美術鑑賞をもっと楽しもう! 旧約聖書 バベルの塔
西洋の美術作品、特に印象派以前の絵画作品は、聖書やギリシャ神話を知らないと、鑑賞が難しいのが多いんですよね。そこで、ここでは旧約聖書を取り上げて、有名なエピソードを少し知っておこうと思います。今回は「バベルの塔」です。
神の怒りに触れた
世界にはなぜ多くの言語があるのだろう? もしひとつの言語だったら、いろんな国の人とのコミュニケーションがどんなに楽だろう。子どもや学生の頃、そんなことを思った人いるんじゃないでしょうか?
どうして言語がいくつもあるのか? その理由が旧約聖書には書いてあります。それが「バベルの塔」のエピソード。
それによれば、箱船に乗って大洪水の惨事を乗り越えたはノアの子孫たちは、だんだんと人口を増やしていきました。
ノアは、子孫たちがいろいろな場所で暮らすように図ったけれども、子孫たちはひとところに集まって暮らしていました。
一所懸命に働いて、きっと暮らしは良くなっていったのでしょう。聖書には「石の代わりにレンガを得て、しっくいの代わりにアスファルトを得た」と書いたあります。
技術革新です。技術だけでなく、社会制度や経済や文化も発展していったに違いありません。
技術力を得た彼らは、天に届く巨大な高い塔を建築しようと考え、実際に作り始めました。
神は、その様子を見てこう思います。
「人間がこんなことを考えたのは、言葉がひとつだからだ。言葉を混乱させるのだ!」
こうして世界は、神によってたくさんの言語に分かれ、人々は散り散りに住むようにさせられたのです。
人間の傲慢の象徴
わたしはこのエピソードを初めて知ったとき、神は理不尽なことをしたと思いました。でも、理不尽なことをしたのは人間のほうだったのかもしれないと、その後思うようにもなりました。
「天に届く塔を作る」の「天」とはどこなのでしょうか? 天にも届くほどの高く素晴らしい塔を、最新の技術と皆で力を合わせて作ろうとしたのかもしれません。すばらしいことです。
「天」とは、それまでにない立派な建築物を作ろうとしたときの、スローガンやキャッチフレーズのようなものとも言えます。
ただ、一般的に広く伝わっている解釈は、「天」とは神の住む領域であり、そこまで届く塔を作ろういうのは人間の驕りです。
神はそれが分かったので、ひとところに同じ言語で生活させておくのはいけないと考え、言葉を通じなくさせて、人々を散り散りにさせました。バベルの塔は、人間の傲慢の象徴なのです。
その一方で、散り散りになる以前の調和が取れた世界を描いたという見方もあります。
3回描いたバベルの塔
では、バベルの塔をテーマにした美術作品を見てみましょう。何と言っても、ブリューゲルの《バベルの塔》が有名ですね。誰もがどこかで一度は見たことがあるでしょう。
描かれているのは「塔」とは言っても、東京タワー、スカイツリー、パリのエッフェル塔などと違って、それよりも遙かに巨大です。塔というよりも、巨大な建築物です。
ブリューゲル、正式な名前はピーテル・ブリューゲル1世。1526年頃、ネーデルラントの田舎(今のオランダ)に生まれました。20代のときイタリアに行き、美術の勉強をします。しかし帰国後、ブリューゲルは自分の作品にイタリア美術の強い影響は見られません。ヒエロニムス・ボスを手本に、オランダ的な伝統にのっとった作品を描き続けます。
ブリューゲルは聖書に出てくるバベルの塔のエピソードが気に入ったようです。バベルの塔をテーマにした作品を、生涯で少なくとも3回は描いています。
ひとつ目は、20代のときローマ滞在中に描いた作品です。残念ながらこれは現存していません。
ふたつ目は、1563年に描かれたもので、ウィーン美術史美術館が所蔵しています。上に掲載した作品です。
そして、みっつ目が最晩年の1568年頃に描いた作品で、ロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵しています。
ほかの画家は誰もバベルの塔を描かなかった?!
ほとんどの人が知っているブリューゲルの《バベルの塔》ですが、実はブリューゲル以前にバベルの塔をテーマにした作品は、中世のモザイク美術を別にすると、聖書関係の版画に限定されています。いかにも絵画的なテーマだと思うのですが、作品が極めて少ないのはなぜか?
青山学院大学の高橋達史教授によれば、こういうことのようです。
「敢えて単純化して言えば、ルネサンスにおける人文主義思想の台頭以前は、「人間のドラマ」が主役を演じている物語が当然のように優遇され、生命を欠く建築物が主役の絵は独立した鑑賞用絵画には不向きだとされていたからだと言います。野心に燃える画家たちの創作意欲をそそらなかった。」(「バベルの塔」展 図録より 2017)
それは、旧約聖書ではバベルの塔の直前にある「ノアの箱船の建造」や「大洪水」に、誰もが認めざるを得ないほどの傑作絵画がまったくないことからも分かるといいます。
なるほど。今でも個人的には、現代アートとして建築物を描いた絵画作品は見てみたいですが、伝統的な油彩や日本画で描かれた建築物だけの作品というのはどうなのかな?という気はしますね。
岩山をもとに塔を建築
上の絵は、ウィーン美術史美術館所蔵の《バベルの塔》です。少し詳しく見てみましょう。
バベルの塔はたくさんの船で繁栄する大きな港のすぐそばに建っています。港のすぐそばに大きな建造物を建てるのは、その港や都市のランドマークとしての機能を持たせるためでしょうか?
そう言えば、横浜のみなとみらい地区にも、港のそばに飲食店やオフィス、ホテルが入居する高層ビル「ランドマークタワー」が建っています。
前景には、ひとりの権力者風の男が大勢の軍人を引き連れて来ている。その男の前には跪いている人たちがいます。
権力者風の男は、この塔の建設を命じたニムロドという王です。跪いているのは石工たち。工期が遅れているので、視察に訪れた王に叱責され、許しを乞うているのでしょうか?
塔の建設の進み具合いは、右半分と左半分では大分違います。右半分はまだまだ工期途中ですが、左半分はほぼ外壁もできあがっているようです。外壁は石造り、内部はレンガです。
塔の外周には通路が螺旋状に作られ、そこには作業員たちの飯場が仮設で作られています。洗濯物を干す作業員らの妻の姿も見えます。
右半分には大きなクレーンが各階にあって、下から順番に石材を上の階に上げています。人物の大きさから、この塔が巨大さが分かると思います。
中央部分には、岩山の一部が見えます。そのことから、塔は巨大な岩山を基盤にして、必要に応じて切り崩しながら作られているのが分かります。
実在するノルマンディーのサン・ミシェル修道院も岩山も上に建てられていて、巨大建造物を岩山の上に建てるというのは、頑丈な岩盤を活用するということから実際もあったことです。
神の怒りは表現されているのか??
現存するもうひとつの《バベルの塔》を見てみましょう。↓↓↓ こちらはボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館に所蔵されています。1568年頃に描かれました。
一見して分かるとおり、前作よりも大分建設が進みました。塔は10層目まで作られていて、5層目あたりから雲を突き抜けています。
よく見ると、塔にはおびただしい数の人の姿が見えます。しかもその人の姿が極めて小さい!
この作品、一見、大作に見えますが、実はそれほど大きなものではありません。わたしも2017年に東京で開催された「バベルの塔」展で実物を見ましたが、想像より遙かに小さかった印象があります。作品の大きさは59.9×74.6cmです。ちなみに、先のウィーン美術史美術館収蔵品はこの4倍ほどの大きさがあります。
聖書では、バベルの塔のエピソードは人間の傲慢の象徴として書かれています。けれど、ブリューゲルのふたつの《バベルの塔》を見ると、個人的には神の怒りは感じられないですし、人間の傲慢の象徴というよりは、巨大建築を作り、そこで共同作業ができるほどの人間の可能性を示している絵のような気がします。
実際に展覧会でこの絵を見たときも、怒れる神の姿が描かれていないからでしょう、人間の傲慢というよりは、人間の可能性のほうを感じていました。皆さんはどう思われますでしょうか??
※画像はWikipediaより引用しました。
まとめ
1. ブリューゲルは生涯に3つのバベルの塔を描いた。現存しているのはふたつ
2. 神は人間がバベルの塔を作ったので怒り、それまでひとつだった言語をいくつもの言語に分けて、悪だくみを相談できないようにした
3. バベルの塔は人間の傲慢の象徴