新春の漢詩 「京都元夕」 金 元好門


[訳:蓬田修一]

[漢文]

京都元夕  金 元好門

袨服華妆著処逢
六街灯火閙児童
長衫我亦何為者
也在游人笑語中

[書き下し]

京都元夕(けいとげんせき) 金(きん) 元好門(げんこうもん)

袨服(げんぷく)華妆(かしょう)著(いた)る処(ところ)に逢(あ)う
六街(りくがい)の灯火(とうか)児童(じどう)閙(さわ)ぐ
長衫(ちょうさん)我(われ)も亦(また)何為(なんす)る者(もの)ぞ
也(また)游人(ゆうじん)笑語(しょうご)の中(うち)に在(あ)り

[現代語訳]

京都元夕  金 元好門

晴れ着の人たちやきれいな化粧の人たちに、いたるところで出会う
都の大路には燈籠がきらめき、子どもたちで混み合い賑やかだ
私は丈の長い上着を着て、「何をしている人ですか」と問われれば
やはり、そぞろ歩く人たちや賑やかに楽しく話す人たちの中にいる

[ひとこと解説]

タイトルにある「京都(けいと)」は金王朝の都・汴京(べんけい 今の河南省開封)のこと。「元夕(げんせき)」は陰暦1月15日の夜。

承句の「灯火(とうか)」は燈籠の明かり。元夕になると人々は街に出て、燈籠見物をした。


 

Posted on 2014-12-31 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

大晦日の漢詩 「岳州守歳」  初唐 張説


[訳:蓬田修一]

[漢文]

岳州守歳  初唐 張説

桃枝堪辟悪
爆竹好驚眠
歌舞留今夕
猶言惜旧年

[書き下し]

岳州(がくしゅう)守歳(しゅさい)  初唐 張説(ちょうえつ)

桃枝(とうし)辟悪(へきあく)に堪(た)え
爆竹(ばくちく)驚眠(きょうみん)に好(よろ)し
歌舞(かぶ)今夕(こんせき)を留(とど)め
猶(な)お言う旧年(きゅうねん)を惜(お)しむと

[現代語訳]

岳州で大晦日に夜通し宴を開く  初唐 張説(ちょうえつ)

桃枝(とうし=門に掲げる魔除け)は魔除けの力を持ち
爆竹は眠気覚ましに良い
歌い踊り去りゆく大晦日の夜を引き留め
夜が明け元旦になってもまだ旧年を惜しむのだと言っている


 

Posted on 2014-12-30 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

冬至の漢詩 「冬至」 盛唐 杜甫


[訳:蓬田修一]

[漢文]

冬至  盛唐 杜甫

年年至日長爲客
忽忽窮愁泥殺人
江上形容吾独老
天涯風俗自相親
杖藜雪後臨丹壑
鳴玉朝來散紫宸
心折此時無一寸
路迷何所是三秦

[書き下し]

冬至(とうじ)  盛唐 杜甫

年年至日(ねんねんしじつ)長(つね)に客(かく)と為り
忽忽(こつこつ)たる窮愁(きゅうしゅう)人(ひと)を泥殺(でいさつ)す
江上(こうじょう)の形容(けいよう)吾(われ)独(ひと)り老い
天涯(てんがい)の風俗(ふうぞく)自(みずか)ら相(あい)親しむ
藜(れい)を杖(つ)いて雪後(せつご)丹壑(たんがく)に臨(のぞ)む
玉(ぎょく)を鳴らし朝来(ちょうらい)紫宸(ししん)を散ず
心(こころ)折れて此の時(とき)一寸(いっすん)無し
路迷(みちまよ)う何(いず)れの処(ところ)か是(こ)れ三秦(さんしん)

[現代語訳]

冬至  盛唐 杜甫

毎年冬至の日は常に旅人となり
失意の中の深い悲しみは旅人(である私)を離そうとしない
長江のほとりにたたずむ私の容貌は老いて
故郷を遠く離れた異郷の風俗にも自分から親しんでいる
藜(あかぎ)の杖(つえ)をついて出かけて行き 雪があがった赤い色の谷を見下ろす
都では腰に下げた佩玉(はいぎょく)を鳴らして 朝から朝廷に上っていた臣下たちが紫宸殿(ししんでん)を退席していることだろう
私の心は折れて このとき一寸の大きさ(=心臓の大きさ)さえない
(都の方角を眺めてみたものの)路に迷ってしまい 都長安はどこにあるのか分からない


 

Posted on 2014-12-29 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

新春の漢詩 「富士山」 江戸 柴野栗山


[訳:蓬田修一]

[漢文]

富士山  江戸 柴野栗山

誰将東海水
濯出玉芙蓉
蟠地三州尽
挿天八葉重
雲霞蒸大麓
日月避中峯
獨立原無競
自為衆岳宗

[書き下し]

富士山(ふじさん)  江戸 柴野栗山(しばのりつざん)

誰(たれ)か東海(とうかい)の水を将(も)って
濯(あら)い出だす玉芙蓉(ぎょくふよう)
地に蟠(わだかま)って三州(さんしゅう)尽(つ)き
天に挿(さしはさ)んで八葉(はちよう)重なる
雲霞(うんか)大麓(たいろく)に蒸(む)し
日月(にちげつ)中峯(ちゅうほう)を避く
獨立(どくりつ)原(もと)競う無(な)く
自(おのずか)ら衆岳(しゅうがく)の宗(そう)と為(な)る

[現代語訳]

富士山(ふじさん)  江戸 柴野栗山(しばのりつざん)

誰であろうか 東海の水で
美しい富士山を洗い上げたのは
山の裾野は大地にまたがり その広大さは甲斐・相模・駿河の三州に及ぶ
天に頂をさしはさみ その美しさは八枚の花弁が重なったようである
雲や霞は山裾から湧き上がり
太陽も月もまん中の高い峰を避けて通っていくようだ
高く独立した姿はほかに競うものがなく
自然と天下における山々の長となったのである


 

Posted on 2014-12-29 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

年越しの漢詩 「示内」 清 沈受宏


[訳:蓬田修一]

[漢文]

示内 清 沈受宏

莫歎貧家卒歳難
北風曾過幾番寒
明年桃柳堂前樹
還汝春光満眼看

[書き下し]

内(ない)に示す 清 沈受宏(しんじゅこう)

歎(たん)ずる莫(な)かれ貧家(ひんか)歳(とし)を卒(お)うるの難(かた)きを
北風(ほくふう)曾(かつ)て過(す)ぐ幾番(いくばん)の寒(かん)
明年(みょうねん)桃柳(とうりゅう)堂前(どうぜん)の樹(じゅ)
汝(なんじ)に還(かえ)さん春光(しゅんこう)満眼(まんがん)の看(かん)

[現代語訳]

妻に告げる 清 沈受宏

嘆くことはない 貧乏な家なので年が越せないなどと
北風の寒さを これまで幾度となくやり過ごしたではないか
年が明ければ 座敷前の(庭にある)桃は花咲き柳は芽吹く
お前の目を楽しませるだろう あふれる春の光が


 

Posted on 2014-12-27 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

大晦日の漢詩 「除夜作」 盛唐 高適


[訳:蓬田修一]

[漢文]

除夜作  盛唐 高適

旅館寒燈獨不眠
客心何事轉凄然
故郷今夜思千里
霜鬢明朝又一年

[書き下し]

除夜(じょや)の作  盛唐 高適(こうせき)

旅館の寒燈(かんとう)独り眠らず
客心(かくしん)何事ぞ転(うた)た凄然(せいぜん)
故郷 今夜 千里を思う
霜鬢(そうびん)明朝(みょうちょう)又一年

[現代語訳]

除夜の作  盛唐 高適

旅館の明かり寒々と 眠れぬ夜をひとり過ごす
旅上のわが身 なぜかますます寂しさ募る
故郷を今夜 千里も離れた旅先から思う
霜のような白い鬢(びん) あすの朝またひとつ歳を重ねる

転句は、旅情にある作者が千里も離れた故郷を思うという解釈と、逆に、千里も離れた故郷に暮らす家族が、作者のことを思うというふたつの解釈がある。ここでは、前者をとった。


 

Posted on 2014-12-26 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

新春の漢詩 「富士山」 江戸 石川丈山 

[訳:蓬田修一]

[漢文]

富士山 江戸 石川丈山

仙客来遊雲外巓
神龍栖老洞中淵
雪如紈素煙如柄
白扇倒懸東海天

[書き下し]

富士山 江戸 石川丈山(いしかわじょうざん)

仙客(せんかく)来(きた)り遊ぶ雲外(うんがい)の巓(いただき)
神龍(しんりゅう)栖(す)み老(お)ゆ洞中(どうちゅう)の淵(ふち)
雪は紈素(がんそ)の如(ごと)く煙は柄(え)の如し
白扇(はくせん)倒(さかしま)に懸(か)かる東海(とうかい)の天(てん)

[現代語訳]

富士山 江戸 石川丈山

仙人が舞い降りて遊ぶ 雲の上にそびえる富士山の頂き
神龍がひそんでそのまま老いてゆく 洞穴(ほらあな)の淵(ふち)
(山頂の)雪は練り絹のように白く 立ち上る噴煙は扇の柄(え)のように長い
白扇がさかさまに懸かる 東海の空


 

Posted on 2014-12-26 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

新春の漢詩 「士峰」 江戸 新井白石


[text:蓬田修一]

[漢文]

士峰  江戸 新井白石

忽見未知嶽
杳然如雲望
倚天千仞立
抜地八州分
晴雪粉堪画
長烟篆作文
有時仙客到
笙鶴月中聞

[書き下し]

士峰(しほう) 江戸 新井白石

忽(たちま)ち見る未知の嶽(がく)
杳然(ようぜん)として雲を望むが如(ごと)し
天に倚(よ)りて千仞(せんじん)立ち
地を抜いて八州(はっしゅう)分(わ)かる
晴雪(せいせつ)粉(ふん)は画(えが)くに堪(た)え
長烟(ちょうえん)篆(てん)は文(ぶん)を作(な)す
時有りてか仙客(せんかく)到り
笙鶴(しょうかく)を月中(げっちゅう)に聞かん

[現代語訳]

士峰(しほう) 江戸 新井白石

にわかに目に入ったのは見知らぬ巨大な山
ぼんやりと雲を望むようだ
天にそびえること千仞(せんじん)の高さ
大地から抜け出し八州(はっしゅう)に分かれる
晴れた雪の白さは絵のようで
長くたなびく煙はくねる篆字(てんじ)のようだ
ときに来たのは仙人の王子喬(おうしきょう)
鶴に乗って奏でる笙(しょう)の音が月光の中に聞こえる

新春にちなみ、富士山を詠った詩を取り上げた。尾聯(第七・八句)は、仙人の王子喬(おうしきょう)が、笙(しょう)を奏でながら鶴に乗ってやって来るという故事にちなむ。


 

Posted on 2014-12-24 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

新春の漢詩 「元日」 江戸 頼山陽

[text:蓬田修一]

漢文

元日  江戸 頼山陽

故紙堆中歳過強
猶余筆削志遍長
東窓掃几迎初日
読起春王正月章

書き下し

元日(がんじつ)  江戸 頼山陽(らいさんよう)

故紙(こし)堆中(たいちゅう)歳(とし)強(きょう)を過(す)ぎ
猶(な)お筆削(ひっさく)を余(あま)して志(こころざし)偏(ひと)えに長し
東窓(とうそう)几(き)を掃(はら)って初日(しょじつ)を迎え
読み起こす春(はる)王(おう)の正月(しょうがつ)の章(しょう)

現代語訳

元日(がんじつ)  江戸 頼山陽(らいさんよう)

部屋に積まれた反故(ほご)の中 歳は四十を過ぎた
今なお原稿に手を入れ 満足なものはできない 志は遥か遠くにある
東の窓辺にある机を掃除し 元日のご来光を迎える
新年の「読み初め」は『春秋』の「春 王の正月の章」

作者の頼山陽(らいさんよう)は広島の人。『日本外史』を著した。この詩は文政4年(1821年)に書かれたもの。山陽42歳であった。

起句の「強」は四十歳のこと。『礼記』によると四十を強という。結句「春王正月章」は『春秋』の巻頭部分「元年春、王の正月」を指す。ちなみに、ここの「元年」とは、魯の隠公元年(西暦紀元前772年)のこと。


 

Posted on 2014-12-23 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed

新春の漢詩 「歳初(さいしょ)皇甫侍御(こうほじぎょ)が至るを喜ぶ」 中唐・厳維

[text:蓬田修一]

[漢文]

歳初喜皇甫侍御至  中唐 厳維

湖上新正逢故人
情深応不笑家貧
明朝別後門還掩
脩竹千竿一老身

[書き下し]

歳初(さいしょ)皇甫侍御(こうほじぎょ)が至るを喜ぶ  中唐 厳維(げんい)

湖上(こじょう)新正(しんせい)故人に逢(あ)う
情(じょう)深くして応(まさ)に家の貧(ひん)なるを笑わざるべし
明朝(みょうちょう)別後(べつご)門(もん)還(ま)た掩(おお)わば
脩竹(しゅうちく)千竿(せんかん)一老身(いちろうしん)

[現代語訳]

年の初め、皇甫侍御(こうほじぎょ)の訪れを喜ぶ  中唐 厳維(げんい)

湖畔に 新たな年が訪れ 懐かしい友と会う
思いやりが深く 我が家の貧しさを笑ったりはしない
明朝 別れて後に 再び門を閉ざせば
伸びた竹が千本と 老いた身ひとつ残るだけ

新年に、旧友の「皇甫侍御(こうほじぎょ)」が貧しい暮らしをしている我が家を訪れる。作者の厳維(げんい)は至徳二年(至徳は粛宗皇帝の即位とともに改元した元号)の進士(科挙の合格者)。すでに四十歳を超えていたという。厳維が会った「皇甫侍御(こうほじぎょ)」とは皇甫曾(そう)のこと。侍御史となっていたので、皇甫侍御と呼ばれた。


Posted on 2014-12-22 | Category : コラム, 漢文のこころ | | Comments Closed