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春の和歌 「世の中に 絶(た)えて桜の」  古今和歌集 在原業平朝臣(ありはらのなりひらあそん)


[訳:蓬田修一]

渚院(なぎさのゐん)にて桜をよめる

世の中に 絶(た)えて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし


古今和歌集  在原業平朝臣(ありはらのなりひらあそん)

[現代語訳]

渚院(なぎさのいん)で桜を詠んだ歌

世の中に まったく桜が なかったとしたら
春の気持ちは のどかなものであったに違いない

[ひとこと解説]

渚院(なぎさのいん)は、惟喬(これたか)親王の別邸があった場所。業平は親王におともし、別邸に行った際、この歌を詠んだ。
業平は親王と親しく交誼を結んでいた。

惟喬(これたか)親王という人は悲運の人で、文徳天皇の第一皇子であるから、本来だったら皇太子になってもよかったのだが、母親が当時、権勢を誇っていた藤原家の出身ではないため、皇太子にはなれなかった。

この歌は、桜への思いをそのままストレートに歌に託すのではなく、「なければ、どんなにか人の心は穏やかだろうに」と逆説的に詠んでいる。

現代でも、好きな異性が目の前に表れたとき、恋いこがれて気持ちが上の空になってしまい、「あの人がいなければ、どんなにこころが楽だろう」と思うのと似ている。




Posted on 2015-02-13 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed
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