春の歌 「雪のうちに 春は来にけり」 古今和歌集 二條后(にでうのきさき)
二條后(にでうのきさき)の春のはじめの御歌
雪のうちに 春は来にけり 鶯(うぐひす)の
こほれる涙 今やとくらむ
古今和歌集 二條后(にじょうのきさき 藤原高子)
[現代語訳]
二條后(にじょうのきさき)が詠んだ歌
(庭先に)雪は積もっているが 春はやって来た (谷間にいた)鶯は
(冬の寒さのために流していた)涙は凍っていたが それも今はとけているだろう
[ひとこと解説]
この歌は、七十二候「東風(こち)凍(こおり)を解(と)く」にもとづいて詠まれた歌です。
立春になって、東から吹く温かい風が氷をとかすという七十二候の意味と、
寒さ厳しい谷間で、鶯の流した涙も凍っていたが、立春になってその涙もとかしているだろうという歌の意味が重なっています。
始めの二句「雪のうちに 春は来にけり」は実際の風景、
後半の三句「鶯の こほれる涙 今やとくらむ」は想像の世界を詠っていると捉えることもできます。
実際の風景を見ているうちに、想像の世界へと気持ちが動いていったことが詠われているとも言えます。
「鶯のこほれる涙」というフレーズは大変に印象的です。もちろん、鶯が涙を流すというのは作者の想像です。
このフレーズは後世にも影響を与えていて、新古今和歌集の惟明(これあき)親王は次のように詠んでいます。
鶯の 涙の冰(つらら) うちとけて ふるすながらや 春を知るらむ
(現代語訳)谷間の寒さで鶯の流した涙はつららとなっていたが、立春になってその涙もとけて、古巣にいた鶯も春の到来を知ったことだろう
こちらの歌では、鶯の涙が寒さのためにつららになっているというのです。
もちろん想像の世界でありますが、つららにまで誇張されているのが面白いと思います。
(text:M&C編集部 蓬田修一)