春の歌 「あたなりと 名にこそたてれ」 古今和歌集 読み人知らず
[訳:蓬田修一]
桜の花のさかりに、久しくとはざりける人の
来たりける時によみける
あたなりと 名にこそたてれ 桜花
年にまれなる 人もまちけり
古今和歌集 読人知らず
[現代語訳]
桜の花が盛りの頃、しばらく訪れなかった人が
来た時に詠んだ歌
散りやすい花だと 評判になっている 桜の花
けれども、一年のうちでまれにしか訪ねてこない 人でも待っているのです
古今和歌集 読み人知らず
[ひとこと解説]
女性が詠んだ歌。「あた」とは、咲いたと思うとすぐに散ってしまうという意味。ここでは、浮気っぽいという意味でもある。
この歌にはふたつの意味が重ねられている。ひとつは、現代語訳にある意味。もうひとつは、詠み手である女性自身を主体にした、次のような意味だ。
浮気っぽい女だと評判になっているのは知っています。けれど、あなたのように一年のうちまれにしか訪れない人でも、こうやって待っているではありませんか。
この歌は、女が在原業平(ありわらのなりひら)に向けて詠った歌。この歌をもらった業平は次のような歌を詠んで返した。
今日(けふ)こずは 明日(あす)は雪とぞ 降りなまし
消えずはありとも 花と見ましや
現代語訳は、次のとおり。
きょう私が来なかったなら 桜の花はあすには雪のように消えてしまっただろう
(けれど雪ではないから消えてしまわない)でも消えずに残っていても 本当の花と見ることができるだろうか
この歌もふたつの意味を重ねている。もうひとつの意味の現代語訳は以下のようになる。
もし私がきょう来なかったら あなたはほかの人に心を寄せてしまっただろう
たとえあなたがここにいても わたしの花と見ることができるだろうか
業平は平安初期に生きた貴族。平安時代の中期・後期における貴族たちの恋愛よりも、いきいきと詠われているように思われる。