春の歌 「年(とし)ふれば よはひは老いぬ」 古今和歌集 前太政大臣(さきのおほきおほいまうちぎみ)
[訳:蓬田修一]
染殿后(そめどののきさき)のお前に、花瓶(はながめ)に桜の花をささせ給へるを見てよめる
年(とし)ふれば よはひは老いぬ しかはあれど
花をし見れば 物思いもなし
古今和歌集 前太政大臣(さきのおほきおほいまうちぎみ)
[現代語訳]
染殿后(そめどののきさき 藤原明子)のお前にて、花瓶(はながめ)に桜の花をおさしなさっているのを見て詠んだ歌
長い年月が経てしまい 私は老齢になった しかしなれども
(目の前にある)桜の花を見れば 物思いに沈むことなど何もない
古今和歌集 前太政大臣(さきのおおきおおいもうちぎみ)
[ひとこと解説]
作者の前太政大臣(さきのおおきおおいもうちぎみ)とは藤原良房のこと。良房の娘、藤原明子が、詞書きにある染殿后(そめどののきさき)だ。藤原明子は文徳天皇の后となった。染殿というのは良房の邸宅で、后はここに住んでいたので染殿と呼ばれている。
后は文徳天皇の皇子を生む。この皇子が清和天皇となる。即位する前年、良房は太政大臣となり、その後、即位後は摂政の地位にのぼる。人臣として最高の権力を得たわけだ。
このような良房が、自分の娘である后の部屋で、花瓶に挿されている桜の花を見て詠んだ歌がこれだ。
老境に入り、自分の人生を振り返ってみて、思い悩むことなど何もない、という気持ちを詠っている。
良房は政治家として最高の権力を手に入れ、満ち足りた気持ちでこの歌を詠んだに違いない。
私にはまだ実感がないが、老境に入って自分の人生を振り返ったとき、良房のように最高の権力を手にしなかった者でも、誰もが自分の人生に満足して最期を迎えるのではないか。もし、自分の人生に満足できないようであれば、それは悲劇であろう。そうありたいと願って誰もが頑張っているのであろうし、自分もそうである。
良房の歌に戻るが、この歌は目の前にいる自分の娘を桜にたとえてもいる。文徳天皇の后となり、天皇からの寵愛を受けている娘の姿を見れば、たとえ老境の身とはいえども、物思いに沈むことなど何もないと詠っているのだ。