Home > コラム, 和歌とともに > 【年末の歌】何事を 待つとはなしに 明け暮れて(源国信)

【年末の歌】何事を 待つとはなしに 明け暮れて(源国信)


何事を 待つとはなしに 明け暮れて 
今年も今日に なりにけるかな

源国信(みなもとのくにざね)

(現代語訳)
とりたてて何を待つわけでもなく(いたづらに)毎日を過ごしている間に
今年も終わってしまった

こんにちは 蓬田でございます!

「金槐和歌集」冬の巻の最後に、つまりは一年の最後として収められている歌です。

読んでそのままの意味。まさに、光陰矢のごとし!

金槐和歌集の撰者、源俊頼(みなもとのとしより)も、感じるところがあって撰んだのでしょう。

作者は何を「待っていたわけではない」のか?
ところで、この歌を見て、皆さんは「何を待っていたのか?」と疑問には思いませんでしたか?

作者は一体何を「待っていたわけではない」のかと?

その答は、なかなかに興味深いです! わたしなりに迫ってみたいと思います。

作者源国信(みなもとのくにざね)の官位は正二位・権中納言。この官位は、貴族としてはものすごい出世です。

源国信は四十二歳で亡くなっていますから、毎年のように、順調に出世を遂げていたような感じだったのかもしれません。

貴族たちの人事は毎年、春と秋に発表がありました。春は高位貴族の朝廷における人事、秋は中位貴族の地方における受領人事でした。

受領は、官位としては四位、五位で、高級貴族よりは低かったですが、地方で徴税した税収を、一部を除いて、規定の額を中央に収めれば、受領個人で自由に運用できたため蓄財ができました。

実際、貴族の中には、高位高官となり、名誉を得たり、国政を動かすことを目指すよりも、あえて受領階級にとどまり、財産を増やすほうを選んだ貴族もいます。

こうしたわけで、高級貴族も中級貴族も春と秋は、自分が出世する知らせを、じりじりした気持ちで毎年「待っていた」わけです。

一方、源国信はほかの貴族のように、自分が出世する知らせをじりじりする気持ちで「待つ」こともなく、毎年のように順調に出世を重ねていたのでしょう。

だから、「何事を 待つとはなしに 明け暮れ」たのだと、感じたのだと思います。

撰者の源俊頼(みなもとのとしより)も、こうした背景を知っていて、本人自身も人事の知らせを「待って」いたひとりであったから、この歌に思うところもあり、一年の最後という目立つところに置いたのではないでしょうか。

人気の言い回し?!
この歌は、後世の歌人にも感じるところがあったらしく、藤原俊成の歌学書「古来風体抄(こらいふうていしょう)」や、後鳥羽院が配流先の隠岐で撰した歌合「時代不同歌合(じだいふどううたあはせ)」などにも採られています。

ほかにも、この歌をもとにして詠まれたと思われる歌を、挙げておきます。

なに事を まつとはなしに ながらへて をしからぬ身の 年をふるかな
守覚法親王(続後撰和歌集)

むつきのはつねの日、身のあやしさを思ひつづけてよめる
なに事を まつ身ともなき あやしさに はつねはくれど ひく人もなし
源俊頼(散木奇歌集)

関白前太政大臣の家にて郭公の歌おのおの十首づつよませ侍りけるによめる
ほととぎす なくねならでは よのなかに まつこともなきわが身なりけり
藤原忠兼(詞花和歌集)

題しらず
何事を 待つとはなくて うつり行く 月日のままに 世をやすぐさん
道雄法師(新後拾遺和歌集)




Posted on 2020-12-31 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed
関連記事