春の漢詩 「京中正月七日立春」 梁 羅隠
[訳:蓬田修一]
[漢文]
京中正月七日立春 梁 羅隠
一二三四五六七
万木生芽是今日
遠天帰雁払雲飛
近水遊魚逬氷出
[書き下し]
京中(けいちゅう)正月(しょうがつ)七日(なぬか)立春 梁(りょう) 羅隠(らいん)
一二三四五六七
万木(ばんぼく)芽を生ずるは 是(これ)今日(こんにち)
遠天(えんてん)の帰雁(きがん) 雲を払(はら)って飛び
近水(きんすい)の遊魚(ゆうぎょ) 氷(こおり)を逬(とば)して出(い)ず
[現代語訳]
京中(けいちゅう)正月(しょうがつ)七日(なのか)立春 梁(りょう) 羅隠(らいん)
正月を迎え、一日、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか きょうは待ちに待った、なのかの日だ
この日は立春 万木(ばんぼく)は芽吹く
遠い空には北へ帰る雁(かり)は 雲をうち払うように飛び去り
近くの川に泳ぐ魚は ゆるんだ氷を突き破って泳ぐ
[ひとこと解説]
題名の「京中(けいちゅう)正月(しょうがつ)七日(なぬか)立春」は、咸通(かんつう)九(八六八)年の正月七日のこと。この日がちょうど立春にあたった。
数字を並べただけの起句が印象的な作品。数字が順番に並んでいるだけだが、待ちに待った立春の到来の気分がよく出ている。
作者の羅隠(らいん)は科挙の試験に落第し続け、七十歳近くになってようやく合格した。
冬の漢詩 「省中」 宋 王安石
[訳:蓬田修一]
[漢文]
省中 宋 王安石
大梁春雪満城泥
一馬常瞻落日帰
身世自知還自笑
悠悠三十九年非
[書き下し]
省中(しょうちゅう) 宋 王安石(おうあんせき)
大梁(たいりょう)の春雪 満城の泥
一馬 常に落日を瞻(み)て帰る
身世 自(みずか)ら知り 還(ま)た自ら(みずか)笑う
悠悠(ゆうゆう)三十九年の非(ひ)
[現代語訳]
役所 宋 王安石(おうあんせき)
汴京(べんけい)の春の残雪 溶け始めて町中がぬかるむ
一頭の馬にまたがる私 いつも落日を見ながら役所から家へ帰る
これまでの人生 それがどんなものか自分でも分かっている そして自分で自分を笑うのである
あてどもないこれまでの三十九年 ダメな人生だった
[ひとこと解説]
題名の省中(しょうちゅう)とは役所のこと。
大梁(たいりょう)は宋の都・汴京(べんけい)の古名。戦国時代の魏(ぎ)のときの呼び名。
王安石、失意のころの詩。この後、宰相となり「新法」を実施。地主や豪商などの利益と衝突するため、猛烈な反撃を受ける。文章家としての有名で、唐宋八大家のひとり。
春の漢詩 「山中送別」 唐 王維
[訳:蓬田修一]
[漢文]
山中送別 唐 王維
山中相送罷
日暮掩柴扉
春草明年緑
王孫帰不帰
[書き下し]
山中送別 唐 王維
山中 相(あ)い送りて罷(や)み
日暮(にちぼ) 柴扉(さいひ)を掩(おお)う
春草 明年 緑ならんも
王孫 帰るや 帰らずや
[現代語訳]
山中での見送りを終わらせ
日暮れに柴の戸を閉める
春の草は来年も緑になることだろうが
貴兄は(奥さんのもとへ)帰るのだろうか 帰らないのだろうか
[ひとこと解説]
結句の王孫は相手の尊称のことだが、ここでは山中にいる作者自身を指していると解釈したい。
冬の漢詩 「梅花」 宋 王安石(おうあんせき)
[訳:蓬田修一]
[漢文]
梅花 宋 王安石
牆角数枝梅
凌寒独自開
遙知不是雪
為有暗香来
[書き下し]
梅花(ばいか) 宋 王安石(おうあんせき)
牆角(しょうかく) 数枝(すうし)の梅
寒(かん)を凌(しの)いで 独(ひと)り自(みずか)ら開く
遙かに知る 是(こ)れ雪ならずと
暗香(あんこう)の来たる有るが為(ため)なり
[現代語訳]
庭のかきねの片隅にある数本の梅
厳しい寒さに負けず(ほかの花は咲いていない中)ひとりだけ咲いている
遙かに離れていても それが雪ではないことが分かる
どこからともなく香りが漂ってくるから
[ひとこと解説]
牆角(しょうかく)とは、庭のかきねの片隅。
暗香(あんこう)とは、どこからともなく漂う香りのこと。
前半二句は、寒中に咲く梅の様子を自然に詠む。
それに対し、後半二句は説明的で理屈っぽい。
新年の漢詩 「元旦大雪」 清 査慎行(さしんこう)
[訳:蓬田修一]
[漢文]
元旦大雪 清 査慎行
跡遠疎賓客
心空穏睡眠
正宜晴閉戸
況乃雪漫天
与世喜無事
為農占有年
庭梅生意動
報我一花先
[書き下し]
元旦大雪 清 査慎行(さしんこう)
跡(あと)は遠く 賓客(ひんかく)は疎(まれ)に
心空(むな)しくして 睡眠穏(おだや)かなり
正(まさ)に宜(よろ)し 晴るるも戸を閉ざすに
況(いわ)んや乃(すなわ)ち 雪の天に漫(ひろ)がるをや
世の与(ため)に 事無きを喜び
農の為(ため)に 年(ねん)有るを占(うらな)う
庭梅 生意(せいい)動き
我に報じて 一花先(さき)んず
[現代語訳]
元旦大雪 清 査慎行(さしんこう)
今、足跡を残すこのふるさとは政治の世界からは遠く離れ 正式の訪問客もまれにしか来ない
心にわだかまることはなく 穏やかな眠りにひたれる
まことに都合がよろしい 晴れた日でも門を閉ざしてひっそりと暮らすのには
ましてや元日のこの朝 空一面に雪が舞っている
世の中のために 無事であることを喜び
農民のために 実りが豊かであることを占う
庭の梅にも 生気のエネルギーが動き出し
(そのことを)私に知らせようと まず一輪の花が咲いている
[ひとこと解説]
作者は54歳でようやく進士に合格。十年ほどの宮仕えを終えて故郷に帰ってきた。そのときの詩である。
六句目の年(ねん)は稔(ねん)=秋の稔(みの)りに通じる。
冬の漢詩 「酔著(すいちゃく)」 唐 韓偓(かんあく)
[訳:蓬田修一]
[漢文]
酔著 唐 韓偓
万里清江万里天
一村桑柘一村煙
漁翁酔著無人喚
過午醒来雪満船
[書き下し]
酔著(すいちゃく) 唐 韓偓(かんあく)
万里(ばんり)の清江(せいこう)万里(ばんり)の天
一村(いっそん)の桑柘(そうしゃ)一村の煙
漁翁(ぎょおう)酔著(すいちゃく)して人(ひと)の喚(よ)ぶ無(な)し
午(ひる)を過ぎて醒(さ)め来(き)たれば雪(ゆき)船(ふね)に満(み)つ
[現代語訳]
酔いつぶれる 唐 韓偓(かんあく)
川はどこまでも清く 天は果てしなく広がる
川岸のあの村には桑や山ぐわが広がり この村には煙がたなびく
魚取りの翁は酔いつぶれ 声をかける人は誰もいない
昼過ぎに目覚めると 雪が船に積もっていた
冬の漢詩 「消寒絶句(しょうかんぜっく)」 清 呉錫麒(ごしゃくき)
[訳:蓬田修一]
[漢文]
消寒絶句 清 呉錫麒
礬頭山在屋頭堆
磬口花于水口開
不遇故人誰共賞
打氷声裏一舟来
[書き下し]
消寒絶句(しょうかんぜっく) 清 呉錫麒(ごしゃくき)
礬頭(ばんとう)の山は 屋頭(おくとう)に在(あ)りて堆(うずたか)く
磬口(けいこう)の花は 水口(すいこう)に于(おい)て開(ひら)く
故人(こじん)に遇(あ)わずんば 誰と共に賞(しょう)せん
打氷(だひょう)声裏(せいり) 一舟(いっしゅう)来(きた)る
[現代語訳]
消寒絶句(しょうかんぜっく) 清 呉錫麒(ごしゃくき)
礬頭(ばんとう)の山 家のそばにそびえ
磬口梅(けいこうばい)の花 川のほとりで咲いている
親しい友人と会えないなら いったい誰とこの名画を楽しもうか
(と思って戸外を見やると)氷を打ち割る音が鳴り響き 一艘の舟がやって来た
[ひとこと解説]
礬頭(ばんとう)は、山水を描く画法の一手法。山の上に小石の塊(かたまり)を堆(うずたか)く配置して描き出す。
磬口(けいこう)は磬口梅(けいこうばい)という蝋梅(ろうばい)の一種。
起句と承句は、初春の風景を描いた絵を詠ったもの。
作者はこの絵を友人と鑑賞しながら酒を酌み交わし、春の気分を味わい寒さを払おうとしていた。しかし、友人はなかなか来ない。そうこうしているうちに、戸外では川の氷を打ち破りながら、友人が乗る小舟がやってきたというもの。
やや意味が取りにくい詩であるが、前半二句の春の様子と、結句の冬の寒さがお互いを引き立て合っている。
冬の漢詩 「土牀(どしょう)」 北宋 楊時(ようじ)
[訳:蓬田修一]
[漢文]
土牀 北宋 楊時
土牀煙足紬衾暖
瓦釜泉乾豆粥新
万事不思温飽外
漫然清世一閑人
[書き下し]
土牀(どしょう) 北宋 楊時(ようじ)
土牀(どしょう)煙(けむり)足(た)りて紬衾(ちゅうきん)暖(あたた)かなり
瓦釜(がふ)泉(いずみ)乾(かわ)きて豆粥(とうじゅく)新(あらた)なり
万事(ばんじ)温飽(おんぽう)の外(ほか)を思わず
漫然(まんぜん)たり清世(せいせい)の一閑人(いちかんじん)
[現代語訳]
土牀(どしょう=オンドル)には熱い煙が満ち 紬(つむぎ)のふとんは暖かい
素焼きの釜では泉のように沸いていた水も(蒸発して)なくなり 豆粥(まめがゆ)が煮えたところ
温かいことと腹いっぱい食べることのほかは何も考えない
気ままな太平の世の閑人(ひまじん)
[ひとこと解説]
土牀(どしょう)はオンドルのこと。この詩で作者は、衣食が足りればそれで満足であると詠む。その裏には、出世や利益を追求する世の中の風潮に対する作者の批判がある。
新年の漢詩 「人日(じんじつ)帰るを思う」 随 薛道衡(せつどうこう)
[訳:蓬田修一]
[漢文]
人日思帰 随 薛道衡
入春纔七日
離家已二年
人帰落雁後
思発在花前
[書き下し]
人日(じんじつ)帰るを思う 随 薛道衡(せつどうこう)
春に入(い)りて纔(わず)かに七日(なぬか)
家を離れて已に二年
人の帰るは雁(かり)の後(あと)に落ち
思いの発するは花の前に在(あ)り
[現代語訳]
人日(じんじつ)の節句に家に帰ることを思う 随 薛道衡(せつどうこう)
新年になってようやく七日
家を離れてすでに二年が経った
北のわが家に帰れるのは雁より後になるだろうが
故郷への思いは春に咲く花より前にわきおこるだろう
[ひとこと解説]
人日(じんじつ)は人日の節句のこと。陰暦1月7日。正月1日は鶏(にわとり)、2日は狗(いぬ)、3日は羊、4日は猪(ぶた)、5日は牛、6日は馬、7日は人の日と定めた。
作者の薛道衡(せつどうこう)は、随の人。北斉、北周、その後の随に仕えた。この詩は作者が北周に仕えていたとき、南方の陳に使者として赴いた際に詠んだ詩と考えられている。
平成27年湯嶋聖堂 「元旦論語素読初め」
[text:蓬田修一/photo:宮川由紀子]
2015年1月1日、午前11時からお茶の水の湯嶋聖堂にて開催され「元旦論語素読初め」に参加した。中央大学教授・宇野茂彦先生の指導のもと、論語20章を毎年1章づつ素読している。
私は毎年参加しているが、ここ数年、参加者が増えている。「論語」や「素読」に関心が高まっているのが分かる。
今年、素読したのは「憲問(けんもん)第十四」。とても長い章であり、素読するのに一苦労だ。読んでいくうちに、いい言葉にたくさん出会う。蒋介石が言ったことで有名になった「徳を以て怨みに報いる」という一文はこの章にある(もとは「老子」にあり「論語」に引用された)。
ここ数年、暖かな日差しの中で行われていたが、今年は途中、小雪がちらつく寒さであった。元旦から声を出して素読するのは大変に気分が良いものである。