつては、美術展における写真撮影は厳禁でした。
それがいまでは、ソーシャルメディアでの情報拡散が、美術展の認知度や集客力を高めるのに有効であると主催側は気付き、積極的に撮影を許可しています。
マーケティング的な見地から考えれば、おしゃべりをすることが美術展や美術館の価値をあげることになると主催側が判断すれば、おしゃべり解禁は少しずつ、あるいは一気に広がるかもしれません。
ITデバイスの進化、マーケティングの変化、国民の意識などによって、5年後、10年後の美術展の鑑賞の仕方は、予測がつかない部分もあると思います。
“おしゃべり”について話を戻せば、回りの人たちの迷惑になるようなおしゃべりは論外ですが、美術作品をおしゃべりしながら鑑賞するスタイルは、個人的にはもう少し広まってもいいなと思います。
(Media & Communication 蓬田修一)
※2018年(平成30年)6月4日発行「Media & Communication」ニュースメールより
美術展にデジタルサイネージ
中国企業日本法人が美術館に売り込み
最近、美術館や博物館の展覧会を見ていて気づくのは、展示技術や手法が進歩していることです。
先日、幕張メッセで開催された見本市「デジタルサイネージジャパン2017」を取材したとき、美術品の展示に関する面白い出品物を見つけました。
「IoTインタラクティブ透明ディスプレイシステム」という製品です。(下の写真)
展示ケースの正面ガラス部分がデジタルサイネージになっていて、ガラスに映っている案内を指でタッチすると、いろいろなコンテンツ(作品の詳細解説など)がガラスに表示されます。
また、ガラスにはデジタル処理された展示作品の画像も映し出されて、画像を指で回すことで、いろいろな角度から作品を見ることができます。
出品者は中国企業の日本法人BOEジャパン。ブースにいた同社の社員に話を聞くと、中国では、すでに北京の故宮博物館には導入されているとのことです。
日本の美術館や博物館に対しても、いま売り込み中だそうです。
こうしたインタラクティブ性が高い展示手法は、特に子供向けの展示には、とても有効だと思います。
もちろん、おとなが対象の美術展でも、活用アイデアによって導入効果が高いでしょう。
美術館や博物館の展示ツールには、今後、大きく変化していく可能性があると改めて思いました。
(text & photo:M&C編集部 蓬田修一)
※2017年6月24日発行の「M&Cメールマガジン」に記載した文章を、一部変えています。