スイスが誇る美の殿堂のコレクション

チューリッヒ美術館展

チューリッヒ美術館展(2014年9月14日のプレス内覧会で撮影)

[text:蓬田修一/photo:宮川由紀子]

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」2014年9月25日(木)から12月15日(月)まで、国立新美術館で開催された。

チューリッヒ美術館は18世紀末にチューリッヒの芸術家や鑑定家たちによる小さな集まりに端を発する。1910年に美術館の建物が落成すると、ムンク、ピカソ、ボナールなどの個展をいちはやく開催した。現在は、中世美術から現代アートまで約10万点の作品を所蔵する。

今回の「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」は、その豊富なコレクションの中より、印象派からシュルレアリスムまでの傑作74点を紹介したものだ。

その中には幅6メートルにもおよぶモネの《睡蓮の池・夕暮れ》や、セザンヌ晩年の代表作《セント=ヴィクトワール山》をはじめ、ピカソ、ミロ、ダリといった20世紀美術の巨匠の作品、ホドラーやクレーなどスイスを代表する作家の作品などが一堂に展示された。

この展覧会は日本とスイスの国交樹立150年を記念して開催されたものだ。また、スイスが誇る美の殿堂・チューリッヒ美術館のコレクションが日本でまとめて紹介されたは今回が初めてだった。 主催者側は、今回の展示構成について「すべてが代表作と言えるラインアップ」と言っていたが、それは決して誇張ではない。

その一方で、チューリッヒは世界的にも有数の金融都市だ。ダウ・ジョーンズらが2013年に行った調査では、世界13位の金融センターと評価されている。法人税率が低いため、市内には多くの海外金融機関や研究開発センターなどが立ち並ぶ。また、ライフスタイルマガジン (Monocle) が2012年に行った「生活の質の調査 “Quality of Life Survey”」 では1位であった。この調査以外にも世界で最も居住に適した都市と評価されている。ヨーロッパで最も裕福な都市という評価もある。

今回の展覧会は、世界的な金融都市であるチューリヒの「富」と、チューリッヒ美術館の充実したアートコレクションとの関係に思いを巡らせる貴重なきっかけとなった。

(2014年12月18日)


Posted on 2014-12-18 | Category : アートに誘われて, ギャラリー, コラム | | Comments Closed

光と時のインスタレーション「Light is Time」

「Light is Time」

インスタレーション作品「Light is Time」

[text/photo 蓬田修一]

青山スパイラル1階にある吹き抜けの展示スペース「スパイラルガーデン」。ここに、光と時のインスタレーション「Light is Time」が繰り広げられた。

空間を螺旋状に描くようにきらめくひとつひとつの光は、時計のすべての部品を支える基盤装置「地板」と呼ばれるものだ。空間の照明は、明るくなったり暗くなったり波のように変わる。そのたびに地板が発する光は、様々な表情を見せる。幻想的なサウンドが奏でられ、光全体を覆っている。空中に浮かぶようにきらめいている地板のカーテンの間を通り抜けるとき、これまで味わったことのない幸福感に包まれた。

このインスタレーション作品は、建築家・田根剛氏とテクニカルディレクター・遠藤豊氏の手により創られた。もともとは、2014年にイタリア・ミラノで開催された世界最大規模のデザインイベント「Milano Design Week2014」に出品。「Milano Design Award Competition」において、「ベストエンターテイニング賞」と「ベストサウンド賞」を受賞した。今回の展示は、デザインの本場ミラノで認められた同作品の“凱旋展”でもあるのだ。

シチズンは時計づくりから発想を得て「Light is Time」という最もシンプルなコンセプトにたどり着いたという。「Light is Time」というコンセプトについて「宇宙の始まりであるビックバンと同時に光は生まれ、地平の果てから昇る太陽は地球を光で満たし、動く影の変化や季節の変様、月の満ち欠けに気が付いた人類は、いつしか『時間』という概念を創出した」と同社は説明している。

インスタレーション作品「Light is Time」は、シチズンがたどり着いたコンセプトを圧倒的なクリエイティブ力で形にした。田根氏と遠藤氏の作品からは、デザインの持つ可能性を改めて感じることができた。そして大きな感動を与えてくれたことに感謝したい。
(2014/11/29)

「Light is Time」

光を放っているのは、時計のすべての部品を支える基盤装置「地板」


Posted on 2014-11-28 | Category : しあわせマーケティング, アートに誘われて, ギャラリー, コラム | | Comments Closed

清末の書家 趙之謙 没後130年の記念展

趙之謙の書画と北魏の書

写真は書道博物館の「趙之謙の書画と北魏の書-悲盦没後130年-」会場風景。2014年7月28日に行われたプレス内覧会で撮影

[text:蓬田修一/photo:宮川由紀子]

東京国立博物館と台東区立書道博物館で「趙之謙の書画と北魏の書-悲盦没後130年-」が、2014年7月29日(火)から2014年9月28日(日)まで開催された。

この展覧会は、東京国立博物館と台東区立書道博物館との連携企画。今回で12回目を迎えるが、回を重ねるごとに充実度が増し、開催を毎年楽しみにしている。

2014年は趙之謙(1892~1884)の没後130年にあたる。それを記念して開催されたのが本展だ。趙之謙は会稽(かいけい 浙江省紹興)に生まれた。家は商売を営み裕福であったが、彼が十代のとき家産が傾き、以降、貧困を余儀なくされる。趙之謙は書画や篆刻で生計を立て、勉学に励んだ。

その後、趙之謙は結婚し子どもにも恵まれたが、太平天国の乱に巻き込まれ、紹興の自宅は焼失し、妻子を失ってしまう。彼は絶望し、自らの号を悲盦(ひあん)と改める。

趙之謙は趙家を復興するため、科挙に及第し高級官僚になることを目指す。北京に赴き試験(会試)を受けるが落第し続ける。42歳のとき、4度目の会試に失敗。高級官僚への道を断念して、地方官として江西省への赴任を決意する。江西の地で政務をこなすが、過労により56歳で生涯を閉じた。

趙之謙は40歳代のとき「北魏書」と称される新しい書法を確立。50歳代になると、それに固執せずにより自然で雄渾な書きぶりを示した。趙之謙の書は日本の書壇にも影響を与え、河井荃廬(かわいせんろ)、西川寧(にしかわやすし)、青山杉雨(あおやまさんう)、小林斗盦(こばやしとあん)らに継承された。

今回の連携企画では、東京国立博物館と台東区立書道博物館の両館に所蔵される趙之謙の書画や篆刻作品をはじめ、趙之謙が若い頃に学んだ作品、北魏時代の拓本などが展示された。作品展示を通して趙之謙の魅力と彼の生涯を感じることができる展覧会だった。

(2014年11月1日)


Posted on 2014-11-01 | Category : アートに誘われて, ギャラリー, コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

「高額」というアプローチから考える現代アートの展覧会

ヤゲオ

マーク・クイン《神話(スフィンクス)》2006年 塗装したブロンズ ヤゲオ財団蔵 「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより」の出品作。会期終了後も2015年春まで、国立近代美術館のエントランス前に展示されている。

[text/photo 蓬田修一]

2014年6月20日(金)から8月24日(日)まで、東京国立近代美術館を会場に「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより」という、ちょと風変わりなタイトルの展覧会が開催された。

会場には展示されたのは、40作家、約75点の作品。フランシス・ベーコン、ザオ・ウーキー、アンディ・ウォーホル、ゲルハルト・リヒター、アンゼルム・キーファー、杉本博司、ジェフ・クーンズ、蔡國強、ロン・ミュエク、ピーター・ドイグ、マーク・クインなど、現代アート分野における蒼々たる作家の作品が並んだ。

今回の展覧会はヤゲオ財団コレクションから構成された。ヤゲオ財団とは、台湾資本の大手パッシブ電子部品メーカー、ヤゲオ・コーポレーションCEOを務めるピエール・チェン氏と彼の家族およびヤゲオ・コーポレーションからの寄付金によって設立された団体。台湾では「國巨基金會」と呼ばれている。

ヤゲオ財団のコレクションにはふたつの軸があり、ひとつは西洋の近現代美術、もうひとつは中国の近現代美術だ。特に現代美術コレクションは世界的にも著名で、「ARTnews」という雑誌が毎年、世界トップ・テンのコレクターを選んでいるが、ピエール・チェン氏は2012年と2013年の2回選ばれている。

展覧会のタイトルにある「ハードコア」とは「中核」という意味だ。タイトルにはふたつの意味が込められている。ひとは、現代アート作品は、市場価格または保険評価額的において「世界の宝」だということ。現代アートの分野においては、ひとつの作品が数十億という超高値を付ける作品も少なくない。もうひとつは、美術史的な意味における「世界の宝」。これについて、東京国立近代美術館の担当学芸員の説明を紹介しよう。

「優れたアーティストとは、いま表現すべきことを、これまでのアートの歴史を踏まえつつ、未来においても色あせることのない形で表現しようとする人のことです。彼らの作品は、たとえちょっと滑稽に見えたとしても、今を生きる私たちと無縁ではありません。 そして、さまざまな表現が世の中にあふれかえっている中で、時代の試練に耐えて訴えかけ続けようとするものなのです。ですから、やはりそれらは、「世界」にとってかけがえのない存在だと言えるでしょう。」

会場は「ミューズ」「ポップ・アート」「サンユウ(常玉)」「中国の近代美術」「崇高」「リアリティ」「記憶」「実存的状況」「新しい美」の10テーマで構成。

アート作品を「価格」というアプローチから迫った意欲的な展覧会であった。

東京国立近代美術館での開催後は、古屋市美術館(2014年9月6日(土)~10月26日(日))、広島市現代美術館(2014年12月20日~2015年3月8日(日))、京都国立近代美術館(2015年3月31日(火)~5月31日(日))を巡回する。

(2014年8月30日)


Posted on 2014-08-30 | Category : アートに誘われて, ギャラリー, コラム | | Comments Closed

日本美術院の歩みを一望 特別展「世紀の日本画」

世紀の日本画展

「世紀の日本画」展エントランス。会場では横山大観、狩野芳崖、小林古径、安田靫彦、平山郁夫といった近代日本画の巨匠の代表作品をはじめ、現役同人の作品、洋画と彫刻作品を含めた120点が前期と後期に分けて展観された。

[text:蓬田修一 photo:宮川由紀子]

日本美術院再興100年 特別展「世紀の日本画」が、2014年1月25日から4月1日まで東京都美術館で開催された。日本美術院は、岡倉天心により明治31年(1898年)に、東京・谷中の地に創立され、当時若手だった横山大観や菱田春草らが精力的に作品を発表していった。

しかし、彼らが描く実験的な絵画が「朦朧体」と批判され、その影響で絵が売れずに院の経営は窮乏に陥った。「朦朧体」とは、大観や春草らが空気を描くために取り入れた無線彩色描法のことを指し、これが“未熟な洋画”と非難されたのだ。

ちなみに、日本美術院の「院」とは美校(現在の東京藝術大学)に対して、大学院を意味するものであった。岡倉がそう名付けたのは、勉学を本当に深めるのは、大学を卒業した後、大学院に進んでからであると考えていたからだ。

明治39年(1906年)、岡倉天心は経営難から日本美術院の茨城県五浦への移転を決意。天心に従い五浦に赴いたのは、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の4人だった。彼らは五浦に設けた日本美術院研究所において、一層の勉学研究を進めた。しかし、五浦移転の翌年から開催された「文部省美術院展覧会」を作品発表の場としたことなどから、院は事実上、休止状態となる。

大正2年(1913年)、岡倉天心が志を遂げぬまま50歳で他界。翌大正3年(1914年)、天心の一周忌を期して、横山大観、下村観山、そして洋画家の小杉未醒らが中心となり、日本美術院が再興された。

再興された院は、近代美術史上珍しい日本画と洋画との合同団体だった。しかも平櫛田中も参加し、彫刻部門も誕生した。洋画部は大正9年(1920年)に離脱するものの、彫刻部は彫塑部と改称して昭和36年(1961年)まで継承した。

大正3年(1914年)から再興院展を毎年開催。大正15年(1926年)に東京府美術館(現東京都美術館)が建設されると、戦中の2回を除き以降毎年、ここで再興院展を開催されるようになった。

今回の特別展「世紀の日本画」は、日本美術院再興100年を記念する展覧会だ。日本美術院の伝統を作り上げてきた、横山大観、狩野芳崖、小林古径、安田靫彦、平山郁夫といった近代日本画の巨匠の代表作品をはじめ、現役同人の作品、そして洋画と彫刻作品を含めた120点が前期と後期に分けて展観された。タイトルどおり「世紀の日本画」展であった。

(2014年4月5日)


Posted on 2014-04-15 | Category : アートに誘われて, ギャラリー, コラム | | Comments Closed

ロシアがあこがれたフランス美術 「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」

プーシキン美術館

今回の目玉作品のひとつ《聖杯の前の聖母》。胸の前で両手を重ねる聖母マリアは、視線を聖杯の上の聖餅に向けている。聖母マリアの腹部の前にある聖餅は、神の子を懐胎する奇跡を連想させる。2013年●月●日のプレス内覧会で撮影

[text/photo:蓬田修一]

モスクワのプーシキン美術館は世界屈指のフランス絵画コレクションで知られている。同館コレクションから珠玉のフランス絵画を集めた「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」が2013年、愛知県美術館(名古屋市)を皮切りに、横浜美術館、神戸市立博物館で開催された。

この展覧会は2011年の開催が予定されていたものの、同年3月に起きた東日本大震災と原発事故の影響を受けて急遽中止となったものだ。主催者間で協議を重ね、当初予定と同じ3会場で開催することとなった。

ロシアにおけるフランス美術の蒐集は、17世紀ロマノフ王朝の大帝ピョートル1世に始まると言われる。18世紀後半に王朝の全盛期を築いた女帝エカテリーナ2世も、ロシアの富と文化的洗練をヨーロッパ諸国にアピールするため、体系的なコレクションの形成に力を注いだ。

1917年にロシア革命が起こると、コレクションの多くは国有化され、1920年から30年代にはロシア国内の美術館の間で大規模な美術品の再分配が行われた。プーシキン美術館の最大の補充源のひとつとなったのが、レニングラード(現サンクトペテルグルク)の国立エルミタージュ美術館だ。数百点もの名画が、エルミタージュ美術館からプーシキン美術館へと移管された。

ロシアは国家の歩みと連動するように、同時代のフランス文化に常に目を向け、結果として300年にわたるフランス美術の変遷をたどれるほどの質と量を誇る作品群を蓄積した。

今回の「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」では、17世紀に古典主義を確立したプッサンから、18世紀のロココ美術を体現するブーシェ、フランス革命後に活躍したアングル、ドラクロワ、19世紀後半の印象派・ポスト印象派のモネ、ルノワール、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、20世紀美術の巨匠マディス、ピカソに至るまで66点の作品で構成される。どの作品も第一級の質の高さだ。

これらの作品の中には、伝説的なコレクターであるセルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフが●集した近代絵画のコレクションが多数含まれていた。また、出品作の半数以上が日本初公開だ。選りすぐりの66点で、フランス絵画300年の歴史が体感できる貴重な展覧会であった。

(2013年12月8日)


Posted on 2013-12-08 | Category : アートに誘われて, ギャラリー, コラム | | Comments Closed