文学とは言葉による彫刻である

人を深くそして広く理解したいとは、誰もが持つ願いではなかろうか。

逆に考えれば、他人を理解したくない人は、社会的に生存していくことは難しい。

文学作品は、人間とリアルに描く場所である。

文学作品のなかには、さまざまな人間がリアルに生きている。

わたしたちは、作品のなかに生きている人物に会いに作品を読むのだともいえる。

文学者は、生き生きとした人間を自分の作品のなかにつくりあげる。

何によってかつくるかといえば、言葉だ。

文学者は言葉によって人物を造形する。

彫刻家は太い丸太を自分の前に立てて、そこにノミで少しずつ削って人物を削り出す。

文学者はまさに彫刻家のように、言葉というノミを使って、少しずつ人物を掘り出していくのだ。




Posted on 2024-04-19 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

About Haruki Murakami’s Literature (Writing Style)

A few days ago, I wrote an article about Haruki Murakami’s works.

Therefore, I wrote that Haruki Murakami is particular about his writing style.

Furthermore, I wrote that although it seems that he is particular about his writing style, I cannot feel the energy that would move the soul of the reader.

Today, I would like to think a little more about the writing style of Haruki Murakami’s works.

I read somewhere that when Haruki Murakami made his debut, he gained acclaim for his writing style, which was different from previous literature.

I imagine that it was popular for its light, jazz-like music, and novel figurative expressions.

Actually, when I first read Haruki Murakami’s work, I didn’t find the writing style new.

I guess my sensitivity to Haruki Murakami’s works is dull.

I vaguely thought that even if the writing style was new, if the theme and content lacked substance, the work would have little value.  

But then I suddenly remembered that during the Meiji period, Futaba Teishimei wrote “UKIGUMO” in a colloquial style which is unification of the spoken and written languages.

The invention of a colloquial style has now become an important event that defines an era in literary history.

I just don’t feel the same way about Haruki Murakami, but 100 years from now he may be praised as a writer who changed the style of Japanese literature.

When Futaba Teishimei wrote “UKIGUMO”, he first wrote it in Russian and then translated it into Japanese.

Haruki Murakami’s writing style is the same. “Norwegian Wood” was first written in Greek and then translated into Japanese.
(Moreover, Haruki Murakami wrote this while staying in Greece.)

It seems that many of his works he first wrote in English, and were translated into Japanese.

It is no coincidence that Futaba Teishimei and Haruki Murakami’s writing methods are the same.

When inventing a new style of writing, the process of translating from a foreign language can be both exquisite and extremely powerful.




Posted on 2024-04-18 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

村上春樹文学について〈文体〉

数日前、わたしは村上春樹作品について記事を書いた。

そこで、わたしは村上春樹は文体にこだわっている、という意味のことを書いた。

さらに、文体にこだわっているみたいだが、読む人の魂を揺さぶるようなエネルギーが感じられない、という意味のことも書いたように思う。

きょうは、村上春樹作品の文体について、もう少し考えてみたい。

どこかの記事で、村上春樹はデビューしたとき、文体がこれまでとの文学とは違うことが評判になったと読んだ。

何が評判になったのかは知らないが、ライトで、ジャズの音楽のようで、比喩表現が斬新で、といったことを指しているのだろうと想像する。

実は、わたしは初めて村上春樹作品を読んだとき、文体の新しさは感じなかった。

わたしの村上春樹作品に対する感性が鈍いのだろう。

文体が新しくても、テーマや内容に中身がなければ作品としての価値は低いと、わたしは漠然と考えていた。 

でもふと、明治時代、二葉亭四迷は「浮雲」を言文一致体で書いたことを思い出した。

その言文一致体の発明が今では文学史上、時代を画する重要な出来事になった。

村上春樹もわたしが感じていないだけで、100年後には日本文学の文体を変えた作家として評価されているかもしれないのだ。

二葉亭四迷は「浮雲」を書くにあたって、はじめロシア語で書いて、それを日本語に翻訳した。

村上春樹の執筆方法も同じだ。「ノルウェイの森」は、はじめギリシア語で書いて、それを日本語に翻訳した。
(しかも、村上春樹はギリシャに滞在して執筆した)

はじめ英語で書いて、それを日本語に翻訳して執筆した作品も多いらしい。

二葉亭四迷と村上春樹の執筆方法が同じなのは、偶然ではないだろう。

新しい文体を発明するとき、外国語からの翻訳という作業は、絶妙かつ相当な威力を発揮するのだろう。




Posted on 2024-04-18 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

文学を読むよろこび 「人生をどう生きるか」

文学作品をどう読むか?

わたしは長いこと、このことについて考えてきた。

そしてやっとひとつの回答を得た。

それは、現代に生きるひとりの人間として、「人生をどう生きるか」というアプローチから読むということだ。

それについては、以下の記事で書いた。

https://mc-mc.co.jp/archives/3954

しかし、この記事を読んでくれている皆さんのなかには、「人生をどう生きるか」を考えるために読むとは、それは「道徳」を身につけるために読むことではないかと思う人もいるかもしれない。

確かに、文学作品のなかには道徳的な作品もある。

また、子どものころ、道徳的な読み方をおとなから求められた経験を持つ人もいるかもしれない。

わたしは、文学作品を読むとは、「道徳」から解放された場所で考えなければないないと思う。

文学を読むことにおいて「人生をどう生きるか」と「道徳」とは、分けて考えないといけない。

自分の人生を大切に考える人ならば、人間について少しでも深くそして正しく理解したいという願いを持つであろう。

自分自身の人生経験は限られている。

自分の経験だけでは、経験の量が少なすぎて、人間を豊かに知ることはできない。

文学は人間をリアルに描く。

文学を読むことで、人間を豊かに理解することができる。

人間を生き生きと描く作品を読むとき、わたしたちは文学を読むよろこびを、こころから感じることができる。

このよろこびのなかにこそ、「人生をどう生きるか」を考えるきっかけが散りばめられているのである。




Posted on 2024-04-18 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

【悲しみの歌】血の涙 素性法師

前太政大臣(さきのおほきおほひまうちぎみ)を白川のあたりに送りける夜よめる

血の涙
落ちてぞだぎつ
白川は
君の世までの
名にこそありけれ

素性法師

古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。

詞書にある「前太政大臣」は藤原良房。

素性法師は白川の流れているあたり(京都市左京区)で、亡くなった藤原良房の野辺送りを行った。

歌の意味はこんな感じである。


血の涙が落ちて
真っ赤に染まった川の水が
わきかえっている
この川は白川というが
その名前はあなたが生きていた
ころまでの名前であった

「血の涙」は、激しい悲しみの涙。
「たぎつ」とは、激しく流れること。

あなたが亡くなり、わたしは悲しみのあまり血の涙が落ちてしまいます。

血の涙は、白い川と呼ばれる白川の水を赤く染め、川は激しくわき返っていますと、素性法師は詠った。

良房の死は悲しかったに違いないが、死を悼むにしては、表現がいささかオーバー過ぎる。

だが、そこがこの歌の魅力でもある。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-18 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

我們如何閱讀文學作品?

前幾天,我寫了一篇關於閱讀文學的樂趣和意義的文章。

我在這裡寫到,閱讀文學的目的是為了獲得對人性的深刻而豐富的理解。

https://mc-mc.co.jp/archives/3954

這裡重要的是,理解人類不應該最終成為一種智力興趣。

我想要對人性有深刻而豐富的理解——只有當它得到作為一個生活在當今時代的人的周圍環境中「我應該如何生活」的意識的支撐時,這種願望才變得珍貴。

反過來說,只有在現代條件下思考“我該如何生活”,我們對人性的理解才具有活生生的意義。

一部好的文學作品就是能讓我們思考這些事情的作品。




Posted on 2024-04-17 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

How to read literary works?

A few days ago, I wrote the following article about the joy and significance of reading literature.

Here I wrote that the purpose of reading literature is to gain a deep and rich understanding of humanity.

https://mc-mc.co.jp/archives/3954

The important thing here is that understanding humans should not end up being an intellectual interest.

I want to have a deep and rich understanding of humanity – this desire becomes precious only when it is supported by the awareness of “how should I live my life” in the circumstances surrounding us as a person living in the present era.

Conversely, it is only through thinking about “how do I live my life” in modern conditions that our understanding of humanity can have a living meaning.

A good literary work is one that makes us think about these things.




Posted on 2024-04-17 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

文学作品をどう読むか?

わたしは数日前、文学を読む喜び、読む意義について書いた以下の記事で、文学を読むとは、深く豊かに人間を理解するためだと書いた。

https://mc-mc.co.jp/archives/3954

ここで大事なのは、人間を理解するということを、知的な興味に終わらせてはいけないということだ。

人間を深く豊かに理解したいーーこの想いは、いまの時代に生きるひとりの人間として、いまを取り巻く状況の中で「自分はいかに生きるか」という意識に支えられてこそ貴いものとなる。

逆に言えば、現代の状況のなかで「自分はいかに生きてゆくか」と考えることをとおしてのみ、人間への理解は生きた意味を持ってくる。

いい文学作品とは、こういうことを考えさせてくれる作品のことである。




Posted on 2024-04-17 | Category : コラム, 文学の談話室 | | Comments Closed

【悲しみの歌】つひにゆく 在原業平

病して弱くなりにけるときよめる

つひにゆく
道とはかねて
聞きしかど
昨日今日とは
思はざりしを

業平朝臣

古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。


病気になりからだが弱ってきたときに詠んだ歌

最後には行く
道であると
前から聞いてはいたが
そのときがついに来たとは
思いもよらなかった

詞書にある「身まかる」は亡くなる。

「つひにゆく道」は死出の道。

「昨日今日」は差し迫ったとき。

ついに自分は死んでゆくのだという、悲しい歌であるが、同時に、「昨日今日とは思はざりけり」と言っているのが、わたしにはとぼけているように感じて、死ぬ間際になって冗談を言って自分を慰めているようで面白い。

この歌は「伊勢物語」の最終段に載っている。

誰の歌か忘れたが、同じように死ぬ間際にとぼけたことを詠っている歌があったような気がするが、何だっただろう。

面白き
こともなき世を
面白く

高杉晋作のこの歌を、わたしはいま思い起こしたが、この歌だろうか。

違うような気がするが、何の歌かいまは思い出せない。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-17 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【悲しみの歌】泣く涙 小野篁

いもうとの身まかりけりにける時よみける

泣く涙
雨と降らなむ
渡り川
水まさりなば
帰りくるがに
小野篁朝臣

古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。

わたしはこの歌をこんな風に現代語訳した。


妹が亡くなったときに詠んだ歌

泣いて流すわたしの涙
雨となって降っておくれ
三途の川の水嵩が増えれば
妹は渡れずに
こっちに帰ってこられるから

詞書にある「身まかる」は亡くなる。

雨との「と」は、雨となって。

「なむ」は、~してほしい。他者に対する願望を表す。

「渡り川」は三途の川。

「がに」は、理由を表す。

歌の説明は不要であろう。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-16 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed