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夏の歌 「わがやどの 池の藤波(ふじなみ)」 古今和歌集 読人しらず



わがやどの 池の藤波(ふじなみ) 咲きにけり
山郭公(やまほととぎす) いつか来(き)鳴かむ


古今和歌集  読人しらず

この歌ある人のいはく、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が歌なり

[現代語訳]
わが邸宅の 池に浮かぶ小島の藤の花がたわわに咲いた
山からいつもやってくるホトトギス いつ藤の花に止まって鳴いてくれるだろう

古今和歌集  読人しらず

この歌は、ある人が言うには、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の作である

「歌聖」に敬意をはらって「古今和歌集」に収録
「やど」は庭のこと。屋外(やど)という漢字で表されることもあります。

平安時代の貴族の邸宅では大きな池を作り、その中に小島を築いて、そこに藤を植えていました。

「藤波」とは、垂れ下がった花房が垂れ下がり、波のように風に揺られている様子であり、同時に小島にたくさん咲いた藤の花が、寄せて返す波のように揺れている光景を言っているのではないでしょうか。

「波」は「池」にちなんだ縁語。そうではないという見方もありますが、縁語とみたほうが風情があるので、ここでは縁語としておきます。

「山郭公(やまほととぎす)」は、山のほうからやって来るホトトギス。

註に、この歌は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の作と伝わっているとあります。柿本人麻呂は上代の歌人ですが、古今和歌集が編まれた時代、すでに「歌の聖(ひじり)」というような評価がされていたのでしょう。

この歌は「夏の部」の巻頭にありますが、編者は歌の聖の作という言い伝えに敬意を払って、巻頭に置いたとも考えられます。

ホトトギスは渡り鳥で、山から来るのではありませんが、当時の貴族たちは、藤の花を慕って山から降りて来ると、擬人化して捉えていました。

こうした考え方から、貴族たちは藤の花を見るとホトトギスを連想するようになりました。
(TEXT:M&C 蓬田修一)




Posted on 2015-03-02 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed
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