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「盛り塩」の起源は性の欲望


[text:蓬田修一]

飲食店の入口付近には塩が盛られていることが多い。これは「盛り塩」と呼ばれるものだが、「お客さんがたくさん来るように」との店側の願いが込められている。

盛り塩の由来のひとつが、古代中国の房事に関わるものだ。今から1700年程前、西晋王朝、武帝の時代のことである。中国王朝の後宮には、皇帝の夜の相手をする宮女があまた控えていた。どれくらいの数なのか。以下、『愛と欲望の中国四〇〇年史』(金文学著)を参照しながら紹介してみる。

隋の煬帝(ようだい)が6万人、唐の玄宗が4万人、そのほかの歴代皇帝も数千人から1万人を置いていたというからすごい数である。秦の始皇帝は阿房宮という巨大な宮殿を建築した。始皇帝はここに数千名の婢妾(ひしょう=召使いの女性および愛人)を囲った。漢の武帝は色狂いで、後宮に3000人の美女を置いた。悲運のヒロイン王昭君はこの後宮にいた。

これだけの数の宮女がいるため、皇帝と一夜をともにできる人数は限られてくる。せっかく後宮に上がりながら皇帝と一度も愛を交わすことなく終わった宮女も数多くいただろう。だから彼女たちは皇帝が自分を選んでくれるように智恵を絞った。

西晋王朝・武帝の話に戻るが、この時代、皇帝は羊が引く車に乗って後宮を回り、たまたま羊が止まった宮女と夜を共にした。そこで、宮女たちは皇帝に選んでもらうために、羊の好物の真竹の葉に塩水をまぶして(挿竹灑塩 そうちくれいえん)、自分の部屋の前に置いて、羊が止まるようにしたという。この話は『晋書』「胡貴嬪伝」(巻三十一列伝第一)に記載されている。

しかしながら、皇帝が乗っていたのが牛車というなら、平安時代の貴人の乗り物であるのでまだ分かるが、羊車であるので、この節は信憑性が低いと言われている。日本では古来、塩を神道や仏教で使う風習があったので、ここから「盛り塩」の習慣が広まったのが穏当だと思われている。個人的には中国王朝の後宮の話のほうが好きなのだが。

(2014年12月21日)


Posted on 2014-12-21 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed
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