仏像を美術館で鑑賞するということ
東京国立博物館で開催された「運慶展」が大変な人気でしたね。
同展の特設ツイッターなどでは、会場に入るまでの待ち時間が随時告知されていました。
たまたま見たときは、金曜日でしたが夜7時の時点でも20分待ちでした。
私は土曜日の夜に行ったのですが、幸いその日は待つことなく入れました。
仏像には詳しくありませんが、展示されていた仏像の素晴らしさは心に響いてきましたが、正直を申しますと、違和感を覚える部分もありました。
それは、本来はお寺の中にある仏像を、美術館で鑑賞するという行為についてです。
仏像の展覧会については、仏像は拝むものであって、美術館においては、どういう気持ちで鑑賞したらいいのか、よく整理がつかない面がありました。
今回の「運慶展」の会場でも、ある中年の男性はひとつひとつの仏像に対して、鑑賞する前に正面から手を合わせて拝んでいました。
私はそれを見て「そうだよな~ それが本来だよな~」と思いながらも、そうする勇気も信仰心もなく、それでも展示されていた仏像の素晴らしさに心打たれて帰宅したのですが、どこかすっきりしない気持ちも残っていました。
数日後、「日本美術 傑作の見方・感じ方」(田中英道著)を読んでいたところ、その本の中に、宗教的作品について「宗教的な、あるいは「文化財」的な意味での価値は、現代に生きる私たちにとって二次的な要素にすぎません」と書かれていました。
それを読んでからは、自分の宗教美術に対する気持ちが少し整理されたような気がしています。
これからは、仏像も信仰の対象としてだけではなく、美術品としてもその美的価値を自分なりに捉えていけたらと思っています。
(text:M&C編集部 蓬田修一)
※2017年11月24日発行の「M&Cメールマガジン」に記載した文章を、一部変えています。