【悲しみの歌】きょう別れ 紀利貞
貞辰親王(さだときのみこ)の家にて藤原清生(きよふ)が近江介(あふみのすけ)にまかりけるときに、むまのはなむけしける夜よめる
きょう別れ
あすはあふみと
思へども
夜(よ)やふけぬらむ
袖の露けき
紀利貞
古今和歌集、巻八離別歌に所収されている歌です。
まず歌の意味を確認しましょう。
貞辰親王(さだときのみこ)の家で、藤原清生(きよふ)が近江介(あふみのすけ)として赴任するときに、送別の宴を開いた夜に詠んだ歌
あなたとはきょうでお別れ
あすは「会う身」という名の
近江へと旅立つのですね
夜がふけてきたのでしょう
わたしの衣の袖が
夜露で濡れてきました
詞書にある貞辰親王(さだときのみこ)は、清和天皇第七皇子でいらっしゃいます。
藤原清生(きよふ)の送別の宴が、どうして貞辰親王の邸宅で宴が開かれたのかは不明です。
「むまのはなむけ」は、送別の宴のこと。
もともとは、旅立つ人の馬の鼻を、旅立つ方向へと向けたことから、こう呼ばれるようになりました。
「あふみ」は、「会う身」と「近江(あふみ)」の掛詞。
「露けき」は、露で濡れている状態のこと。
別れの涙で濡れたのですが、夜露で濡れたと強がっているのでしょう。
詠者の紀貞利は、近江は「近い」のだから、また会えるしそんなに悲しくないと、虚実あい混じる気持ちを詠いながら、涙で濡れた服の袖を、夜露で濡れたと強がっています。
わたしには、泣きながら精一杯の笑顔を作っている貞利の顔が思い浮かぶようです。
古今和歌集について
「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。
四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。
日本人の美意識を決定づけた和歌集である。
醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。
ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。
撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。
その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。
古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。
その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。
世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。
世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。