フランスはなぜ絶対王政の時代に中央集権化を成し遂げられたのか?
文・M&C編集部
地理・社会・歴史的条件が絡み合っています。以下、順を追って説明しましょう。
1. 地理的条件 ― 「大河と平野の国」
フランスはヨーロッパで最も広い平原国家のひとつで、ロワール川・セーヌ川・ガロンヌ川などの大河が国内を結びつけていました。
山地に分断されやすいイタリアやドイツ、島国のイングランドに比べて、地理的に統一政権を築きやすかったといえます。
「交通のハブ」としてパリを中心に権力を集中できました。
中央集権化に有利な「地形の一体性」がありました。
2. 中世からの王権の連続性
フランス王家(カペー朝)は987年から王位を継承し続けました。
王位継承に不安が少なかったため、王権の正統性が強固になった傾向があります。
イングランドのように内乱や王朝交替で地方勢力が台頭することが少なかったです。
こうしたことが要因で、 王権が「国家の核」として長期に存続できました。
3. 百年戦争後の国民統合
14〜15世紀の百年戦争(対イングランド戦争)を経て、「フランス人」という国民意識が芽生えました。
戦時には、徴税制度・常備軍が発展しました。
イングランドを撃退したことで「国王=国家統合の象徴」という意識が広まりました。
4. 財政と軍事の近代化
15世紀末以降、国王は常備軍(王の軍隊)を保持し、地方貴族の私兵に頼らなくなりました。
さらに税制改革により、「王の直轄財源(直税・関税)」を確保します。
財政と軍事を王が掌握することで、貴族の自立性を弱められました。
国王が「武力と財政」を握ったことで、地方領主を凌駕しました。
5. 官僚制の発達
ルイ11世、ルイ13世、ルイ14世と続く絶対王政の君主たちは、教育を受けた都市出身の平民を官僚として登用しました。
貴族を排して「王に忠実な行政官」を地方へ派遣(監察官制度)しました。
この仕組みが、日本の明治維新の「知藩事から県令へ」の先駆けのような役割を果たしました。
6. 宗教とイデオロギーの支え
王権神授説(特にルイ14世の時代)をとなえ、「国王は神に選ばれた存在」と国民に周知しました。
ローマ教皇との対立を通じて「フランス国王=フランス教会の保護者」という立場も確立しました。
これによって、王権の正統性が宗教的にも補強されました。
最後に
日本との比較では、連邦制のように各地の大名を従えた徳川幕府よりも、ずっと「国王=国家そのもの」という性格が強かったのが特徴です。
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