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夏の歌 「塵(ちり)をだに すゑじとぞ思ふ」 古今和歌集 凡河内窮恒(おおしこうちのみつね)


隣(となり)より、常夏(とこなつ)の花をこひにおこせたりければ、惜しみてこの歌をよみてつかはしける

塵(ちり)をだに すゑじとぞ思ふ 咲きしより
妹(いも)とわが寝る とこなつの花


古今和歌集  みつね

[現代語訳]

隣の家から、常夏(とこなつ)の花を分けてくれないかとの言づてがきたとき、(花をあげるのが)惜しくて、この歌を詠んで贈った歌

(常夏(とこなつ)の花は)塵(ちり)ひとつさえ 積もらせないようにと思っている花です 咲いたときから
愛する妻といっしょに寝る床(とこ)にちなんだ 常夏(とこなつ)の花ですから

古今和歌集  凡河内窮恒(おおしこうちのみつね)

[ひとこと解説]

詞書にある「常夏(とこなつ)の花」は、なでしこの別名。「おこせたり」は、言づてを寄こすの意味。

古今和歌集にある他の歌に比べると、一風変わった趣がある。

歌の内容は、隣の家から庭に咲いている常夏の花(=なでしこ)が欲しいので分けてくれと言ってきた。

窮恒(みつね)も常夏の花が大好きである。どれくらい好きかというと、花の上には塵ひとつ積もらせないように思っているくらい好きだ。

しかも、妻といっしょに寝る寝床の「床(とこ)」と、常夏の花の「常(とこ)」は音が通じている。その床の上に塵ひとつ積もらせないようにしている。それくらい常夏の花が好きなのだ。

内容はこのような感じだ。

なぜ床の上に塵ひとつ積もらせないことが、常夏の花を大事にしていることに通じるのか。床の上に塵がないということは、いつも妻といっしょに寝ているということ。

通い婚が一般的であった平安の時代、夫婦の気持ちが疎遠になったら、いっしょに寝ることは少なくなる。そうすると床の上にも塵がたまる。私たち夫婦はそうではなくて、塵ひとつ積もっていないのですよ、と言っているのだろう。

この歌には二通りの解釈があるようだ。ひとつは、窮恒はこの歌を添えて、庭の常夏の花を隣の人に贈ってあげたというもの。「こんなに大事にしている花なのですから、あなたも大事にしてくだい」という意味を込めて花を贈った。

もうひとつの解釈は、隣の家の花が欲しいという要望を断りたいとので、そのときに贈った歌だというもの。

どちらかは学問上も分かっていないようだが、隣の家に贈った花に添えた歌と解釈したほうが、窮恒の人となりを想像する上では楽しい。
(TEXT:M&C 蓬田修一)




Posted on 2015-03-04 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed
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