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【別れの歌】立ち別れ 在原行平朝臣


題しらず

立ち別れ
いなばの山の
峰に生(お)ふる
まつとし聞かば
いま帰り来む

在原行平朝臣

古今和歌集、巻八離別歌の巻頭に所収されている歌です。

編者たちは巻頭に置く歌に、自分たちの想いを込めているはずです。

国文学の研究者たちは、どんな想いが込められているのかを研究しているのかもしれません。

そうした学問的なアプローチとは別に、わたしたちが「どうしてこの歌が巻頭に置かれているのだろう?」と、人それぞれに考えることは、「古今和歌集」に接するとき、意義あることでしょう。

皆さん、歌の意味が理解できましたでしょうか。

この歌は、わたしたち現代に生きる人にとって馴染のない、和歌独特の掛詞が使われていますので、意味が取りにくかったと思います。

歌の意味を確認しましょう。


題知らず

これでお別れですね
わたしは因幡の国へ赴任します
因幡の山には松の木が育っているでしょう
その松にちなんで
わたしの帰りを待っていてくださると
聞いたならば
すぐにでも帰ってまいりましょう

詞書にある「題知らず」は、「歌の題が分からない」という意味ではありません。

平安時代は「歌合せ」と呼ばれる歌会が盛んに行われていましたが、そうした歌会で詠われた歌ではないということです。

また、お題を与えられて詠われた歌でもありません。

つまりは、歌ができた背景がよく分からないという意味です。

「いなば」は、「去(い)なば」と「因幡(いなば)」の掛詞。

「今」は、今すぐの意味。

作者の行平は斉衡二年(855)、因幡守になっています。

行平はこの歌を、因幡に赴くときの送別の宴で詠んだのでしょう。

「いなば」「まつ」という掛詞が使われていて和歌らしい和歌だと思います。

それと、詠みぶりから「できたら赴任したくない」という気持ちが見え隠れてしているようにも感じます。

当時の貴族たちは、都を離れるのを嫌がっていたのが分かるようで、とても興味深いです。

古今和歌集の編者たちは、そうした貴族に共有する気持ちを詠った歌として、巻頭に置いたのかもしれません。

(とはいうものの、地方に行けば経済的な旨みがあったり、のんびり暮らせたりと、地方に行くことを肯定的に捉えていた貴族もいたのかもしれませんが、「都を離れるのはつらい」という定型の想いが、好んで和歌に詠まれたとも思われます)

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-22 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed
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