イングランドではなぜ議会が早くに力を持ったのか?
文・M&C編集部
フランス史の特徴が中央集権化の早さだとすれば、イングランド史の特徴は議会の早期発展です。
なぜイングランドの議会だけが、他国よりも早く力を持ったのか? その要因をまとめました。
① ノルマン征服(1066年)以降の王権
ノルマン・コンクエストで征服王ウィリアム1世は、フランス系貴族を従えてイングランドを支配しました。
王は封建領主でもあり、全国の土地を再分配したため、国王と諸侯が直接契約関係にあるという構造ができました。
そのため大陸のような「地方領主の独立」が起きにくく、早くから王と貴族が直接交渉する場(評議会)が重要になりました。
これが議会の原型です。
② マグナ・カルタ(1215年)
ジョン王は戦争と失政で貴族から反発をくらい、王の権限を制限する「大憲章(マグナ・カルタ)」に署名させれました。
マグナ・カルタでは「課税には議会の同意が必要」「王の恣意的逮捕の禁止」などが規定され、後の議会制民主主義の基礎となりました。
他国では「王が課税権を握る」のに対し、イングランドでは早くから「課税は合議制」という原則が確立したのです。
③ 財政基盤の弱さ
イングランドはフランスほど豊かではなく、国王が戦争をするには必ず新しい課税を議会に認めてもらう必要がありました。
議会抜きでは財政を賄えない構造が、議会の発言力を高めました。
一方、フランスでは国王が税を徴収できたので、議会が力を持ちにくかったのです。
④ 身分制議会の発展(14世紀~)
聖職者・貴族・庶民(都市商人や地主)からなる「二院制議会」が成立しました。
特に下院(庶民院)が課税承認権を握り、国王と交渉する力を持ちました。
大陸では都市や市民層の発言力が弱いですが、イングランドでは早くから地主や商人が政治に参加したのです。
⑤ 王権と議会のせめぎ合い(17世紀)
エリザベス女王の死後、スチュアート朝の国王が絶対王政を志向します。
しかし議会は財政権を盾に抵抗し、やがて清教徒革命や名誉革命につながりました。
これにより、国王は議会の同意なく課税・法律制定できないという原則が確立しました。
議会主権が確立し、近代立憲君主制への移行です。
⑥ 地理的条件と安全保障
大陸諸国と違い、イングランドは島国なので常備軍を大きく維持する必要がありませんでした。
そのため国王の軍事独裁が生まれにくい傾向にあり、そのことが議会の存在をより強調しました。
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