【悲しみの歌】夢とこそ 紀貫之
あひしれりける人の身まかりければよめる
夢とこそ
いふべかりけれ
世の中に
うつつあるものと
思ひけるかな
紀貫之
古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。
深い契りを結んだ人が亡くなり詠んだ歌
この世は夢だと
言うべきであった
わたしは世の中に
現実があるものと
思っていた
詞書にある「身まかる」は亡くなる。
「うつつ」は現実のこと。
この世は現実ではなくて夢であると詠んだ歌。
夢と現実は両方存在すると考える歌が多いが、この歌は現実などはなく、世の中は夢そのものであると詠んでいる。
現実と思っていた世の中が実は現実ではない、という世界観。
わたしはこういう世界観の作品が好きだ。
映画にもある。「マトリックス」だ。
主人公のネオはある日突然、「おまえの住んでいる世界は現実ではない。プログラミングされて作られた仮想現実に存在しているに過ぎない」とモーフィアスに告げられる。
ネオは混乱する。そして様々な人たちと関わりながら、自分が何者であるかを自覚し、自分の責務(想い)を遂げようする(しかし、それは結局はマトリックスのバージョンアップにつながるという皮肉な結果に終わるのだが)
一方、貫之はこの歌で、世の中に現実などない、現実は夢そのものであると詠う。
愛する人が亡くなった悲しみはあまりに大きく、この世に現実なんてない、この世は夢なのだ、と嘆いている。
古今和歌集について
「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。
四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。
日本人の美意識を決定づけた和歌集である。
醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。
ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。
撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。
その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。
古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。
その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。
世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。
世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。