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【愛国の歌】天地(あめつち)の 山部赤人


富士山のすばらしさを讃えた歌を紹介しよう。

富士山を讃えた歌はあまたあれど、わたしにとってこの歌は富士山賛歌の決定版とも言える歌だ。

はじめに長い歌が詠まれ、続けて反歌(五七五七七の句形)が詠われる。

万葉集に収められている。

天地(あめつち)の
わかれし時ゆ
神(かむ)さびて
高く貴き
駿河(するが)なる
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)を
天の原
ふり放(さ)けみれば
渡る日の
影もかくらひ
照る月の
光も見えず
白雲の
い行(い)きはばかり
時じくぞ
雪はふりける
語り継ぎ
云ひ継ぎゆかむ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)は

意味を確認しよう。

天地の分かれたときから
神々しく高く貴い
駿河の国にある
富士の高嶺
大空はるかに
振り仰いで見ると
空を渡る太陽も
その姿を隠し
夜空を照らす月の
光も見えない。
白雲も
富士に行く手を阻まれ
山にはいつでも
雪が降り積もる
後世に語り伝えていこう
この富士山の素晴らしさを

富士山の雄大さが堂々と詠われている。

古代の人がいかに富士山を尊んでいたかが、ひしひしと伝わってくる。

いまでも私たちにとって富士山は特別な山だ。

飛行機に乗って富士山の近くを飛行すると、機長はいま窓から富士山が見えることをアナウンスする。

新幹線に乗って、富士山の近くを走るとき、窓から雄大な富士山の姿を堪能できる。

わたしの好きなエピソードにこんなのがある。

新幹線が富士山の近くを通過したとき、窓の外を見ていたひとりの女性が「あっ富士山」と小さな声を出した。

すると車内にいた乗客がみな、富士山のほうを見た。

このエピソードは、日本人が富士山に持つ気持ちを表していいると思う。

続けて反歌が詠われる。

田子(たご)の浦ゆ
うち出でてみれば
真白(ましろ)にぞ
不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に
雪はふりける
山部赤人

現代語訳を確認しよう。

田子の浦を過ぎ
広い場所に出て
眺めてみると
真白な雪が
富士山の山頂に
降っている

田子の浦は現在の駿河湾の西岸を指す。

万葉集の時代は、薩埵峠の麓から由比・蒲原あたりまでの海岸(現在の静岡県静岡市清水区)を指すと考えられている。

地図を載せるので、場所を確認してほしい。

田子の浦はその後、人々に親しまれ、いまでも名所として知られる。

江戸時代、葛飾北斎は冨嶽三十六景で「東海道江尻田子の浦略図」として田子の浦を描いた。

山部赤人が見た雄大な富士を描いているようではないか。

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Posted on 2024-03-15 | Category : コラム, 和歌とともに, 日本の文化 日本のこころ | | Comments Closed
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