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キリスト教の歴史


神ヤハウェは、自分の姿に似せて、人間をつくった。
その人間は、アダムとイブであった。
ヤハウェはアダムとイブに楽園エデンの管理を任せた。
楽園には絶対に食べてはいけない禁断の木の実がなっていた。
アダムとイブは蛇にそそのかされて、禁断の木の実を食べてしまった。
ヤハウェは怒り、ふたりを楽園から追放した。
アダムとイブが犯した罪は原罪と呼ばれた。
彼らの子孫である人類は、原罪を背負うこととなった。
人類は罪人というのが、ユダヤ教の思想のベースである。
アダムとイブの子孫である人間たちは地上で努力を重ねて繁栄していった。

人間たちは勢いづき、ヤハウェに背いたり、堕落した生活を行うようになった。
ヤハウェは人間を滅ぼすことにした。
大洪水を起こした。
人類は滅亡した。
生き残った人類がいた。
その中にアブラハムがいた。
ヤハウェは年老いたアブラハムにこう言った。
「イスラエルを与える。いまからすべてを捨てて向かうのです」
アブラハムたちはイスラエルを目指し旅だった。
ようやくイスラエルに着いた。
新しい生活を始めた。
アブラハムの子孫たちはそこに住み続けた。
あるとき大飢饉が起こった。

彼らは不毛の地イスラエルを捨て、エジプトに行くことを決意した。
エジプト王は彼らを奴隷として扱った。
400年間の長きにわたった。
そこにモーセが現れた。
モーセはヤハウェの力を授かっていた。
彼は奴隷となってた民を引き連れ、イスラエルの地を目指した。
何十年にもわたる苦難の旅であった。

モーセはヤハウェから、ふたつの石板に刻まれた十戒を授かった。
そこには神との十の約束が刻まれていた。
神の教えを守り、正しく生きるための指針であった。
約束は数百にも及び、それが十にまとめられていた。
神はヤハウェだけであることが記されていた。
神との約束は律法と呼ばれ、大事にされた。

モーセの子孫はイスラエルの地で十二の支族に分かれ、イスラエルを統治していった。
十二支族を統治するダビデ王が現れた。
その息子ソロモン王の時代に最盛期を迎えた。
十戒が刻まれた石板、ヤハウェから授かった杖、空から降ってくる食べ物マナが入った金の壺を収めた宝の箱をアークと呼ぶ。
ソロモン王はアークの中を見た。
石板はあったが、ほかのふたつはなかった。
その後、アークの行方は分からなくなった。

ソロモン王には多くの妻がいたが、そのなかに異国出身の女性がいた。
彼女はヤハウェ以外の神を信じていた。
ソロモン王はそれを許した。
ヤハウェは激怒した。
イスラエルの地を南北に分断した。
十支族による北イスラエル王国と、二支族による南ユダ王国に分かれた。
北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされた。
民は散り散りとなり、それぞれの土地で融合していった。
彼らはイスラエルの失われた十支族と呼ばれている。

一方、南ユダ王国は紀元前586年、バビロニア王国に滅ぼされた。
南ユダの民は、捕囚としてバビロニアへ連行された。
彼らは連行された地で、自分たちのアイデンティティを失わないことをヤハウェに誓った。
滅ぼされたユダ王国の遺民という意味から、彼らはユダヤ人と呼ばれるようになった。

土地を失っても、律法を心のよりどころとして固く守り続けた。
宗教的・民族的アイデンティティを貫くために、移民族との交わりを拒んだ。
ユダヤ人は苦しいときを経て、ローマが支配するイスラエルに戻った。
しかしローマ帝国は多神教であった。
ヤハウェのみを神とするユダヤ人とローマとの間で争いが起こった。
何回かの争いのあと、ユダヤ人はイスラエルの土地を完全に失った。
135年ごろ、ユダヤ人は世界中へ離散していった。
いわゆるディアスポラである。

苦難が続くユダヤ人は、救世主メシアを待望するようになった。
救世主は永遠の王国イスラエルを築いてくれるはずだと願った。
そのときが来るまで律法を守り続けることを心に誓った。
救世主は世界の終末に現れると考えた。
そこから、人間が堕落したときにメシアが現れると信じるようになった。
当時の地中海の人々は、たくさんの神を信じる多神教であった。
そのなかで、ユダヤ人の一神教は異質だった。
ユダヤ人と他の人との対立は絶えなかった。




時間を少し戻す。
西暦0年イエスが生まれた。
十二人の弟子とともに教えを広め、民衆からの人気と支持を得ていた。
イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の熱心な信徒であった。
古い考えに凝り固まっていた従来のユダヤ教に、異議を唱えた。
ユダヤ教の権力者はイエスを警戒した。

イエスの弟子ユダはイエスを裏切り、イエスは十字架に架けられ処刑された。
しかしイエスは復活した。
イエスこそ救世主だと人々は口にした。
こうしてキリスト教が生まれた。

キリスト教は、はじめはユダヤ教の派閥のひとつだと見做された。
イエスは偉大な予言者ではあるが、救世主ではないと考える人は、キリスト教徒にはならずユダヤ教徒のままであった。
キリスト教は、ペテロとパウロの活躍によって広まっていった。
ペテロとパウロは、イエスは原罪を背負って十字架に架けられた。そして神と新たな契約を結んでくれたと人々に語った。
イエスが十字架に架けられたことで、人類の原罪は消えた。
律法を守るユダヤ人だけが救われる契約内容から、ユダヤ人以外の異邦人でも罪を犯した人でも、イエスを通して祈れば、すべての人は救われると説いた。

ユダヤ教は圧倒的な選民思想と厳しい律法が特徴だった。
キリスト教は民族に関係なく全人類が救われると説いた。
しかし、キリスト教も一神教であることはユダヤ教と変わらなかった。
人々はイエスは神の子であり、唯一神ヤハウェと同じ存在だと考えた。

このときローマ帝国においては、皇帝は神同等の存在であった。
キリスト教徒は皇帝を敬うことができなかった。
皇帝はキリスト教徒を迫害した。
キリスト教は祈るものは誰でも救われるという、ハードルの低さが特色だった。  
各地に建てられた教会によって信者が増えていき、キリスト教徒は増えていった。

皇帝はキリスト教を迫害しても効果はあがらないと考えるようになった。
コンスタンティヌス1世はキリスト教を認めた。
キリスト教は帝国への影響力を増していった。
392年、ローマ帝国はキリスト教以外の宗教を禁止とした。

ローマ帝国の領土は広大だった。
キリスト教は各地域に建てた教会ごとに、信仰のスタイルや教えの解釈が違った。
教会同士のいさかいは絶えなかった。 

395年、ローマ帝国が東西に分裂した。
教会も東西に分かれた。
やがて東西で別々の教義を持つようになった。
東西の溝は深まっていった。
帝国の分裂から600年あまりの年月が流れた1054年、東西教会のトップが対立し、東方教会と西方教会とに決定的に分裂した。
東方教会は正教会、西方教会はカトリック教会と呼ばれる。
正教会とカトリック教会の決定的な違いは、神とイエスと精霊は本質的に同じ存在であるという三位一体説の解釈の違いであった。

正教会とカトリック教会は、組織のあり方も違っていた。
正教会はあらゆる人は宗教的奉仕者に過ぎないという考え方であり、組織には絶対的な存在を作らなかった。
カトリック教会は、ローマ教皇を頂点とするピラミッド型組織を作った。
ローマ教皇はイエスの一番弟子であるペテロの正統な後継者と位置付けた。
神の国に入るための鍵を持ち、イエスの教えに対する解釈の最終的な決定権を持った。
教皇の考え次第で様々なルールを生み出すことが可能であった。
その一例が、16世紀に発行した免罪符である。

一部の信徒は反対し、勝手にルールを変える教会ではなく、聖書に書かれていることだけを信じると主張した。
彼らはプロテスタントと呼ばれた。
カトリックとプロテスタントはたびたび戦争を起こした。

正教会、カトリック、プロテスタントのキリスト教の3つの流れは現在まで続いている。




Posted on 2023-12-14 | Category : コラム, 歴史の館 | | Comments Closed
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