Farewell Poem “I say goodbye to you today” Kino Toshisada

KYO WAKARE
ASUWA OMITO
OMOEDOMO
YOYA FUKENURAMU
SODENO TSUYUKEKI

Kino Toshisada

This poem is included in Kokin Wakashu, Volume 8 Farewell.

First, let’s check the meaning of this poem.

Kino Toshisada composed a farewell poem at the farewell banquet for Fujiwara Kiyofu when he was appointed as Afuminosuke at the house of Imperial Prince Sadatoki.

I say goodbye to you today
Tomorrow you are leaving for Omi.
Omi is also known as ”Meet You Again”
It must have been nightfall
The sleeves of my garment
Getting wet from the night dew

Imperial Prince Sadatoki was the seventh prince of Emperor Seiwa.

It is unknown why Fujiwara Kiyofu’s farewell banquet was held at the residence of Imperial Prince Sadatoki.

“Omi” is a combination of “we will meet again” and “the place name of Omi”.

“Tsuyukeki” refers to the state of being wet with dew.

The sleeves of his garment was wet from the tears of goodbye, but I guess he insisted that it was from the night dew.

The poet, Kino Toshisada, insists that since Omi is nearby, we will be able to meet again, and I’m not so sad.

I can picture Toshisada’s face smiling as hard as he could while crying.




Posted on 2024-04-23 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【悲しみの歌】きょう別れ 紀利貞

貞辰親王(さだときのみこ)の家にて藤原清生(きよふ)が近江介(あふみのすけ)にまかりけるときに、むまのはなむけしける夜よめる

きょう別れ
あすはあふみと
思へども
夜(よ)やふけぬらむ
袖の露けき

紀利貞

古今和歌集、巻八離別歌に所収されている歌です。

まず歌の意味を確認しましょう。


貞辰親王(さだときのみこ)の家で、藤原清生(きよふ)が近江介(あふみのすけ)として赴任するときに、送別の宴を開いた夜に詠んだ歌

あなたとはきょうでお別れ
あすは「会う身」という名の
近江へと旅立つのですね
夜がふけてきたのでしょう
わたしの衣の袖が
夜露で濡れてきました

詞書にある貞辰親王(さだときのみこ)は、清和天皇第七皇子でいらっしゃいます。

藤原清生(きよふ)の送別の宴が、どうして貞辰親王の邸宅で宴が開かれたのかは不明です。

「むまのはなむけ」は、送別の宴のこと。

もともとは、旅立つ人の馬の鼻を、旅立つ方向へと向けたことから、こう呼ばれるようになりました。

「あふみ」は、「会う身」と「近江(あふみ)」の掛詞。

「露けき」は、露で濡れている状態のこと。

別れの涙で濡れたのですが、夜露で濡れたと強がっているのでしょう。

詠者の紀貞利は、近江は「近い」のだから、また会えるしそんなに悲しくないと、虚実あい混じる気持ちを詠いながら、涙で濡れた服の袖を、夜露で濡れたと強がっています。

わたしには、泣きながら精一杯の笑顔を作っている貞利の顔が思い浮かぶようです。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-23 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【別れの歌】立ち別れ 在原行平朝臣

題しらず

立ち別れ
いなばの山の
峰に生(お)ふる
まつとし聞かば
いま帰り来む

在原行平朝臣

古今和歌集、巻八離別歌の巻頭に所収されている歌です。

編者たちは巻頭に置く歌に、自分たちの想いを込めているはずです。

国文学の研究者たちは、どんな想いが込められているのかを研究しているのかもしれません。

そうした学問的なアプローチとは別に、わたしたちが「どうしてこの歌が巻頭に置かれているのだろう?」と、人それぞれに考えることは、「古今和歌集」に接するとき、意義あることでしょう。

皆さん、歌の意味が理解できましたでしょうか。

この歌は、わたしたち現代に生きる人にとって馴染のない、和歌独特の掛詞が使われていますので、意味が取りにくかったと思います。

歌の意味を確認しましょう。


題知らず

これでお別れですね
わたしは因幡の国へ赴任します
因幡の山には松の木が育っているでしょう
その松にちなんで
わたしの帰りを待っていてくださると
聞いたならば
すぐにでも帰ってまいりましょう

詞書にある「題知らず」は、「歌の題が分からない」という意味ではありません。

平安時代は「歌合せ」と呼ばれる歌会が盛んに行われていましたが、そうした歌会で詠われた歌ではないということです。

また、お題を与えられて詠われた歌でもありません。

つまりは、歌ができた背景がよく分からないという意味です。

「いなば」は、「去(い)なば」と「因幡(いなば)」の掛詞。

「今」は、今すぐの意味。

作者の行平は斉衡二年(855)、因幡守になっています。

行平はこの歌を、因幡に赴くときの送別の宴で詠んだのでしょう。

「いなば」「まつ」という掛詞が使われていて和歌らしい和歌だと思います。

それと、詠みぶりから「できたら赴任したくない」という気持ちが見え隠れてしているようにも感じます。

当時の貴族たちは、都を離れるのを嫌がっていたのが分かるようで、とても興味深いです。

古今和歌集の編者たちは、そうした貴族に共有する気持ちを詠った歌として、巻頭に置いたのかもしれません。

(とはいうものの、地方に行けば経済的な旨みがあったり、のんびり暮らせたりと、地方に行くことを肯定的に捉えていた貴族もいたのかもしれませんが、「都を離れるのはつらい」という定型の想いが、好んで和歌に詠まれたとも思われます)

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-22 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

在蜘蛛網中 YOMO和歌

在蜘蛛網中
清晨的露珠閃閃發亮
蜘蛛絲
成為一條美麗而轉瞬即逝的弦
貫穿其中

蜘蛛の巣に
光る朝露
蜘蛛の糸
玉の緒となり
貫き通す

YOMO




Posted on 2024-04-21 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【悲しみの歌】寝るがうちに 壬生忠岑

あひしれりける人の身まかりければよめる

寝(ぬ)るがうちに
見るをのみやは
夢といはむ
はかなき世をも
うつつとは見ず

壬生忠岑

古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。


深い契りを結んだ人が亡くなり詠んだ歌

寝ているとき
見るのだけが夢というのだろうか
はかないこの世も
現実とは思えない

詞書にある「身まかる」は亡くなる。

「うつつ」は現実のこと。

この世は現実ではなくて夢であると詠んだ歌。

和歌では、夢と現実の両方が存在すると考える歌が多い。

しかし、この歌は現実などはなく、世の中は夢そのものであると詠んでいる。

現実と思っていた世の中が実は現実ではない、という世界観。

わたしはこういう世界観の作品が好きだ。

映画にもある。「マトリックス」だ。

主人公のネオはある日突然、「おまえの住んでいる世界は現実ではない。プログラミングされて作られた仮想現実に存在している」とモーフィアスに告げられる。

ネオは混乱する。そして様々な人たちと関わりながら、自分が何者であるかを自覚し、自分の責務(想い)を遂げようする(しかし、それは結局はマトリックスのバージョンアップにつながるという皮肉な結果に終わるのだが)

一方、忠岑はこの歌で、世の中に現実などない、現実は夢そのものであると詠う。

愛する人が亡くなった悲しみはあまりに大きく、この世に現実なんてない、この世は夢なのだ、と嘆いている。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-21 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

很快就會消失 和泉式部 YOMO超訳

很快就會消失
我的人生只剩下一點點

回首往事,有開心的事,也有痛苦的事
很多回憶

和你一起度過的快樂的日子
一連串震撼靈魂的瞬間

我的願望會實現嗎?
如果我們再次相遇,我不會有任何遺憾

和泉式部

あらざらむ
この世のほかの
思ひでに
今ひとたびの
逢うこともがな

和泉式部




Posted on 2024-04-20 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

It will disappear soon Izumi Shikibu

It will disappear soon
I have only a little bit of my life left

Looking back, the fun and the painful things
Lots of memories

Happy days spent with you
A series of soul-trembling moments

Will my wish come true?
If we meet again, I won’t have any regrets

Izumi Shikibu

あらざらむ
この世のほかの
思ひでに
今ひとたびの
逢うこともがな

和泉式部




Posted on 2024-04-20 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

This world is a dream, Kino Tsurayuki

あひしれりける人の身まかりければよめる

夢とこそ
いふべかりけれ
世の中に
うつつあるものと
思ひけるかな

紀貫之

This is a poem included in the Kokin Wakashu, Volume 16, Elegy.

A poem I wrote after my loved one passed away.

This world is a dream
I should have said it
I believed that there was reality in the world

Kino Tsurayuki

This is a poem about how this world is not reality but a dream.

There are many poems that think that dreams and reality both exist.

However, this poem states that there is no such thing as reality, and that the world is just a dream.

The world we thought was real is actually not real.

I like works with this kind of worldview.

There is movie that depict this kind of worldview.
It’s “The Matrix.”

One day, the main character Neo was suddenly told by Morpheus, “The world you live in is not real. You exist in a virtual reality created by programming”.

Neo was confused.
As he interacted with various people, he realized who he was and tried to fulfill his responsibilities (thoughts).

However, it ended up leading to an updated version of the Matrix, which was an ironic result.

On the other hand, Tsurayuki believes that there is no reality in the world, and that reality is just a dream.

The sadness of losing a loved one was too deep.

He lamented that there is no reality in this world, this world is a dream.




Posted on 2024-04-20 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

【悲しみの歌】夢とこそ 紀貫之

あひしれりける人の身まかりければよめる

夢とこそ
いふべかりけれ
世の中に
うつつあるものと
思ひけるかな

紀貫之

古今和歌集、巻十六哀傷歌部に所収の歌。


深い契りを結んだ人が亡くなり詠んだ歌

この世は夢だと
言うべきであった
わたしは世の中に
現実があるものと
思っていた

詞書にある「身まかる」は亡くなる。

「うつつ」は現実のこと。

この世は現実ではなくて夢であると詠んだ歌。

夢と現実は両方存在すると考える歌が多いが、この歌は現実などはなく、世の中は夢そのものであると詠んでいる。

現実と思っていた世の中が実は現実ではない、という世界観。

わたしはこういう世界観の作品が好きだ。

映画にもある。「マトリックス」だ。

主人公のネオはある日突然、「おまえの住んでいる世界は現実ではない。プログラミングされて作られた仮想現実に存在しているに過ぎない」とモーフィアスに告げられる。

ネオは混乱する。そして様々な人たちと関わりながら、自分が何者であるかを自覚し、自分の責務(想い)を遂げようする(しかし、それは結局はマトリックスのバージョンアップにつながるという皮肉な結果に終わるのだが)

一方、貫之はこの歌で、世の中に現実などない、現実は夢そのものであると詠う。

愛する人が亡くなった悲しみはあまりに大きく、この世に現実なんてない、この世は夢なのだ、と嘆いている。

古今和歌集について

「古今和歌集」は言わずと知れた勅撰第一歌集である。

四季の歌、恋の歌を中心に、平安朝初期からおよそ100年間の名歌1100首を、時間の経過や歌の照応関係に留意しながら、20巻に整然と配列する。

日本人の美意識を決定づけた和歌集である。

醍醐天皇はときの有力歌人四名をお選びになり、勅命をくだして歌集編纂にあたらせた。

ただし、これら撰者たちは万葉集を勅撰第一歌集とみなしていた。

撰者たちは編纂を進め第一段階の歌集ができたとき、それを「続万葉集」と名付けていたことから分かる。

その後も編纂作業を進めて、延喜五年に完成させ、名称を「古今和歌集」とした。

古(いにしえ)と今(いま)の歌を集めたのである。

その後、古今集は我が国筆頭の歌集として、今に至るまで1000年以上にわたって、受け継がれてきたのである。

世界を見渡して、1000年以上前の書物を、これほど多くの国民がいまでも親しんでいる国はない。

世界に誇る我が国の文化遺産であり伝統である。




Posted on 2024-04-20 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed

Literature is a Sculpture of Words

Isn’t it everyone’s desire to understand people deeply and broadly?

Conversely, it is difficult for people who do not want to understand others to survive socially.

Literary works are places that depict humans in a realistic manner.

In literary works, there are many different kinds of people living in real life.

It can be said that we read works in order to meet the people who live within them.

Artists create vivid human beings in their works.

When it comes to what we create, it is through words.

Writers create characters through words.

The sculptor stands a thick log in front of him and uses a chisel to carve out a figure little by little.

Literary scholars, just like sculptors, use the chisel of words to gradually excavate characters.

Posted on 2024-04-19 | Category : コラム, 和歌とともに | | Comments Closed