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春の歌 「梓弓(あづさゆみ) 春の山べを」 古今和歌集 紀貫之


[訳:蓬田修一]

志賀の山越えに女のおほくあへりけるによみてつかわしける  

梓弓(あづさゆみ) 春の山べを越えくれば
道もさりあへず 花ぞ散りける


古今和歌集  つらゆき

[現代語訳]

志賀の山を越えていたとき、大勢の女性たちに会ったときに詠んで贈った歌  
 
春の山道を越えてきたら
道を避けて通ることができないほど 桜の花が散っていたのです

古今和歌集  紀貫之

[ひとこと解説]

「梓弓(あづさゆみ)」は「春」にかかる枕詞。
「さりあへず」の「さる」はさけるという意味で、「あへず」はできないということ。
道を避けることができないほど、花が散っているという様子、つまり、道いっぱいに豪華に花が散っているという情景を詠っている。

この歌にはもうひとつの意味があって、花を出会った女たちに見立てて詠っていることだ。
道いっぱいに出会ったあなたたち女性が散っていました、という意味だ。

貫之は志賀寺を訪れるために、志賀の山を越えていた。そのとき、向こうからやって来る女性たちと偶然と出会った。

貫之は、道に敷き詰められている桜の花のように、あなたがた美しい女性たちがたくさんいて道を通ることもできません、と即興で詠んで贈った。
晴れやかで、機知に富んで、女性をおだてて、とても気分の良い歌だと思う。

もっとも、当時の山道は幅が細く、すれ違えるような道幅ではなかったため、女性たちが向こうから来たので通ることができない、と困惑している気持ちを詠ったとも取れる。

でもそれだと歌の面白みとしては欠ける。貫之はそんな野暮な男ではなかった。やはり、女性たちを美しい花にたとえた歌として鑑賞したい。




Posted on 2015-02-25 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed
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